市民の眼 尾崎 雄 Ozaki Takeshi |
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vol. 9
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在宅ターミナル・ケア25年。先駆者、鈴木荘一医師の軌跡 |
2002-5-3
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徒な延命を強いず自然な死をありのままに看取ることをホスピス的なケアというならば、それはかつてわが国の死の大半だった。その後、癌による死が増え、ありのままの死が苦痛に満ちた死になったころから、苦痛を和らげて看取るケアが求められるようになった。 柏木哲夫大阪大学教授は著書『ターミナルケアとホスピス』の中で、「1977年は日本のターミナル・ケアの歴史を語るうえで大切なことが三つ起こった年」だと指摘する。 その一つが鈴木医師のセント・クリストファー・ホスピス訪問。残りは「死の臨床研究会」の発足と、この年、戦後(太平洋戦争後)初めて「病院死」が「家庭死」を上回った統計的事実である。この年を境にわが国における看取りの場は、家庭から病院へと怒涛のように押し流されていく。ターミナル・ケアの場も同様だった。その後、欧米のホスピス・ケアの場は在宅中心に変わっていくのとは対照的に日本では、ホスピスは看取りのための施設 このほど私は自分が世話人を務める「老・病・死を考える会」に鈴木医師を招いた。25年にわたる在宅ターミナル・ケアの歩みをお聞きして、時代を先取りした実践に感銘を新たにした。さらに感銘を受けたのは患者と接するその人柄である。往診した終末期患者の枕もとで患者と一緒に歌を唄うこともあるという。「情意のこもった患者と医師とのコミュニケーションこそ医療の基本」。 |
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vol.
8
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介護保険で介護負担感は軽くなったか −サービス利用量が増えれば実感が湧く?− |
2002-3-25
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介護保険はほんとうに役立っているのだろうか? |
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vol. 7
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「9.11」のニューヨークから4ヶ月-生還者たちの様々な思い- |
2002-2-6
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米国が史上初めて本土攻撃を受けた「9.11事件」からまる4ヶ月過ぎた1月末のある日、世界貿易センタービルの爆発、崩壊を同じ場所で目撃した日本人24人が東京で再会した。米国東部海岸ホスピス視察団に参加し、たまたまニューヨークで、あのテロに遭遇した面々である。多くは医師、看護婦らホスピスに関心を持つ医療関係者。北海道から九州から、と駆けつけた20歳代から60歳代までの"生還者"は世界史の瞬間の直後に起きたパニックに巻き込まれて生命の危険を味わっただけに改めて無事を喜びあい、その後について語り合った。 東京のある看護婦は帰国の翌日から3日連続の夜勤看護の仕事につき、その間に4人の患者さんを看取ったという。関西学院高等部の教諭は今年から生徒に「死への準備教育」を始めた。滋賀県の老健施設長を務める41歳の医師は今年5月、小児も老人も誰でも診る在宅ホスピスを含めた在宅医療の診療所を栃木県で開業する。テロに遭遇する直前までの1週間米国で感じ取ったホスピスマインドを日本で実践するためだ。「人生にはいつ何がおこるか判らない。あの事件に遭遇して、やるべきことはすぐにやらねばと思ったからです」。宮城県のあるホスピスの女医も心境の変化を吐露した。「それまでは唯我独尊的に仕事をしてきたけれど、あれからは自分の体験や学んだことを積極的に発表、発信することが大切だと思い、そうしています」と。 もう一つの共通体験は生還者の疎外だった。
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