「須之内 哲也の世界」〜もう一度会いたい〜 

                  須之内 哲也 sunouchi tetsuya  

 


 
vol.6
  哲ちゃんありがとう
2007-12-31
 

6月10日、私と初美と次男で、胃カメラの検査結果を聞きに外科外来に行き待合室で待っていた。たまたま耳鼻科外来の先生と会って「今日は胃カメラの結果を聞きに来ました」と話したら、耳鼻科の先生が「ご主人が先に本当の事を、先生から聞きたいと、看護師さんに言って聞いた方が良いと」言ってくれた。私は、初美と次男に黙って、看護師さんの所に行き、「先に本当の事を先生から聞きたい」と話して、待っていると先生が来て、「胃ガンの末期です」とただ一言。そして行ってしまった。それから看護師さんが、1時間ぐらいモルヒネの話を長々と話して、私は「胃ガンで末期」だと先生から聞かされただけで、もう看護師さんの話は頭に入らず、早く初美の所に戻っていかなければ心配しているだろうと、思っていた。看護師さんの話はなかなか終らずに、初美が診察室に呼ばれたので、あわてて後から入って行った。

先生は三人の前では、「胃潰瘍があって、まだほかにも何かあるかも知れないから、10日間検査入院して」と言った。初美が「手術もするのですか」と聞くと、先生は「手術はする」と言った。そして私が「検査入院だけではなく、そのまま入院して、手術になるのですか」と聞くと、先生は「出たり入ったりは出来ない」と言われた。私達は黙ってしまったが、ベッドが空き次第入院する事になって、診察室を出た。

初美が「さっき、何処に行っていたの、心配したよ」と言ったので、私は「ごめん、ごめん」としか言わなかった。

初美が「会計して来るよ」と離れたので、次男に、「本当は胃ガンの末期」だと話した。次男は、顔色が変わりベンチに座りこんでしまった。次男も先生から「胃潰瘍で手術する」と言った先生の話を信じたらしく、胃潰瘍で良かったと思っていたようだった。

次男と二人で、「これからは、出来るだけ、明るくして、初美を支えて行こう」と話し合って、協力すると言ってくれた。

次男も初美が会計を済ませて来ると普段のようにしていたけど、顔色は変わったままだった。次男は会社の社長に、「今日の事を話してあるから」、電話してくると言っていた。

夜はいつものように、家族4人で病気の話も、「日帰り旅行に行こうか」とか、どうしたらいいのか、皆で笑いながら、話してはいるけど、心の中では心配で仕方なかった。

家族がそれぞれ出来ることをして、次男もガンに関する本を買ってきて、私にガンに関する民間薬の本を「これ読んで見る」ともって来た。その本に出ている民間薬を、早速取り寄せようと、私が、出版社に電話して、本に出ている民間薬の会社の電話番号を聞いたりしている時に、初美がそばに来て「哲ちゃんありがとう」と言った。私は「何言っているんだよ、皆でできる限りの事をするよ。家族で頑張ろう」と初美を励ました。

6月11日、前日の夜に、初美の実家から初美を泊まりによこしてくれ、と電話があり、「一晩だけ泊まってこいよ」と初美を送って行った。私は初美の淋しそうな顔が心配だったけど、これが実家に泊まる最後になるかな、と思いながら帰ってきた。

次の日は、心配で朝から迎えに行き、初美も元気にしていたので、安心して夜までいて、帰ってきた。

                             

 
 
vol.5
  病気でなかったらいいのにね
2007-12-26
 
 

6月8日、検査は午後からなので、私は午前中に、病院のケースワーカーの人に会い、色々と話を聞いたが、思うような話はなく帰ってきた。午後から初美と、検査と消毒に病院へ行ってきたけど、気持ちは落ち込むばかりだった。

6月9日、今日は病院も何もなく、二人でコーヒーを飲みながら初美が新聞を見て、「日本橋三越で絵画展をやっているから見に行きたい」と言うので朝から出かけて行き、車の中で初美が「お昼は友達夫婦と食べようか」言い、すぐ友達に電話すると、三越まで来てくれる事になって、初美は一人でデパートの中に入って見に行った。一人で行かせて心配だったけれど、友達が来るまで私は車の中で待っていた。友達も来てくれて、友人の家の近くまで行って、いつもの所で食事をした。食事中、私は気分が悪くなって、早めに帰って来た。帰って来るとき、車の中で初美は「自分で友達夫婦に、私がガンだと、話そうと思っていた」と言い、「又会えるのだから、その時話せばいいよ」と言い帰ってきた。初美の心の中は、もう色んな事を思って、すべて自分なりに考えている気持ちがわかっていた。

