「須之内 哲也の世界」〜もう一度会いたい〜 

                  須之内 哲也 sunouchi tetsuya  

 


 
vol.3
  手術、「哲ちゃんをおいては死ねない」
2007-12-17
 

6月1日、二人で病院に行き、入院の手続きをして、病室に入るとあらためて大変な事になってしまったのだと思った。看護婦さんが来て、色々と聞かれ、そして説明していたが、今日はそんなに検査もなく、心電図をとりに行った時、看護婦さんが「手術するのですか」と聞いたらしく、初美は「やっぱり手術するんだね」と言っていた。結婚して初美が入院するのは始めてなので、私は、心配で仕方なかったけれど、面会時間までいて帰ってきた。

6月2日、朝起きて、初美が心配で仕方なく、午前中に初美の病室に行き顔を見ると、不安そうな顔だったので「大丈夫だよ局部麻酔で痛くもないらしいから。」とは言ったけど、私の方が不安で仕方なかった。車椅子で、手術室に行くとき、初美が「行って来るね」と私の顔をじっと見つめるように言った。私も「大丈夫だよ、心配しなくても」とは言ったものの、心の中では怖かった。手術が終って、初美が病室に戻って来てから、「痛くはなかったけど、切っているのも分かるし、メスの音がするし怖かったよ」と言った。「そうか、でも痛くなかったから良かったな」と二人で笑いながら話していた。

そんな時、ナースステーションに私が呼ばれて行くと、耳鼻科の先生から、切り取った腫瘍の所を切り開いて、説明を受けた。先生は、「まだわからないけれど、簡単に取れてしまったので、おそらく悪性だと思う。良性だと、簡単にははがれない。」又、先生は「原発は胃か腸にあると思う。まだ病理検査に出さないとはっきりした事は言えないが」と説明された。私が「末期のガンですか」と聞くと、先生はうなずいていた。私はショックで、身体中の力が抜けて動けなくなってしまい、車椅子から落ちそうになってしまった。耳鼻科の先生が、私の身体を支えてくれながら「がんばりましょう」と色々と話しをして慰めてくれた。私は、すぐには初美の病室に入れず、しばらく病室の前で動揺している気持ちを静めてから入って行ったつもりだったが、初美は私の顔を見るなり、「どうしたの顔色真っ青だよ、先生に何て言われたの」と言ってきた。私は、「初美、外に出て話そうか」と言うと初美も「うん、」と言い、二人で病院の外にあるベンチに行った。私が「やっぱりガンだよ。胃か腸にも、あるらしいし。もしかすると、胃の方にあるガンは、手術するようになるかも」と話して、首の腫瘍は胃から転移したガンだとは言えなかった。

初美は「私は哲ちゃんおいて,死ねないよ。手術でも、なんでもするよ.」と言い、「どうして私が、ガンになっちゃったのだろうね。私が、一番長生きしなければいけないのにね。哲ちゃんや、親の面倒を見てやらなければならないのにね」と言っていた。初美と私は、病院の外にあるベンチで、二時間ちかくも二人で話していた。後は何を話していたのかわからないぐらいのショックと、初美に何をしてやったらいいのか、代われるものなら代わってあげたい気持ちと、不安な気持ちで、一杯だった。


 
 
vol.2
  動揺
 2007-12-12
 
 

その日の夜は、子供達にも、検査入院する事を話して三人で落ち込んでしまった。

それからは、子供達もガンに関する本を買ってきたり、借りてきたりと、少しでも知っておきたい気持ちで色々読んだりした。
どうしたらいいのか、毎日のように子供達と相談したり、一方、私は、初美に「大丈夫だよ」と、出来るだけ初美を励まし、本に出ている良い所だけ話して聞かせたりしていた。

初美は自分で調べたりするようなタイプではないから、今までもそうだが、すべて私に任せて、何でも私の言う事は聞いてくれるので、自分の病気のことも、私に「調べてね」と頼りきっていた。
私も、絶対間違わないようにしなくてはと、初美にとって、一番良い方法をとらなくてはと、不安な気持ちと、怖かったが、絶対に俺が初美を守らなければと思っていた。

5月29日、初美はまだ仕事に行っていたので、今日で会社を休ませてもらうように話をしてくることになっていて、いつものように、車で送って行き、初美が「行ってくるね」と言い、車から降りて歩いて行く初美の後ろ姿を見送っていると、なんだか体がひとまわり小さく見えた。
しばらく車を走らせる事が出来ず、初美が見えなくなるまで後ろ姿を見送っていた。初美は、自分の両親にはまだ黙っていようと言っていたけど、検査入院する事になったので、黙っているわけには行かなかった。

