U、何もない。自分達で作るしかなかった。
               ナース手作りの会社の誕生


営利追究ではないのに、自分達のやりたい看護があって、患者・家族もそれを求めているのに、白衣を脱いで病院の外へ飛び出し看護活動をしようと思ったときその方法がない。くやしい思いを持ちながらも生一本の性格の創設者は看護へのこだわりを核にして、何もない中から有限会社として一からの出発をした。いざ、本格的に在宅看護活動を始めてみると、現実は法の壁・経営の壁・社会的認知の低さの壁など厚い壁だらけであった。こんなに障壁が高いのになぜ挑戦しようというエネルギーが湧いてきたのか。作家の遠藤周作氏に背中を押されたということを、創設者の村松は語っているが、私はそれに加えてやはり、ボランティアという形であっても、在宅の場で必死に看護に取り組んで、そこに存在する看護の受け手のあるがままの姿にナースとしての魂が勇気づけられ看護の原点を認識できたのだと考える。


           
                 3、「看護婦さんのグループが会社をつくちゃった!」
                 患者・家族に強い味方 保・助・看法に制限あるが・・
                 1986年サンケイ新聞6月3日取材記事より一部抜粋
 
                                                                 
ベテラン看護婦ばかり4人が集まって会社を作りました。
病院勤務時代に危機を脱して退院していった患者のその後が気になってならなかったところから思いきって独立。
地域で、自宅療養している人たちの援助をしてゆこうというのが、会社設立の目的です。
自宅を訪問するシステムとしては、老人保健法にもとづく、寝たきり老人を対象にした行政サービスがありますが、民間では一部の病院で実践されているものの、看護婦だけで組織として乗り出したのは全国では初のケース。B
看護婦の「開業権」とともに高齢化社会を迎えて老人介護にも1石を投じる動きであるだけに、各方面に波紋を呼んでいます。

看護婦は「保健婦・助産婦・看護婦法」により医師の指示があった場合以外は医療行為をしてはならないと業務が制限されており、さきの胃管や尿道カテーテルの交換なども医療行為にあたり、厳密にいえば看護婦だけではしてはいけないことになるのです。
だからこそ、これまで病院や開業医師に雇われる形で働き、看護婦だけでは開業は成り立たないと考えられていたわけですが、「引き受けるのは主治医と連絡が十分にとれるケースだけに絞り、病院勤務時代と同様な医師との2人3脚による看護活動をしてゆきますから法律に触れることはない」と村松さんは解釈して事業をスタート。「まずは実積を作ることが先決。ゆくゆくは看護婦独自でできる仕事の枠をはっきりさせて行きたい」と意欲的です。

看護界の反響
これに対して厚生省看護課では「看護婦が医療行為に踏み込むべきかどうかについては、看護制度検討会では議論されているテーマであり、まだ結論はでていません。
だから現時点では看護婦は単独では医療行為はできないわけです。
その制限内で事業を可能にするためには患者紹介にかかわるドクターとの契約関係や引き受けた患者の責任問題など、もっと明確にする必要がある、と注文をつけておいたのですが…」と村松さんたちの独走に渋い表情です。

医療法人財団健和会の臨床看護学研究所の川島みどり所長は「体の清潔、栄養評価を含めた食事に関するすべて、排泄の世話一切などは看護婦が独自の判断でできること。胃管や尿道カテーテルの交換などもその延長線上にあるわけですから、看護業務としてみとめるべき。以前なら入院していたような患者が、管つきで、どんどん退院させられる今日。そのフォローを一体だれがお世話するのでしょうか」と現在の法律の「しばり」に疑問を投げかけています。
保・助・看法が施行されたのは昭和23年、旧態依然の法律が有能看護婦をしばり、時代の要請にこたえにくいのであれば、この際法律を直すことは、患者およびその家族の要求にもつながることではないでしょうか。

ますます必要退院後のケア
日本看護協会の金井竹子(訪問看護開発室長の話)「高齢化社会を迎えて、行政と病院だけで、カバーしきれないのは目に見えています。退院後のケアは今の医療からスッポリ抜け落ちている部分であり、その必要性は大いに認めます。
主治医から患者の病状を聞いて「こういうことをやりますよ」と確認したうえでなら、看護婦は単独で行動して構わないし、開業と言う形で十分、地域へはいっていけると思う。初のケースだけに、芽をつぶさないようサポートして行きたい。
     
                                               

アンダーラインBに対する看護界の反響を読んでいただきたい。今から考えても、ナースの出番を必要とする在宅でのニーズは当にあったにもかかわらず、いざ会社をつくって活動を始めた小さな組織に対して当時の公的な立場の看護職は、批判的であるのみでバックアップなど望む由もなかった。このことからも、看護界は社会的ニーズに目を向けず明らかに乗り遅れていたということがいえるだろう。


                 4、お年寄り、病人に看護の宅配
                   ベテラン看護婦の仲間が事業活動 いま50歳から98歳の7人
                   保険使えぬ家族負担が悩み
                   1986年朝日新聞6月7日取材記事より一部抜粋
 
