市民の眼        尾崎 雄 Ozaki Takeshi


 
vol. 6
  「恐い先生」と「やさしい先生」−東京女子医大の医療事故隠蔽事件のニュースから−
2002-1-12
 
 

 『看護婦さんが怖いから、あの病院は二度と入院したくない
東京に住む私の母は以前、ある有名病院で開腹手術を受けたことがある。
そのとき看護婦は手術後の痛みを抱える高齢の母を 『あっち向け、こっち向けと叱った』そうだ。
その後、母は再び大病を患ったが、娘の夫が勤める倉敷中央病院に行って手術をした。
新年早々、東京女子医大の医療事故が話題になったとき、母は『おっかない看護婦さん』の話を繰り返した。
言うまでもなく「二度といきたくない病院」とは東京女子医大病院である。
同病院は昨年3月、心臓手術のミスで少女を死亡させたが、死因を偽り、診療記録を改竄、厚生労働省・都の検査にも事故を報告しなかった。
「恐い看護婦さん」だけでなく、死因を誤魔化す「恐いお医者さん」がいて、それを病院ぐるみ隠してきた「恐い病院」である。

その母が『やさしい先生』と信頼する開業医がいる。脳外科医のT君だ。
医療ミスが社会問題になり始めた数年前、彼と後輩の医学生らと居酒屋で飲んだとき、彼は医学生にこう語った。
 『将来医者になって医療ミスを犯してしまっても包み隠さず、家族らに話すんだよ。
  実は俺は若いころ手術に失敗して患者さんを死なせたことがある。
  そのとき手術の一部始終を、ご遺族に正直に話し、心からお詫びした。
  すると、ご遺族は最後には
  "先生、この死を無駄にせず、腕を磨いて優秀な医者になってください"と言って
  許してくれたんだ

彼は、たまたま冷静で寛容な遺族に恵まれたのかもしれない。
だが、私は彼を通じて医師とはそういう人間だと思っていた。
父が夜中に倒れたときも救急車を呼ぶ前に彼に電話で助けを求め、指示を仰いだお陰で的確な手当てができたことを憶えている。
彼はいわゆる一流医大を出てはいないし、海外留学の経験もない。また有名ブランド病院の勤務医でもなかった。そして、人間だから欠点も少なくない。
だが、お年寄りに好かれ、女性にもてて、患者の家族に嘘はつかない「やさいしい先生」である。

 
vol. 5
  青年医師の決断  −ニューヨークのテロから学んだこと−
2001-12-7
 
 

 9月11日にニューヨーク・ワシトンで同時多発テロが勃発して、早や3ヶ月。1本のメールが届いた。あの日、同じホスピス視察団に加わってニューヨークで生死をともにした滋賀県の勤務医Tさん(40歳)からの便りだった。

私、栃木で開業をすることになりました。もう迷いません。やはり自分でやりたい。それだけです。NYから日本に帰ってきて、人生いつ何があるかわからないという思いを強くし、同時に自分の使命を感じ、やるなら今だと最終的に決断しました

私たちは、9月8日、ワシントンからニューヨークに移動する前日、ワシントンのエイズ・ホスピス、ギフト・オブ・ピースを訪ねた。マザー・テレサが1986年に創立した施設である。そのときT医師は衝撃を受けた。現地で行った対談記事から再録しよう。

驚いたのは、このホスピスは全く非営利でやっておられて、もともと生活保護など貧しい方を受け入れていることから、利用者の負担はなく、政府からの助成金もなく、収入がゼロということでした。すべてを寄付に頼っているのですが、一度も寄付を欲しいと対外的に言ったことはない。にもかかわらず、多くの寄付が集まり、数多くのボランティアが関っているのです。(中略) シスター・ビンセントを始めとする、そこにおられる方が目的を一つにし、高いミッションとマインドを持って働いている。ただ、それだけなのです。それが周囲から寄付を呼んだり、人を集めたり…。これには頭をガーンと殴られたような感じです
(『月刊地域医学』2001年10月号「アメリカ同時多発テロに遭遇して―私たちが学んだ『ホスピス・マインド』」より)

