道具としての笑い 江口
歩 Eguchi
Ayumu
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vol. 6
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週間連載決定 |
2001-2-7
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新潟のお笑い集団NAMARA。
スタッフ三名。芸人三組がお笑い一本で食べていけるようになりました。
四月に会社になります。
日本海側初のお笑いプロダクションです。
でも、ちっともうれしくありません。
なぜなんでしょう。
四月から新潟のテレビにも進出予定です。
でも、ちっともうれしくありません。
なぜなんでしょう。
二秒ほど考えてみます。
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なんかむしろむかついてきました。
まだこんなところをうろちょろしているのかと思うとガックリします。
今年三十八歳。そろそろ女房を見つけ結婚のひとつでもしたいところ。
いまだに気分は四畳半で一人暮らし。
なんとかなんねーかな。
と、愚痴をこぼしたところで新年一発目のコラム。
バレンタインディ間近で新年一発目というのも困ったものだ。
あのですね。みなさん。
先日、財団の介護労働安定センターというところから講議依頼がありました。
二日間で十時間。『介護におけるコミュニケーション技法』というタイトルでの講議。
講師はオレ。サブの講師として芸人三組。
よくもったね。十時間も。
NAMARAの宣伝に二時間くらい使ったんだけどね。それでも八時間でしょう。
でも、好評でさ、九月に別の地域でもやることが決定しました。
今月の末には福祉開発公社からも依頼が来ている。
で、で、結局何を講議したのかってことだよね。
そこでここのコラムを使ってものすごくコンパクトに週一回のペースで紹介しましょう。
えーっ!! どうせまた二ヶ月も待たせるんでしょう−−−と思っている管理人さん。
今回だけは嘘をつきません。
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vol. 5
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タイムリーな死 |
2001-12-14
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うちのばぁちゃんは90歳。
美空ひばりと幼なじみだと言っています。
小林幸子とも子供の頃よく遊んだと懐かしがっています。
まったく時代が合いません。
合っていたとしてもありえません。
それなのに僕に自慢します。
そんなばぁちゃんに、突っ込みを入れずにこう答えました。
『オレも子供の頃、石原裕次郎と一緒によく銀恋をデュエットしたよ』
ばぁちゃんに、すかさず
『あんたはホントに嘘つきだね』
と突っ込まれました。
記憶がボケていくのは、死ぬ準備のような気がする。
たとえば親として自分の子供が死んだら悲しいよね。
それは様々な感情が頭の中に記憶としてインプットされているからだと思う。
でもうちのばぁちゃん、自分の娘の顔も名前も忘れているからね。
自分の子供が死んでも、気付かないかもしれない。
自分の子供の命でも記憶があるのとないのとではまったく別のものになる。
記憶がしっかりしている時に自分の子供が殺されたりしたら、怒り、恨み、呪うかもしれないが、自分の子供の記憶が全くなかったとしたら、きっと他人事でしょう。
命の重さなんていい加減なもんだ。
命の重さより、記憶の重さの方が大切なんだと思う。
と言うのも、自殺する人は命を落とす恐怖より、記憶の方の恐怖が大きいからでしょう。
だって、"会社が倒産して10億の借金で首が回らなくなって自殺"とかいうけど、
倒産したことも、10億の借金忘れてしまったら、きっとのほほんとして生きてますって。
記憶を抹消したいから自殺するんだろうね。
オレはまだ死にたくない。
それはこの世に未練があるから。
記憶がしっかりしている分、未練もたっぷりとある。
ボケていくのは、未練を少しづつ消していくことなんじゃないかな。
この世に未練がなくなれば、生に対してそんなに執着しないで済むしね。
ボケは楽に死ぬためにはいいかも・・・。
死を見届ける側は大変だけどね。
7年前、オヤジが死んだ時はへこんだけど、まぁ正直、ばぁちゃんが死んでもそんなに悲しまないと思う。
もちろんオヤジに対しての想い、ばぁちゃんに対しての想い、その記憶の量が違うってのもある。でもそれよりも、オヤジとオレはこれからもっともっとふたりで記憶を作ることが出来たのに、それを断たれたことがさらに悲しみを生むんだと思う。
ばぁちゃんとは、これからどう頑張ってもそんなに記憶を作れない。だから死に対してあまり感情移入出来ないんだろうな。
これはばぁちゃんの子供たちも一緒だと思う。いくら互いに培ってきた記憶があったとしても、片方がボケて、しかも記憶の共有が出来なくなれば、いくら自分の親でも悲しみは半減すると思う。
なんなんだろうね、同じ命なのに。
同じ親なのに。
死ぬタイミングによっては愛され続けもするし、ゴミのように扱われたりもする。
オレはまだ死にたくないけど、死に方はそろそろ考えよう−なんて最近思う。
ちなみにうちのばぁちゃんは、娘たちの家を定期的に循環しています。
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vol. 4
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嘘つき |
2001-11-26
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"一週間以内に更新します"と前回書きましたが、さて、何週間過ぎたでしょうか。
嘘つき江口です。
最近ではホームページ管理者も呆れて何も言わなくなってきています。
それがちょっと恐いのでさっそく前回の続きです。
身内を自宅で介護している人たちを対象に、とにかくリフレッシュさせようというイベントに参加しました。
介護を仕事としている人たちの前では、笑いによるコミュニケーション技法を伝授していますが、今回の場合はそんなものまったく必要ではありません。
ただ単に日常からの解放だけです。むしろ介護のことには一切触れないほうがいいと思いました。介護を忘れて腹から心底笑えればいいのです。
「こんにちは、みなさん。二十代の頃を思い出して下さい。とりあえずみなさんにも二十代があったんです。最初からしわくちゃだったわけではありません。中には数名そういう人がいたかも知れませんが。とにかく今日は、みなさんに青春時代に戻っていただきます」
参加者の中から一人選び、舞台に上げ、たたずむ二十代の老婆に青年(芸人)がナンパします。
「あれ−、今ひとり? これから食事でもしない?」
嫌がる二十代の老婆。強引に誘う青年。台本なし。すべてアドリブ。
「ところでいまいくつ?」
「は、は、ハタチ」
調子に乗る二十代の老婆。場内大爆笑。
そこへヤクザ風の芸人が二人現れ、
「おいおい、ずいぶんとかわいいねーちゃん連れてるじゃねーか」
「痛いめにあいたくなかったら、そのねーちゃんよこしな」
何のためらいもなく差し出す青年。
「おーい、いらねーのかよ」
「少しは抵抗しろよ」
首を振る青年。
でもなんだかんだ言っても青年と二十代の老婆は、バーテンダー(芸人)二人が待ち受けているお洒落なバーへ立ち寄る。
青年は二十代の老婆にとっておきのカクテルを注文し乾杯。
もちろん本物なんかあるわけない。すべて演技。アドリブ。
「そういえば、まだ名前聞いていなかったね。オレ祐介。君は?」
「ヨシエ」
「・・・ずいぶんと古めかしいね」
などと適当に会話をすすめていく。
ムードある会話へと展開した時、音楽が流れる。ムード音楽が本当に流れる。
「踊ろうか」
と、まったく踊れない芸人と二十代の老婆は音楽に合わせて踊る。
まったく踊れない二人。とにかくバカバカしい。
音楽が盛り上がったところで青年が強引にキス。場内大拍手。
とまあ、オープニングはこんな感じで、時間にして10分くらいですが、コントに参加してもらうのです。
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