Y、村松静子を支えた3人の男性


我々は、"出会いを大切に" という言葉を機会ある度に、教えられてきた。村松は、看護事業家の立場で様々な分野の人と出会う中でも、とりわけ大きな出会いがあったと考える。その出会った多くの人々の中から、あえて独断と偏見で男性のみ3人に絞ると、1人目は作家・遠藤周作氏。2人目は、セコム創設者の飯田亮氏。3人目は仕事へのよき理解者である夫となる。
何ものにも怯まず、看護という仕事に真摯に向き合う姿勢が、最初から一貫した活動を継続可能にした。そして、様々な立場の多くの人々から支えられたのだと思う。


             
                  「在宅看護の将来」 1991年 SEKAI 10月号
                            遠藤 周作氏との対話


 村松
 訪問看護指導というのが行政にあるにはあるのですが、実際には質量ともに不充分です。しかし、私たちも課外の勤務で
  すから、まだまだ不充分でした。

 遠藤
 短期間のボランティアだったら別だけど、在宅医療は、しっかりした組織をつくり、有料にしてきちんと運営しないと長く続
  けるのはむずかしいでしょう。
 自分が患者だったからわかるのだけれど、患者のエゴイズムもあると思う。してくれるのがあたりまえというふうにだんだ
  んなっていきますからね。

 遠藤
 病院における看護と在宅看護は、技術的にかなり違うのですか。例えば病院には諸設備があり、酸素吸入もすぐ
  もってこられるけれども、在宅医療の場合は全部そろえてもっていくわけにはいかない。
 在宅看護独自の看護技術が要求されるように思うのですが…。

 村松
 基礎づくりはボランティア時代の3年間の経験が生きてきました。
 病院には24時間看護婦がいますので、もし看護上の手落ちがあったとしても次の看護婦が前の人の不足した部分を補足
  してくれますが、在宅の場合は一人一人のナースが責任を負わなければなりません。
 つまり、看護技術はそれぞれのナースがどこまで病人を把握できるかによって全然違ってきます。

 遠藤
 高齢者のときは、配偶者も高齢ですから、その看病をするのは、たいへんですね。

 村松
 そうですね。それから24時間電話をつなげば、いつでも電話ができます。
 いますぐきてほしいというのにも必要とあらばすぐ対応できるようにしています。病状が安定している場合は、介護の方が
 ついて、病状が不安定のときはナースが行く。その両方が必要だとすごく感じます。

 遠藤
 在宅医療者をもつ家庭に対しての講座も必要でしょう。

 村松
 男の人は主婦業ができないから、奥さんに倒れられると、ほんとに気の毒です。
 寝たきりの方がしてほしいのは体を横に向けたり、起こしたりしてくれることです。年取った女性はそれがなかなかできな
  い。そのときに男の人に技があったら、ヒョイと やってしまう。私は男の人にもう少しわかってほしい。

 遠藤
 在宅看護の現代の問題は、金ですね。日本の企業ももっとその方面に金をだしてもいい。

 村松
 お金ももちろんですが、それ以上に感じるのは、行政の厚い壁です。ここまでしかできませんといってすぐ切ってしまう。
 いまは老人だけじゃないですよ。30代、40代の脳卒中や癌が多いんです。年は関係なくすべてに対応していく体制を早
  くつくらなきゃいけない。
 それに、ひとりひとり日本人がもっと自立する方向に、意識を変えなければだめですね。人任せが多いような気がするの
  です。

 遠藤
 よくわかりました。

 



                   「現代 人物論 保健・医療・福祉の50人」
                        ばんぶう 1994年1月号
              理想の在宅看護システムづくりに取り組んで 取材記事一部抜粋


急速に進むわが国の高齢化に対応するため、「在宅」を支える各種システムが考案され、動き出しつつある。
もともと「在宅」を支える土壌が極めて貧しかったがゆえに、今や「在宅」は地域のボランティア活動から企業の事業活動に至るまで、時代の動きを解くキーワードだ。村松さんは、この「在宅」を看護の面から支えるシステムづくりに取り組んでいる在宅看護のパイオニア。必要な時に、必要な看護サービスを、必要なだけ受けられるシステム、しかも事業として成り立つシステムとはどんなものなのか。