シスター・ビンセントとは看護婦を辞めてマザー・テレサの衣鉢を継いだカナダ人女性。エイズ・ホスピスの責任者だ。
T医師は、勤務医を続けるか、それとも自立して開業し、地域住民も自らも納得できるコミュミティ・ケアに取り組むべきか、悩んでいた。そんなときに天啓を受けてエイズ患者のケアに身を投じたシスターと出会い、自らのミッションを悟った。そして3日後、ニューヨークで世界貿易センタービルの爆破テロを目撃。2度も生命の危機に瀕して、明日の命の保証はないことを知り、決断を促された。そして帰国後間もなく、安定した勤務医の身分を捨て、自分の出番を求めている地域に飛び込んで開業することを決断したのである。

小児から高齢者までのプライマリケアと在宅医療、そして私がかかわっている特定非営利法人ひばり会など市民活動の支援を主な仕事にしていきます。開業地は宇都宮市の北西部、ろまんちっく村の近くです。開業時期は平成14年4月…

T医師はふるさとの滋賀県から第二のふるさと栃木県に妻と5人の子供を伴って引っ越すことになる。こんな青年医師が一人でも増えれば医療は市民のものになっていくにちがいない。

 

   
     シスター・ビンセント
      - ギフト・オブ・ピース -
     (
ワシントンのエイズ・ホスピス)
      

 



 炎上する
 世界貿易センタービル
 
vol. 4
  ホスピス・ケアはアジアでも「在宅」の波?
2001-11-2
 
 

 10月27日、大阪国際交流センターでホスピス・緩和ケア国際シンポジウム(主催・日本ホスピス・緩和ケア振興財団)が開催された。アジア諸国のホスピス・緩和ケアの状況を知ろうと駆けつけたところ予想以上の収穫を得た。とりわけシンガポール国立がんセンター緩和医療部シンシア・ゴー部長の「シンガポールにおけるホスピス・緩和ケアの発展」とアジア・太平洋ホスピス協議会ロザリン・ショー事務局長の「アジア・太平洋地域のホスピスの現状と課題」の両講演はわが国ホスピス・緩和ケアの行方を考える上で重要な示唆に溢れていた。

 両氏の講演によるとアジア各国のホスピス・緩和ケアの普及を阻む壁は医師および患者の家族がホスピス・緩和ケアに対して抱いている偏見である。例えば医師は癌患者の痛みに対して無関心を装い、患者の家族は医師が患者に真実をしゃべりはしないかと恐れて患者と医師の間に“見えない壁”をめぐらす。しかしシンガポールにおいてはそうした壁を崩してホスピス・緩和ケアが理想的な形で行われている。1つはスピリチュアル・ケア。多民族・多宗教国家であるシンガポールでホスピス・緩和ケアはキリスト教系病院によって開拓されたのだが、患者の信仰や宗派を問わず、どんな人でもホスピスに受け入れるよう努めて来た。仏教系やイスラム系のホスピスも開設されている。

さらに注目すべきことはホスピス・緩和ケアの普及が目覚しいことである。すなわちシンガポールでは癌死亡者の60%がホスピス・ケアを受けている。「日本の3%に比べると驚異的なカバレッジ」(柏木哲夫日本ホスピス・緩和ケア振興財団理事長大阪大学教授)だ。それは在宅ケアが普及しているためである。「在宅」普及の背景には医療費の効率活用がある。年間200万シンガポールドルの医療を使うと入院ホスピス(施設)では350人しかケアできないのに対して在宅ケアなら2000人をケアできる。こうした実績を政府に示すことによって政府を説得しホスピス・ケアを認知させてきたというのだ。 

ただし、そのためには家族が安心して患者を自宅で看ることができるようにする体制造りが欠かせない。まず輸液器具など在宅で使用可能な機材を患者に貸与し家族が使えるようにスキルを授けること。次に家族では手に負えないときはいつでも専門職が駆けつけるような24時間365日のサポート体制の整備である。このように政府とコミュニテイを納得させるホスピス・ケアを実践してきたシンガポール方式にわが国が学ぶ点は多いはずである。

