医師として、武士として     安藤 武士 Andou takeshi

 vol.8   職名     2003-3-14

昨年、法が改正され「看護婦」という職名が「看護師」になった。改正に反対する訳でないが、小生にとっては「看護婦さん」という方が「温もり」があって良い。声を出してみると響きが違う。学校の「せんせい」と「教師」、「教員」と同じように、という小文を以前のコラム(Vol.6)に寄せた。

先日、ある新聞のコラムに「看護婦」と「看護師」では同じ職業でも患者にとってはかなり違うと記されていた。無論、そのコラムニストも「法」が改正されたことに反対しているのではない。−「看護師」という職名は、高度の専門職であることがより明確に示されているので喜ばしいことである−と断りながらも、「看護師さん」には医療・看護の専門的なことを尋ねることは出来ても、こんなことを聞いたら笑われるのではないかと構えてしまい些細なことが聞けない。「看護婦さん」なら何でも聞くことができる。今でも、「あの〜、看護婦さん」と「看護師さん」に声をかけているという。

現在、書類、メディアはすべて「看護師」となっているが、医療の現場では「看護婦さん」と言われている方が圧倒的に多い。「不慣れ」なことだけではないようである。いずれは「看護師さん」になるであろう。

英語で「看護に携わる人」の職名はNurse:ナース であることは、日本人、誰でも知っている。辞書には「看護婦」、「看護人」と記されている。「看護師」という職名には「性」が無く、女性と男性が含まれるが、英語では女性の看護人をNurse(看護婦)、男性の看護人をa male nurse(看護士)という。「看護師」と言う語句は英語にはないようである。英語圏の病院で、Nurse !と叫ぶと、「看護婦さん」が飛んでくると辞書に載っている。

小生の職名である。30数年前、当時の厚生省から「医師免許証」を交付された。免許証に「医師」と記載されているので、法的には「医師」が職名である。「医師」は、「医者」、「お医者さん」、「医家」とも言われる。「医師」は硬苦しく、「医者」、「お医者さん」はくだけた感じを受ける。「医家」は文章語である。個人的には、周囲の方からは「先生」と呼ばれることが多い。手元の辞典で「先生」を引くと@師として教える人、A学芸に優れた人、B教員・医師・文士・議員などを尊敬して呼ぶ語、と記されている。「医師」を、なぜ「先生」と呼ぶようになったかわからない。幼なじみの友人に、そんなことを調べていると気取って言ったら、尊敬語として使っているのではない、「医師」と同じ意味で使っているだけと言われ、顔が赤くなった。

医療雑誌に「名医」「良医」の違いが記されていた。「名医」は人間性が良いことは必ずしも要求されないが医療技術が優れている医師のことを、「良医」は医学知識が優れていなくとも人間性が良い医師のことを指すと言う。外科医は前者が、内科医は後者が望ましいと解説されていた。小生は、「良医」と言われることを望外の喜びとするが、30数年来、外科医であったので複雑な気持ちでいる。

「やぶ医者」という言葉があるのを忘れていた。「やぶい」、「やぶ」ともいう。意味は分かるが、来歴がわからない。小生には、関係がないと思っているので調べいないことにしている。

 

 vol.7   インターネット   2003-1-25

5年前、パソコンを始めた。勤務先の病院が導入してくれた。生涯、パソコンに触れることはないと思っていた。セッティングにきた業者に、「インターネットで情報を得るにはどうすればいいの?」と尋ねたら、困惑しながらも手本を示してくれた。小生がやってみることになった。学生時代に所属していた「クラブ」を検索してみた。驚いたことに「クラブ」のホームページが表示された。「クラブ」にそんなものがあることも知らなかったので興奮した。早速、自宅にも設置した。未だ、幼稚園児のレベルを脱していないが、パソコンにはまった。

先日、本コラムの編集子より「小生のコラムを更新した」と自宅に連絡が入った。勤務先のパソコンで「更新されたコラム」を見るため小生の名前を検索すると、画面に同姓同名の検索結果が少なからず見られた。「更新されたコラム」は確認できた。自身のことは無論のこと、同姓の検索も初めてであったので表示されている検索結果をくまなく見ると、小生が大学の外科に所属していた頃、「学会誌」に投稿した論文の表題が目にはいった。78年の「学会誌」である。開いてみた。「高令者(69才)大動脈弁・・・・・一期的手術治験例」という論文の表題であった。血気盛んな20数年前を思い出した。

外科医になって9年目の76年、責任者とし初めて「市中の病院」に勤務したとき経験した症例である。当時としては大手術で、高齢でもあり手術をすること自体ためらわれた。朝9時より翌朝7時まで時間を要した。病棟の個室を仮のICUとし、小生は患者の脇に簡易ベッドを置き、数日間そこで仮眠をとりながら術後の治療にあたった。悪戦苦闘の連続であった。元気で退院された。小生の自慢の症例になった。

4年後の80年、越後平野から三国山脈を越え渋谷区広尾の日赤医療センターに移った。勤務を始めて間もないある休日、出先でポケットベルが鳴った。病院からであった。至急、救急外来に来るよう要請された。救急外来に行くと、気管内挿管され蘇生術を受けている人が目に入った。繁華街で倒れ救急車で運ばれてきたが、意識は無く思わしくない状態である。原因がわからない。胸部の正中に切開創痕があるので心臓の手術を受けたことがあるのではないかと思い小生を呼び出したと担当医から説明を受けた。

早速、診察した。胸部のほか右鼠径部にも数センチの切開創痕を認めた。間違いなく心臓の手術を受けていたことを示していた。切り裂かれた衣類や周囲の医療器具が整理されると、治療を受けている患者が一つの視野に入るようになった。どこかでお会いしたことがあるように思えた。

思い出すまでに時間はかからなかった。そう、「学会誌」に掲載されているその人であった。4年ぶりの驚きの再会であった。遠く離れた東京で、このような状態でお会いすることになるとは思ってもみなかった。顛末を関係者に話しいるうちに親族の方と連絡がとれた。

親族の方の話では、数日前より東京に滞在しているが、毎日、朝から酒を飲み「薬」を服用したかどうか分からなくなることがあり心配していたという。この方は、心臓に人工弁が装着されているため抗凝血剤の服用を必須としていた。「抗凝血剤の服用のし過ぎで脳内出血を起こしたのではないかと推測している」と担当医に説明した。回復を願い、救急外来を離れた。

インターネットが、昔のことを思い出させた。しかし、どうして20数年前の思い出が込められたこの「論文」だけが載っているのであろう。不思議でならない。

 




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