夜は夕食をしながら、子供達とも毎晩遅くまで話が尽きないぐらい、家族4人で明日の事も話をしていた。初美が「これで病気でなかったらいいのにね。家族がこんなにまとまって楽しく暮らせたらいいのにね」と、皆で出来るだけ明るく過ごしていた。

でも、初美と二人の時は、病気の話が多く、「大丈夫だよ。元気出していこうと言った」。初美には元気出そうなんて言っているけど、元気なんて出ないよな、不安な気持ちでどうしょうもないよなと、そんな気持ちだった。初美に不安な顔は見せられない、俺がしっかりしないと初美は怖いだろうしどうしたらいいかわからなくなる。初美は「全部、哲ちゃんに任せるよ。私は手術でも何でもするからね」と俺を信じきっていた。今までの生活もそうだったけれど、病気の事も私にすべて任せているし、俺が絶対に間違わないようにしないといけないと思っていた。

 
vol.4
  告知 「哲ちゃんは生きていなければダメだよ」
2007-12-21 
 

6月3日、午後から外科外来で胃カメラの検査があって、病室に戻って来て、初美が私に、「先生が画像を見ながら、大きな潰瘍があると言っていたよ」と話していた。外科の先生から、私も説明を受けたが、「胃にガンが見つかって、胃の方が原発で、まだほかにもあるかも知れないので、検査は腸も全部する」と説明を受けた。

看護師さんが病室に来て、話があるからと、三人で談話室に行き、これからの事や、もし他の病院に行きたければ紹介状を書くとか、色々と話してくれたけれど、良く頭に入らなかった。ただ聞いているだけだったが、ガンセンターに行く事も出来る、と言う意味だとわかった。

6月4日、午前中に、他の検査があって、終ると、外科外来に呼ばれて、胃カメラの検査結果を二人で聞き、初美の前では「大きな胃潰瘍が見つかった。まだこれから腸の検査もするから」と言い、6月10日に検査結果を説明するから、外科外来に来るようにと外科の先生は、初美の前では、ガンだとは言わなかった。けれど、初美も私も、もうわかっていた。明日からは耳鼻科で、首の切った所の治療で、毎日通院する事になって、退院の手続きをして帰ってきた。

6月5日 耳鼻科外来で、首の消毒が終ると、病理検査の結果説明があり、二人で説明受けたが、結果は「悪性腫瘍」これからは、外科になるからと言われて帰って来た。

初美も、私も、子供達も、元気がなく、食事はしたけれど、夜、私がベッドに入ってガンに関する本を読んでいると、初美が私の部屋に入ってきて、ベッドの脇に置いてある私の車椅子に座って、私の手を握り「哲ちゃん、私が死んだら一人で新しいお墓に入るのは寂しいから、お父さんが入っているお墓に入れてよね」と初美がいきなり言うので、私は「そんな事言うなよ、まだ死ぬと決まったわけじゃないのだから」と言い、私が「お前一人では死なせないよ、いつだって二人で一人のような生活をして来たのだから、死ぬ時も一緒だよ」と言うと、初美が「そんな事しちゃダメだよ、哲ちゃんは生きていなければダメだよ」と言われたけれど、そのときは本気でそう思っていた。

いつも、初美に「俺が死ぬ時は、お前に今まで、ありがとう」って言うからなと、話していたし、初美が、俺より先に死ぬなんて思ってもいなかった。

6月6日、病院に行くと、「8日の午後検査」「10日検査結果」「16日はMRI検査」と検査の予約が、どんどん決まっていった。

初美と私の実家にも、電話で報告していた。病院のケースワーカーの人にも、今後どうなるのか、話だけでも聞いてくる事にもなった。

6月7日、初美は会社に行って、「休みが長くなることを話してくるから」と言い、いつもの所まで、車で送って行きながら、私は「会社に迷惑をかけるから、辞めてこいよ」と言った。会社の人に話したら「辞めなくても、休みを長く取っていいと、言ってくれた」と、初美も会社を辞めなくて良かったのが、嬉しかったらしく「友達とお昼ご飯を食べてきた」けど、病気のことは、何も話さなかったと言っていた。


●vol1.  初美の病気
●vol2.  動揺
●vol3.  手術、「哲ちゃんをおいては死ねない」


●vol7.  哲ちゃんの事を頼む・・

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