市民の眼 尾崎 雄 Ozaki Takeshi |
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2003年3月15日、私が勤務する仙台白百合女子大学の第4回生卒業式が行われた。カトリックのミッションスクールなので卒業式は賛美歌の合唱と神父の説教を中心に進められる。聖書の一節「一粒の麦、死なずば…」朗読に続いて仙台教区のカトリック司教が次のような説教をした。 「人間の一人一人は一粒一粒の麦が実を結ぶように、みんな違う。人々がみんな一緒に何かをするというのは間違いである。人間は一人一人、それぞれが自分のなすべきことをなすべきである」。それは、みんなで渡れば怖くない式の生き方をやめ、これからは「自らの『個』を貫く人生を歩め」というメッセージである。また、キリストが最期の晩餐のとき弟子たちにパンを与えながら「とって食べなさい。これは私の身体である」と言った一節を引いて、こう説いた。「あなた方はこれまで教員の身体(教え、経験)を食べて成長しました。だが、これからは自分以外の人たちに自分の身体を食べさせなければいけません。すなわち、自分の身体を人のために食べさせる人間を大人と呼ぶのです。歳を取っても人の身体を食べてばかりいる人間は大人ではありません」。世の「先生」と呼ばれるすべての人たちに聞かせたい言葉だ。 厳粛な儀式が終わると女子学生たちは黒いガウンを脱ぎ捨てて豹変する。ホテルの大広間で開かれた卒業パーティは色鮮やかな振袖、袴、パーティドレスの百花繚乱。招かれた教員たちは、女に変身した教え子たちの姿に戸惑い、「先生。一緒に記念写真を」と声をかけられて、我に帰る。宴の開会を境に学生と教員との間にあった壁は取り払われるのだ。 宴たけなわ、教員は舞台に上げられ1列に並んで花束贈呈を受ける。私は卒論を指導したAさんから花束を戴いた。彼女は私が所属する総合福祉学科で最優秀の成績を修めた学生の一人である。卒論テーマは「ターミナルケアで果たすべき介護福祉士の役割」だった。就職が内定した医療法人で研修を受けている最中だとか。就職内定率は80%を超えているが、まだ就職活動中の者もいる。彼女らを、私は「人生は長い。あせらずにスローライフで行こう」と励ました。珊瑚色のパーティドレスをキュートに着こなした一人は元気に答えた。「私、警察官になりたいんです。今年は試験に落ちたけれど頑張ります」。閉会時間が迫るころ「私を覚えていますか?」と、人間発達学科の一人が話し掛けてきた。私の「死生学」を受講したが、怪我で長期欠席していたNさんだ。看護学校の試験に落ちたという。怪我の後遺症が長引き心身ともに疲れている。病状と将来に関する悩みに耳を傾け、必要なら私が信頼する医師を紹介する、と元気づけた。華やかな女子大の卒業パーティには歓喜、解放感、希望、将来への挑戦そして不確実な明日への不安……と様々な未来が渦巻いている。その夜、私は教え子から貰った花束を大事に抱えて東京行きの東北新幹線に乗り、横浜の自宅を目指した。 「卒業は、それまでの自分との別れ」(司教の言葉)。私の3年間の大学教員生活は、このように終止符を打ったのである。
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vol. 1 草の根福祉の担い手
マドンナたちの後継者は? ●
vol. 4 ホスピス・ケアはアジアでも「在宅」の波? ●
vol.10 訪問看護婦、ホスピスナースは「ハードボイルド」だ!?
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