W、ジャーナリストからいただいた「開業ナース」の命名
その2
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村松はあらゆる分野に看護の立場で発言を求められる機会が多くなるにつれて、なぜ小さな組織を一人で引っ張りその上看護界を代表して自分が・・・と考えたことはないのだろうか。ある講演の後、「私はピエロじゃない」とこぼしていたことがある。時にそんな心境になることも理解できる。しかし、思いから出発した活動の変遷は、模索を繰り返しながらも常に先を進んでいた。だからこそ、将来予測を含めた考えに説得力があり、常に実践から離れず、時代の波にも飲み込まれることなく歩みを進めることができたのだと考える。
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14、「参議院国民生活に関する調査会公聴会」
1994年5月18日 会議録第1号より一部抜粋
公述人として〜
(日本在宅看護システム株式会社社長・在宅看護研究センター代表 村松静子)
私は看護婦と言う立場で、きょうは在宅療養の実情とそこに求められる看護ということで話させていただきます。
実は私は昭和58年2月6日から、必要に迫られて医療行為を要する方たちのフォローをボランティアでしてまいりました。
本日は特に現在の在宅療養の実情さらにはそこでどんな看護が求められてきているかということをスライドを通して説明させていただきます。3事例を紹介。
高齢者のQOLというのが非常に最近うたわれておりますけれども、そのことを考えますと決して避けて通れないのが死だと私は思います。
高齢化、核家族化、女性の社会進出、一方においては医療がますます専門分化して高度化しております。そして、それらの荒波は在宅療養の場にまで押し寄せているのです。そのような中でより専門的な看護が求められてきております。
自分では歩けなくても、チユーブを装着していても妻と2人で旅行したい。あるいはせめて最後は我が家で。でも自分たちだけでは不安で。心配でできないんです。
それらの言葉の裏には病状に関連する知識を持っている誰かの支えが欲しいと言う願望が潜んでいるとおもわれます。
しかし、現実には死に近づけば、近づくほど必要な24時間体制のサービスは無に等しいと言っても過言ではありません。物から心への転換期を迎えた現代において、死が避けられない状態になったときでも、あるいは死の直前までもその人らしさ私らしさ、それらに目を向けられるそんな在宅看護の実践の重要性をひしひしと感じさせられる日々を送っている私でございます。
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ターミナルケアにおける看護の役割の重要性とそのサービスシステムが未整備であることを、実例をあげ、参議院公聴会の場で公述している。
あらゆる場において、現状を訴え続けたことが証明される。
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どこの国でも悩みは似ている
私がこれまでみてきた国の在宅ケアへの取り組みにはそれぞれの文化の違いがあった。アメリカの動きを横目に、一時、北欧の優雅さに気を引かれ、経済危機が襲うと、ドイツやオーストラリアに目を向けなおすわが日本。日本には日本の忘れてはならない文化があるはずだ。今こそ、日本独自の在宅ケアシステムを編み出すときである。その在宅ケアの1環である在宅看護に携わる一ナースとしては、まだ多くの国々に目を向けていくことも必要だ。福祉が進んでいると言われるカナダ、子どもや孫といつも一諸に生活したいとの願望が世界一高い韓国、高齢化が密かに進んでいるイタリア等々にも。しかし行き着くところはみな同じような気がしてきた私がいる。
どこの国でもどうしても打ち破らなければならない壁があるように思うからだ。
・経済危機をどう回避するか、どう乗り越えるか、そしてどう安定させるか
・国独自のサービスの種類・量をいかに揃えるか、その内容・所在をいかに収集するか
・個の選択権をどこまで、どのように与え、どのような形で尊重するか
・点在するケアの質をどうやって確保するか
・それぞれの人材をいかに確保するか
・関係法の見直し・改正をどのように行なうか
・官・民の一体化をどのように行なうか
・独自のシステム作りをどうやって図るか
以上、いずれの解決にも欠かせないことはいろいろな角度から将来予測をした上での計画的構築・実施・評価であろう。そして、それらの解決にあたって最も重要なことは、構築に取り組む人たちの心の柔軟性と真剣さ。さらには誠意である。
もう他国のまね事には限界がある。他人事ではないのだ。国民一人ひとりが自分のこととして参加し国民的論議を経て、いつでも、どこでも、誰でもが自分らしい生活を送れるような心温かな在宅ケアのシステムづくりに向け、一丸となって知恵をしぼり、専念しなければならないだろう。
どうなる?ナースの役割
諸外国の在宅ケアに目を向けナースの役割に着目すると、どの国においても徐々に変化してきているのがわかる。ナースにしかできないことは何か。ナースでなければならないのはどこか、それはなぜか。
在宅看護はこれまでの地域看護とは違う。公衆衛生に重きを置くだけではなく、施設内看護を在宅の場に変えて行なう看護そのものだからである。そこには、容態変化が伴なっている患者もいれば悪化傾向にある患者もいる。
ナースの判断能力が今後の看護活動の重要な鍵になっている。実力を示さなければならない時が来たのだ。
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多忙を極めながらも、毎年のように諸外国へ出かけて医療・看護・福祉を考えるため見聞を広め、外国のナース達と交流した。この記事に示してあるとおり、諸事情は違うけれど看護に対する共通の思いは変わらない。
私自身も、アメリカの研修に2回同行することができた。
そのときに出会ったアメリカナースは、在宅が発展してナースの力がアップしたと語っていた。在宅では良かったか悪かったか、その効果が明確。だからそこを改善すれば成長できると。エネルギーと開拓者精神が伝わってきた。
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