セコムの飯田会長と出会う

有限会社を2年間続けているうち、すっかり名前が売れ、シルバーサービス市場参入を虎視眈々と狙う企業も押しかけてきたが、その頃セコムの飯田亮会長から「シルバーサービスはやはり看護の専門家がやるべきだ、ぜひ君がやろうとしている在宅看護に資金援助させてほしい」との申し出があり、バックアップしてもらうことを決意。さらに飯田会長の勧めもあって同センターを任意団体に戻し、理事会を設置。飯田会長を村松さんは「何年か先が見えてしまう人。普通の企業にはずるさがあるのに会長にはそれがない」と評価。

国の訪問看護ステーションが始まった平成4年4月1日、同研究センターの収益部門を受け継ぎ、日本在宅看護システムを設立したわけだが、同社設立の経緯は前年の8月、村松さんが過労で倒れたことから。その時、自分たちのやってきたことは日本の在宅看護の現状に一石を投じることはできたが、スタッフの方に何の保障もないのに気づいたため。「1回5000円の訪問だから割の合うわけがない。それで今度は独立してやっても採算の合う数字にしたい」と考えた。「スタッフの給与もきちんと確保し、身分も保証する。損害保険もアメリカの会社と提携して4年がかりでつくりました」
着々と体制を整える村松さんだが、今後の展開について「センターを在宅看護研究の柱に置いて、各地でどういう訪問看護システムが必要なのかを模索して行きたい。私共の開業看護婦育成研修を卒業した全国の看護婦とネットワークを組みながら、最終的にはいまのシステムを全国に広げたい」と言葉に力をこめる。訪問看護の草分けとしてやらねばならぬ仕事がまだある。


          



               妻からのメッセージ「一度きりの人生なんだから」
                     ビューティフルエージング1998年9月号 


日本で始めてのナースの開業。そこに存在したいろいろな問題を乗り越えた選択。「お互いに悔いなく生きる」という共通のキーワードが存在していたことが伺える。

                      活 動 と 施 策 の 対 比

     在宅看護研究センターの活動  西暦        国の施策

・ 課外で訪問看護ボランティアを開始


・ 在宅看護研究センターを有限会社として設立

・ 企業提携による在宅看護ヘルパー研修及び
   種々の集会を実施


・ 在宅看護支援協会設立準備室を発足

・ 全国6491箇所を対象に在宅ケア調査実施

・ 有限会社を任意団体に組織変更

・ 開業看護婦育成研修開始

・ 収益事業部門として在宅看護会社を設立

・ 訪問看護ステーション民間として認可


・ 保険適応を自費の両訪問看護事業展開

・ 在宅看護実践の新体制づくりを開始

・ ラーニングスタッフ制の導入

1983


1986

1987



1988



1989

1990

1992

1999


2000

2001

2003

・ 老人保健法制定
・ 訪問指導開始

・ シルバーサービス振興会設立準備室の設置

・ 医療関連ビジネス調査会を設置

・ シルバー振興会設置

・ 社会福祉士・介護福祉士施行

・ 訪問看護等在宅総合推進モデル事業を実施



・ 在宅看護支援センター始動

・ 老人訪問看護ステーション始動

・ 規制緩和により訪問看護ステーション設立を
  民間に開放

・ 公的介護保険施行

 
  

2003年よりラーニングスタッフ制を導入

 〜ラーニングナースが主体となって開催された、シンポジウム・公開ワークショップの様子〜

               
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おわりに

高田馬場の小さな事務所に多数の掲載記事と写真がいっぱいになってきていた。長年の活動の記録である。紛失したりしないようせめて整理しようと思いたったのがきっかけとなった。
16年間で252件の雑誌・新聞掲載記事が貯まっていた。一つ一つ整理しながら「なるほど、あの頃はそうだったのか」「ああ、これは現在にも通ずるな」などと、つい読み込んでしまい時間を費やしてしまった。
改めて、ナース・社長・教育者・研究者をしながら、よくこれだけ執筆したり取材を受けたりできたものだと感服する。
私は将来、郷里で山村型の在宅ケアに挑戦をしようと思っている。村松代表の活動をモデルに。自分なりにあせらず粘り強く取り組んでゆきたいと思っている。

                                                          2003年10月



     T なぜ、訪問看護をボランティアで・・・
     U 何もない。自分達で作るしかなかった。〜ナース手作りの会社の誕生〜
     V 活動を続けるための苦悩と決断 シルバー産業の嵐の中で・・・
     W ジャーナリストからいただいた「開業ナース」の命名 その1
        ジャーナリストからいただいた「開業ナース」の命名 その2
     X 開業ナース 村松 静子
     Y 村松静子を支えた3人の男たち


                    
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