家庭で看護の手助けを求める病人、家族に、心の通った看護を「宅配」しようと。東京でこのほど看護婦有志4人が勤め先を辞めてグループを組み、訪問看護活動を専業で始めた。
すき間だらけの在宅福祉を心意気で埋めていこう.という異色の動き。
老人患者を中心に7家族からの依頼を受けてさっそく看護に駆け回っている。
「高度医療が進んで、確かに救命される患者は増えました。でも、逆に障害を残しながら退院する人が、それだけ増えたのも事実。先進医療のかげで、フォローがなおざりに去れている人たちが多いことに、兼ねて疑問をかんじてきました」いちおう、有限会社の形をとったのは助成金をうけやすくするため、作家の遠藤周作氏が活動に共鳴し、関係している社会事業団体から援助資金をだしてくれることも決まった。
問題は、医療機関でないため、保険がきかないことだ。
訪問看護料として1回5千円(交通費込み)をもらっているが患者がかかるのはその費用だけではない。
たとえば、尿管1本3800円以上します。病院で管を入れてもらえば保険で済みますが、寝たきりの老人をその都度外来に連れ出すのは大変なこと。また訪問すれば最低限ガーゼや消毒薬は使います。これらも皆、患者・家族の負担にならざるを得ません。
国は、在宅へ帰せ帰せといっていますが、そこが改正されなければ空念仏です。
市町村が国の補助を受け、主として寝たきり老人を対象に保健婦を派遣。熱意のある一部病院が進めている訪問看護も看護婦不足で伸び悩みの状態だ。
最近は、訪問看護をうたったシルバー企業もいくつか出てきているが、村松さんたちには「業者に任せておいていいのだろうか」との気持ちがぬぐいきれない。
                                               


厚い経済的壁。何の経済的支えもないまま、退職金をはたいて有限会社を設立。看護を提供しその受け手から、直接報酬を得る。
きわめてシンプルである。しかし、日本においては、水と福祉はただ?とか。完全看護という言葉の残る病院看護。医療は誰もが受けられて当たり前。いろいろな意識が根強く残る中で、有料の看護に対しては、する側も受ける側も戸惑いがあり、現実は甘くはなかったはずである。
現に、自分自身も有料で看護を提供し看護料と自分の実力のギャップに
一人ではなくシステムの一員として活動しているにもかかわらず、少なからず抵抗があった。1992年になって、ようやく訪問看護が制度化された。訪問看護が保険適用になり経済的問題が一部解消された。
しかし、ナース集団に保険適用が認められたのはそれから、7年後のことである。そして、現在でも保険と有料部門を持ちながらも経済的安定という意味ではまだまだ奮闘が続く。



                5、「より良い在宅看護を探る」 元婦長ら4人でセンター設立
                  会員制でアドバイス セミナー開き、自主研究も
                  1986年読売新聞9月17日取材記事より一部抜粋

看護の専門家の知識と技術を、患者と家族のために役立てたい。日赤医療センター集中治療室(ICU)の元婦長で日赤中央短大講師も務めた村松静子さん(39)らベテラン看護婦4人が職場を捨てて在宅看護に取り組んでいる。
一部の病院が訪問看護に乗り出しているものの、まだ医療や専門ケアが届かない中で「孤軍奮闘」中。
一般の人たちとの意見交換会。看護婦を対象としたセミナーを開いてよりよい看護のあり方を求めて研究にも乗り出している。
医療現場では血圧測定一つとっても医師の指示必要とされており、彼女らは主治医と連絡を取りながら看護にあたっている。
しかし、床ずれなどについての医療の対応はおくれており、看護の立場からもどかしさを感ずることはしばしば。
そこで、詳細な看護記録をつけながら、医療のありかたを正したいと考えている。
同時に、医師・看護婦・患者・家族との間で卒直により良い姿をもとめていこうと月1回「心温かな医療と看護を語り合う集い」を主催し今月は「在宅療養上の諸問題にどう取り組むか」をテーマに選んだ。
「床ずれの処置だけでは、医師は往診にきてくれないし、また医師のやるべきことかどうか。皆で考えて一歩でもよりよい方向へ進みたい」と同センターでは参加者を募っている。

                                              

もともと社会改革が目的の活動ではなかったが、先駆的な活動を一般新聞が大々的に取り上げた3つの記事は、多くの壁に悪戦苦闘しながらも、ナースが行動を起こし、在宅で救いを求めているひとに対して看護を提供したパイオニアとしての活動を評価し好意的に報じてくれている。
そのおかげで会員の増加にもつながり、ジャーナリストにより細いくもの糸を投げてもらい「助けられた」ということが言えるだろう。



      T なぜ、訪問看護をボランティアで・・・
     U 何もない。自分達で作るしかなかった。〜ナース手作りの会社の誕生〜
     V 活動を続けるための苦悩と決断 シルバー産業の嵐の中で・・・
     W ジャーナリストからいただいた「開業ナース」の命名 その1
        ジャーナリストからいただいた「開業ナース」の命名 その2
     X 開業ナース 村松 静子
     Y 村松静子を支えた3人の男たち



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