実は、シンガポールのホスピス・緩和ケアの歴史は柏木哲夫氏が現地で講演したことがきっかけでスタートした。わが国は、アジアで最初にホスピス・ケアに取り組んだにもかかわらず、いまや、スピリチュアル・ケアと在宅ケアの面で“弟子”にあたるシンガポールに追い抜かれた。わが国のホスピス(緩和ケア病棟)は91施設と数こそはアジアで最も多いのだが、施設ケアに偏る歪んだ発展を遂げてきたからである。シンポジストの1人、志真泰夫国立がんセンター東病院緩和ケア病棟医長も「癌のケアの場は病院、ホスピス、在宅の三つのバランスが大事。その点、わが国は在宅が遅れている」と指摘。シンポ終了後、「個人的には施設中心から在宅へと政策の舵を切るべき時期に来たと思う」と語っていた。

 


vol. 1 草の根福祉の担い手  マドンナたちの後継者は?  
vol. 2 在宅ホスピス普及の鍵を握る専門看護婦に資格と社会的地位を
  
vol. 3 <NY“脱出”速報>


vol. 7 「9.11」のニューヨークから4ヶ月−生還者たちの様々な思い−
vol. 8 介護保険で介護負担感は軽くなったか?−サービス利用料が増えれば実感がわく?−
vol. 9 在宅ターミナル・ケア25年。先駆者、鈴木荘一医師の軌跡


vol.10 訪問看護婦、ホスピスナースは「ハードボイルド」だ!?
vol.11 車の片輪で走り出した高齢者福祉? 成年後見制度 日独の違い
vol.12 東北大学が生んだもう一人の先駆者、外山義氏の急逝を惜しむ

     日本の高齢者介護の改革を促した人間建築デザイナー


● vol.13  旅だち―ある女子大の卒業式にて 
● vol.14  大学教授になって11ヶ月目。急逝したAさんを悼む
● vol.15 「旬なスポット、六本木ヒルズ」は“バブル”の丘?


● vol.16 地域にホスピスの新しい風が吹く
● vol.17 
住民の健康を護る温泉町の保健師―水中運動ネットワーカーとして
● vol.18 「死の臨床の魅力」とは?


vol.19 「東京物語」が予言した“未来社会” の介護問題
vol.20 在宅医療から市民自身による「マイメディスン」へ
vol.21 人間の誕生から看取りまでするコミュニティケア

vol.22 介護予防に役立つ「非マシン筋トレ」。熊本県と北海道の実践から
vol.23 看護師が仙台でデイホスピス(在宅緩和ケアセンター)を開始
      一般住宅を借りて在宅ホスピスケアの拠点をつくる

vol.24 介護ロボットの開発に関心が薄い福祉業界

vol.25 医療政策を官僚から市民の手に――国の補助金で人材養成
vol.26 スウェーデンでも遅れている? 医師たちの痴呆観

vol.27 中越地震から1ヶ月――被災地の病院における危機管理


vol.28 災害医療と情報――危機管理の基本について
vol.29 ケアの主役は高齢者――愛知県師勝町の回想法を見て
vol.30 自分を騙すひと、騙さないひと


vol.31 「悪徳病院の悪徳医師」だったころ 
vol.32 医療の安全は患者参加によって進むか?
vol.33 ホスピス開設をめざす松本の尼僧


vol.34 言葉遣いについて―リハビリに通い始めて気づいたこと
vol.35 介護予防は保健師自立の起爆剤になるか?
vol.36 「良き伴侶」に恵まれるということ


vol.37 女性解放”の旗手、ベティ・フリーダンを偲ぶ
vol.38 ある開業医の物語『ドクトル・ビュルゲルの運命』
vol.39 「書を捨てよ、町に出よう」 在宅ホスピス元年に思いを馳せる新刊書


vol.40 いよいよ福祉の本丸にも改革のメス 「社会福祉法人経営の現状と課題」を読む
vol.41 年寄りの特権 古典「老子」の味わい
vol.42 もの盗られ妄想を抱いてしまったわたし


vol.43 イギリスにおける医師処分
vol.44 「10対100」体制が生き残りの条件? 訪問看護ステーションの行方

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