<参加者の悩み・ギャップ・みんなの声>
*だされた声は大きくは以下の3点に分類された。

@どうやって学んでいったらいいのか。理想の看護を追求しつづけるための学びとは何か。

・ シンポジストの学びの変遷に関心がある。どういう学びの道を歩んできたのか。
 理想の看護を求めるが、実際の臨床NSは余裕があるように見えない。
 自分は学生だが、卒後、理想の看護をどうやって求めていったらいいだろう。
・ 理想の看護を求めるのに、学ぶことは大切。学ぶことで自信になる。
 学びが必要だが、学びの少なさにギャップ。

A理想の看護ってなんだろうという迷い。どう追究したらいいか。

・  看護の理想、「〜べき論」でいっていいのか。
・ 生きる目標を見出していくシンポジストのケアに共感。
  しかし必要としていてもなかなかできない現実との狭間にいるように思う。
  理想に近づけていくにはどうしたらいいだろう。
・ 病気そのものをみるのではない、本来の看護ってなんだろう・・・?
・ 机上だけの理想ではない、対人間としての看護ってなんだろう?
・ 今流されるように仕事をしている自分。これでいいのかと思い始めた。
  理想の看護を求め続けるシンポジストのケアに惹かれた。
  人は人でしか癒せない。ケアしなければ・・・
  理想の看護ってあるのだろうか。深く関われていない自分にギャップを感じる。

B意欲への働きかけ。生きる目標を見出すような看護の大切さに共感するが、どうしたらいいだろう。

・ 生きる目標を見出していくシンポジストのケアに共感。
・ 家族の立場から。患者自身の生きる意欲にどう働きかけたらいいだろう。
・ シンポジストの「患者の気持ちの引き出し方」に関心をもった。
  患者の気持を引き出すのをどうしたらいいのだろう。
  どうしたら生きる意欲がもてるのか。家族も悩んでいる。

出された声を受け、「B意欲への働きかけ」に焦点をしぼり語り合う。
意欲への働きかけは大切だが、実際の看護が生み出せないギャップで悩む看護職が多い。
参加者の声を受けて、永野が「ケアの壁になっていた事」「現在ケアする中で意識していること」を話す。

<永野のケアの壁になっていたこと>

・ 自分の構え。これをはずすのが大変。構えが、対象に向き合うことを妨げていた。

<永野がラーニングの学びの中から現在意識していること>

⇒「あなたは大切な存在」というメッセージを意識し、その姿勢でケアをする。
 意図的に言葉をかけていく。
⇒喜びの共有を意識。
⇒病気の状態になり、家族さえも見えなくなりがちなその人の本来の姿を一緒に探す。
⇒こたえはその人の内にある。こちらが答えを提供することはできない。
 NSは鏡になったり、一緒にその人と歩いて、その人の内にあるものを一緒に探す。

*上記を受けて参加者から出た意見・声*

・ つい疾患から入ってしまう。人生背景に注目することの大切さ分かっていてもなかなかできない。
・ 生きる意欲を引き出すことの難しさ。
例)「何のために生きているんだ」という患者に出会って言葉につまったことがあった。
   その患者が「何のために「自分にはねこしかいない」と⇒「そうか、ねこの為に生きる」
   きっかけで救われるのだと。
・ 躁鬱の患者。「死んだほうが親しい人に会えるから早く死にたい。」
  本来のその人は経営に長けている人⇒「若い人に教えていこうか」
  その人から、「その人自身が意味を見出していく」ということを学ぶ。
  看護の働きかけ⇒いっしょに歩くこと

<ワークショップを通して永野が感じたこと、学んだこと>

皆同じように理想の看護を追求しながらも、それをどうやって実践の中で具現化したらいいか、具現化されたらどういう風になるのか、迷いの中にあるのだということを学んだ。
意欲への働きかけもその一つ。看護論で「成熟を促す」などとかかれていても、実際にどうしたらいいのか、日々のケアの中でどうしていくのか、大切と思うことをどう実践していくかに悩んでいることが分かった。
今後もっとこのテーマを皆で共有したいという気持ちが大きくなった。