八十乙女のつぶやき   国分 アイ Kokubun Ai


 
 vol.6
  老いを生きる日々  2006-8-21
 
 

今、この国の高齢者に、女性の一人暮らしが圧倒的に多いをいわれる。私もその中の一人である。長かった寮生活の大半も一人部屋。以後、マンション住まいまで、ほとんど一人暮らし。孤独を託つこともなく、時間、空間思いのままの一人住まいを楽しんで暮らしてきた。

武蔵野市には58歳のとき、市の老人福祉政策を選んで移り住んだ。とはいうものの、その後の職場は隣の三鷹市から浦和市。3年間の年金生活の後、また4年の名古屋市へと、駅近い住まいが幸いで、JRの通勤。市民意識も地域への融和も疎遠になってしまっている。

しかし3年前、難治の病を得て、かつての職場だった杏林大学病院に最近まで4度の入院を繰り返し、老の一人暮らしに不安が付きまとうようになってきた。去る7月の発熱のときは、6日間の入院。白血球数が800となり、数日間無菌室入室となってしまい、「老病死苦に真向かって生きている」の感を強くしてしまった。

数年前までのマスコミの老人問題への関心は、敬老の日近くに集中していたが、いよいよ高齢化社会が現実化し、この問題に関する情報は時期を問わず氾濫。特にわが身につまされ、私の老病の思いに追い打ちをかける。だが、生きているからには生き生きと、それなりに充実した日を過ごしたいと思う。

去る7月7日で73歳の誕生日を迎えた。が、まだ亡き父母の歳を超えてはいない。ここ数年の例で、故郷、郡山に住む妹から、お祝いのカサブランカが2本届く。それは東京の花屋でも見かけない大輪で、6個あての花と蕾が、ほのかな香りで次々と咲き継ぐ。ラッピングがまた見事である。長方形の宅配便の箱から取り出すと、今年は鶸色とクリーム色の、大振りの2枚の、厚手の和紙に包まれ、ベージュ色の地厚のリボンで、優雅に包んである。地方都市の花屋の主の、センスの良さと心意気に毎年脱帽の思いで、今年も10日以上この花が部屋にあるだけで、幸せを感じてしまう。

こんな日々が長く続いてほしい、そう願わずにはいられないこの頃である。     (1993年)

 
 
 vol.5
  拙宅へどうぞ 2006-4-12
 
 

S先生、拙宅へ訪問くださいますこと、歓迎いたします。吉祥寺駅から歩いて3分、道は単純明解、ほとんどの方は無事ご到着なのですが、どういうか、年配の方、偉い方がよく迷うのです。

3月のことでございましたが、U先生と助手のM先生のお二人が、昼食時に到着されるはずが道に迷われたらしく、待てども待てども現れず、遅れる事2時間。先客のY先生とできあがった料理を前に、腹ペコの上に、事故かもしれないとテレビをつけたり、本当に心配しました。

S先生、まず東京駅に着かれたら、中央線に乗り換えて下さい。乗り場の標識はオレンジ色、1と2番線です。東京駅が始発ですから、少し待たれれば、必ず座れます。この時、特快には乗らないで下さいね。吉祥寺には止まりません。U先生は特快に乗ってしまい、吉祥寺を素通りし、行けども行けども着かないといぶかりながら立川まで行き、やっとおかしい事に気が付いて、吉祥寺まで引き返したというのです。お乗りになるのは、快速です。それで、30分ほどで吉祥寺に着きますから、お間違えのないように。

着きましたら、井の頭公園口の改札を出てください。階段を下りて、そのまま左手の細い道路を10メートルほど進むと、丸井デパート前の通りに出ます。横断して左に進んでください。東急インの前を通り、ガード下を通ると、右手に見えるマンションが、私の住んでいる「パインクレスト」です。先輩で迷われた方が、わずかに覚えていたのが、パイナップルみたいなマンションの名前で、駅近くの交番のお巡りさんが、やっと地図の中から見つけてくれたそうです。

マンションの地階にはプール、アスレチッククラブになっております。玄関の階段を上がり、管理人室の前を真っ直ぐ通り抜け、左手のエレベーターに乗って、5階を押してください。降りたら、左手のエレベーターに乗って、5階を押してください。降りたら、左の一番奥が501号、拙宅です。腕をふるって、ご馳走を用意しておきます。どうぞ、お気をつけて、お出かけくださいませ。
                                                (1983年頃)

 
 
 vol.4
  日本人の宗教観を思う   2005-7-20  
 
 

日本人の大半の宗教は、仏教であろう。しかし、なぜ今急に考えさせられるようになったのかは、最近のイスラム教に絡む、中近東諸国のテロ、国境を越えての領土空爆など、都市を破壊する殺伐たるニュースが目を覆うばかりに日々だからである。

キリスト教との宗教間の争いもある。人間はなぜ闘うのか。男性はもともと、自分の家族を守るために闘士でなければならないのかもしれない。しかし、現実には家族丸ごとである。

だが、こういう刺激がないと、日本人の宗教観は漠然としている。お正月の初詣では、神社参りで神教、しかし、春、秋のお彼岸そしてお盆は仏教を拝む。そしてクリスマスにはキリスト教。こんな時の日本人は、その行事をむしろ楽しんでいる。親、兄弟、親戚を含めて、この出会いを楽しんでいる。私もその一人である。

もうすぐクリスマス。街は、ジングルベルの音賑やかにサンタクロースのおじさんが現れ、商戦たけなわとなる。まさに、神、仏、キリスト教は、全くかかわりがないのである。日本にも、熱心なキリスト教徒がいる。しかし、周りの人々を巻き込んだり、強制することはない。私は、宗教にこだわりのない国に生まれて、よかったと思っている。

もうすぐ、クリスマスである。“Merry X’mas and Happy New Year” などというはがきが舞い込む。そこに、狂気に近い宗教観は全く見当たらない。私の場合、ほどほどの楽しみとしている。

終戦後、日赤の寮住まいの頃、聖路加病院が接収され、両校が同時に日赤の寮住まいとなった。クリスマスの日の朝、遠くから「清しこの夜」のコーラスが聴こえてきて、私はなぜかこの初めての体験に感動して涙していたことを思い出す。私にとって宗教は、客観的なものでありながら、思わず感情を揺さぶられていたからである。  (執筆年不詳)

 


vol.1
老いて画く自画像 vol.2 老年の一つの仕事 vol.3 文系と理系
vol.7 生涯未熟 vol.8 ファッションって、どんなこと vol.9 うどん屋の釜
vol.10 ラジオ深夜便からのメッセージ
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