今朝行くからと昨夜の内に電話を入れておいた。初美を見送って、そのまま、内緒で初美の実家に行った。
儀父母に「今、初美がガンの検査している、6月1日から検査入院する事になった。
初美は、まだ黙っていてと言っていたけど、知らせに来た」と話したら、義父母も驚いていたけど、「知らせてくれて、よかった。」と言ってくれた。
「これからどうなるかわからないけど、又、報告するから」と話した。
「もしかしたら、手術する事になるかも知れない」とも言った。
義父母に「初美が居てくれたので、俺も生きてこられた」そして「俺は初美が居ないと駄目なあんだ」とも言った。
義父も「家だって、初美を頼りにしている」と言っていた。そして「大丈夫よ、哲ちゃんも、心配しょうだから」と義母が言った。
大げさに考えていなくて良かった。「俺も出来るだけの事はするから」と言って帰って来た。

夜、夕食が終って、初美に黙っていられず、「今朝、お前の実家に行って、両親に知らせて来た。」と言った。
初美が「哲ちゃんが、話したの」私が「うん」と言った。
「じゃあ、今、家に電話して自分で話して、心配しないように言っておくよ」とすぐ実家に電話を入れてしばらく両親と話していた。
けれど、ガンと聞くと、誰でも心配はするはずだ。
   

 
vol.1
  初美の病気
 2007-12−7
 

平成10年5月19日、夕方、いつものように車で初美を仕事場まで迎えに行き、
買い物があるからと途中で降ろした。
先に帰っていると、玄関を上がってくるなり、初美が「帰り道歩きながら気が付いたのだけれど、
首にしこりがあるんだよね」と、心配な顔して話し掛けてきた。
見ると左の首筋にしこりがあるのがわかり、
「明日はちょうど会社休みだから病院に行って見てもらおうよ」と話し合って、
その日はそんなに大変なことになるなんて思っていなかった。
5月20日、A病院の外科外来で診察すると、簡単な検査をして、
明日、耳鼻科に行って見てもらうようにと言われて帰って来た。

5月21日、耳鼻科外来で診察を受けて出てきた時に、
初美が「エコー検査をしている時に先生が家族構成を聞いてきたんだよね」
それで、「明日は家族とくるようにと言われたよ」と不安そうな顔で言っていた。
家に着いてから初美が「ガンだったらどうしょう」と言った。初美の不安な顔がすぐわかった。
その時は、私も「まだガンだと決まったわけではないのだから、
そんなに心配するなよ」と言ったけど、
私も心の中では心配だった。
すぐに仕事は辞めさせようと思い、説得するのだけど、
初美は「大丈夫だよ、仕事には行くよ」と辞めようとはしなかったので、
私はいつものように、朝、車で送って行った。
車から降りて初美が歩いて行く後ろ姿を見ていると、
淋しさと、ガンだったらどうしょうと、不安な気持ちで一杯になっていた。

5月22日、耳鼻科外来に前日も私は一緒に行っていたのだが
、今日は二人で診察室に入り先生からの説明を受けた。
大体の話から、もう「ガン」だと思いながら帰ってきたが、大変なことになってしまったと、
動揺していた。
5月27日、耳鼻科外来の診察室に、二人で入り、先日のエコー検査の写真を見ながら、
先生の説明を受けた。
「腫瘍が全部で4個あって手術で1個だけとって病理検査に出すから」と言われた。
「6月1日から4日まで検査入院して、2日に首の手術で、3日に胃カメラの検査で、
4日には帰れるから。
これからは耳鼻科と外科と検査がつづくことになる」と、耳鼻科の先生から、説明されて帰ってきた。
「きっとガンだねと」初美が言うし、私もガンだと思った。
初美とは今まで何でも、一つの事でも二人でしてきて、二人で一人のような生活だったので、
慰めや嘘でごまかしたくはなかった。
私は「ガンかも知れないな」と話して、二人ともショックで落ち込んでしまった。

                     



●vol4.  告知 「哲ちゃんは生きていなければダメだよ」
●vol5.  告知 病気でなかったらいいのにね
●vol6.  哲ちゃんありがとう


●vol7.  哲ちゃんの事を頼む・・

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