日本人の大半の宗教は、仏教であろう。しかし、なぜ今急に考えさせられるようになったのかは、最近のイスラム教に絡む、中近東諸国のテロ、国境を越えての領土空爆など、都市を破壊する殺伐たるニュースが目を覆うばかりに日々だからである。
キリスト教との宗教間の争いもある。人間はなぜ闘うのか。男性はもともと、自分の家族を守るために闘士でなければならないのかもしれない。しかし、現実には家族丸ごとである。
だが、こういう刺激がないと、日本人の宗教観は漠然としている。お正月の初詣では、神社参りで神教、しかし、春、秋のお彼岸そしてお盆は仏教を拝む。そしてクリスマスにはキリスト教。こんな時の日本人は、その行事をむしろ楽しんでいる。親、兄弟、親戚を含めて、この出会いを楽しんでいる。私もその一人である。
もうすぐクリスマス。街は、ジングルベルの音賑やかにサンタクロースのおじさんが現れ、商戦たけなわとなる。まさに、神、仏、キリスト教は、全くかかわりがないのである。日本にも、熱心なキリスト教徒がいる。しかし、周りの人々を巻き込んだり、強制することはない。私は、宗教にこだわりのない国に生まれて、よかったと思っている。
もうすぐ、クリスマスである。“Merry X’mas and Happy New Year” などというはがきが舞い込む。そこに、狂気に近い宗教観は全く見当たらない。私の場合、ほどほどの楽しみとしている。
終戦後、日赤の寮住まいの頃、聖路加病院が接収され、両校が同時に日赤の寮住まいとなった。クリスマスの日の朝、遠くから「清しこの夜」のコーラスが聴こえてきて、私はなぜかこの初めての体験に感動して涙していたことを思い出す。私にとって宗教は、客観的なものでありながら、思わず感情を揺さぶられていたからである。 (執筆年不詳)
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