医師として、武士として     安藤 武士 Andou takeshi


 
vol. 3
  医療の質−その3 2002-10-25
 
 

2回にわたり、『医療の質』の新しい定義について小生の意見を述べた。「高い医療の質」にせよ「良い医療の質」にせよ、「医療」は多くの医療人に支えられ成り立っている。昨今、医療人の質について語られる場合、医師については、誤診、水増し請求、改竄、隠蔽など「医者ほど悪い奴はいない」という論調で語られることが多くなってきている。医師の一人として慙愧の思いである。
 
 前回のコラムで「良質の医療」についてふれたが、その際、パソコンに「いいいりょう」と入力し漢字に転換すると『善い』という文字が表示された。さて『善』、『良』どちらだろうーと判断しかね、あれやこれや考えをめぐらしているうちに、小生が外科研修を始めたころ所属外科から渡された一冊の本を思い出した。私どもの大先達(1893年生*)が1958年に上梓した
「外科今昔」という本である。その中に「外科医は善くなければならぬ」ということが記されているはずであった。眼前の書架に目をやると、その「外科今昔」をすぐ手にすることができた。懐かしさも手伝い、一気に読んだ。
 

 238頁から成る「外科今昔」は、著者、田中瑞穂教授が長年携わった外科治療学に関する所感が書かれている。最後の章『善い外科医』を要約し記す。この章の原文は5頁である。40数年を経ているが、全編、今日でも通用する内容である。文中の外科を医療、手術を治療、外科医を治療人と置き換えてお読みいただきたい。

 外科は、単なる技術屋であれば事足るという風におもわれて来そうであるが、手術がその病人や家族にどう影響するか、物質的な判断以外の考慮も必要である。手術が必要な限り外科というものは善い外科医の存在が必須条件であろう。古今東西に通用することと思う。我欲をおさえ善意に徹するということは、必ずしも容易とは思わないが、外科医こそこの善意が一番大切である。学問が進み世の中が機械化すればする程このことが大切であると思う。
善いとは何か、これは各自が独り静かに思いを致せば分かることである。口でもいえず、文字にするこことも難しい。自ら悟るいがいない。

 善い医療人に支えられた医療が小生の求めている医療であるが、『善いとは何か』、答えはまだ出ていない。小生が『医療の質』の定義にこだわるのも、先達の教えのためかもしれない。

*「外科今昔」著者:田中瑞穂、明治26年生れ。大正6年東京帝国大学卒業。大正11年新潟大学助教授次いで教
   授。昭和31年停年。脳外科研究施設長事務取扱。本邦における脳外科学の先駆者。虚子門下生。
   『深々と手術はすすむ深雪かな』−うろ覚えで正確さは欠くが、小生が雪深い新潟で手術をしていたころを思い出
   す俳句である。

 
vol. 2
  医療の質−その2
  2002-10-04
 
 

前回のコラムでは、『医療の質』の定義が変わったという記事を目にし、新しい定義について思うところを述べた。従来は「研究・開発型の医療」を「高い医療の質」と考えていたが、現在は「ごく普通の医療を普通に行う」ことが「高い医療の質」と定義されるという。小生は、従来の定義はそのままにし、「ごく普通の医療を普通に行う」ことは「良い医療の質」としたほうがいいのではないかと提案した。これは、「研究・開発型の医療」に憧れをもって医療をしてきたことが、新しい定義に違和感を覚えるのかもしれない。

「ごく普通のことを普通に行う」ことは、難しいことと承知している。「普通のことを行う」とは、手順が出来ていることを前提にしている。そうすると、所謂「マニュアル」どおりに医療を行うことが「高い医療の質」となる。医師や医療施設に「マニュアルどおりやりなさい」それが「高い医療の質」です、となじられているようである。そのような気持ちをもちつつも「ごく普通の医療を普通に行うこと」を「良い医療の質」と定義した。

「よい」という漢字は、「良い」と「善い」がある。良質な素材、良質な機械、良い制度など「良い」には、表面的、無機質的な意味を感ずる。「善い」は、善悪、善行、善隣、親善など、本質的かつ深淵な響きをもっている。「良い医療」は医療システムが良く機能していることを、「善い医療」は善い医療人に支えられている医療のことを指しているのではないか。「ごく普通の医療を普通に行う」ことを「善い医療の質」としなかった理由は、新しい定義がマニュアルに沿って完全に行うということだけに重きをおき、医療の担い手の心の質を問題にしていないと思うからである。小生のこだわりはその点にある。ご賛同いただければ幸いである。

 蛇足。「夫婦のうちの男」を「良人」とも書くことに気がついた。むきになってコラムを書いていて忘れていた。次号も、「医療の質」について述べたい。

 
vol. 1
  医療の質
2002-9-17
 
 

 近着の医療雑誌に、『医療の質』の定義が変わったという表題の文章が目に入った。

従来は、大学の研究室で開発された「困難で複雑な医療」を「高い医療の質」と考えていた。しかし、この数年、医療先進国で重大な医療事故が発生するようになり「医療の質」に対する国民の意識が変わってきた。国民は、「曲芸的で、危険であるが効果があるかもしれない医療」より「科学的な根拠にもとづく有効と思われる医療をそのレベルまで行う」ことを求めており、「ごく普通の医療を普通に行う」ことが「高い医療の質」の新しい定義であるという。

 小生は、今まで『医療の質』とは・・について、深刻に考えたことはなかったように思う。漠然とではあるが、病の人を助けたいという熱い気持ちが強ければ、おのずから今まで助けることが出来なかった病気に対する治療法を研究・開発し、さらに普遍的なものになるよう努力するはずである。それを実現することの出来る医師、医療施設こそ「高い医療の質」を有しており、「ごく普通の医療を普通に行う」ことは、医師であれば誰でもできると思っていた。多くの医師は、研究・開発に強い憧れを持っている。新しい定義は、従来の医師の価値観を否定し、新しい価値観をもった医師の誕生を促している。  
 
 しかし、新しい定義に声高に異を唱えるわけではないが、新しい医療を開発しなければならない病気は星の数ほどある。それに携わる医師が提供する『医療の質』をどのように定義すればよいのであろうか。やはり「高い医療の質」と言っていいのではないか。「高質」と「良質」の違いという言葉の遊びになるかもしれないが、「ごく普通の医療を普通に行う」ことは「質の良い医療を行うこと」と定義したほうが響きがよいように思う。
 どのような定義にせよ、「ごく普通の医療を普通に行う」ことが大切であることには異論はない。新しい定義は、「マニュアル医師」の育成を促すという負の要素も含んでいるが医師の価値観を変え、延いては日本の医療を変えるという重要な意味をもっており、20年後、30年後の日本の医療の姿を根本的に変えるであろう。

 



vol. 4  医師の心  vol5 医師の心−その2 vol6 看護婦さん
vol. 7  インターネット vol.8 職名 vol.9 戦争倫理学
vol.10  旬の過ぎたはなし−「ノーベル賞」 vol.11 「倫理」の変遷 vol.12 赤十字とナイチンゲール
vol.13 刑法第134条 vol.14 素人の教育論 vol.15 格付け
● vol.16 流行 vol.17 災害医療 vol.18 無題
● vol.19 シーベルトの娘:看護婦資格制度の黎明 vol.20 ユ・カンナラちゃんを偲ぶ vol.21 心蘇生

● vol.22 5年後の告知 vol.23 漢字の日 vol.24 評価
● vol.25 人体標本の値段 vol.26 NBM:医療概念の変遷 vol.27 文化の日
● vol.28 喫煙と終末期医療

 

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