● 尾崎 雄 Ozaki Takeshi | |||||
1942生まれ。65年早稲田大学卒業、日本経済新聞社入社。札幌支社報道課、流通経済部、婦人家庭部次長、企画調査部次長、「日経WOMAN」編集長、婦人家庭部編集委員などを経て、日経事業出版社取締役編集統括。高齢社会、地域福祉、終末ケア、NPO・NGO関連分野を担当。現在、フリージャーナリスト・仙台白百合女子大学総合福祉学科教授・AID(老・病・死を考える会)世話人・東京大学医療政策人材養成講座2期生。著書に「人間らしく死にたい」(日本経済新聞社)、「介護保険に賭ける男たち」(日経事業出版社)ほかがある。
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市民の眼
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vol.47 |
鹿児島大学で「Dr.コトー」に会う |
2008-3-24 | |||
先週の土曜日、鹿児島大学で開かれた離島へき地医療人養成シンポジウムを聴きにいった。離島医療にこそ地域医療再生のヒントが隠れていると思ったからである。その収穫はあった。人気コミック『Dr.コトー診療所』のDr.コトーのモデルとされる薩摩川内市下甑手打診療所の所長、瀬戸上健二郎医師と親しくお会いできたからである。。 瀬戸上医師とはメーリングリスト「在宅ケアネットin鹿児島」でウエブ上の交流があり、同医師が離島の医療を担っていることは知っていたが、離島医療の人出不足とか辛さをこぼすようなメールは見たことがない。シンポジウムに先立って行なわれた瀬戸上医師の講演「現地指導医からの提言」にもそれは現れていた。 離島での医師研修の意義は「大学病院で欠けていることを提供すること」である。島に研修にくる研修医の中には血圧測定が出来ないものもいるという指摘がそれを雄弁に物語る。『Dr.コトー診療所』を読むと、Dr.コトーが島の診療所に赴任して最初の仕事は採血台を自分で作ることだった。 最大の仕事は島の人たちから信頼を勝ち取ること。コミック誌の主人公、「Dr.コトーは、ろくな医療機器もない島の診療所でありあわせの道具を活用して「ブラックジャック」並みの外科手術を次々とこなし、「今度の医者はホンモノ」という評判を取る。コミックだから誇張や脚色があるのだろうが、瀬戸上医師も外科手術には相当の自信があるから似たような“奇跡”をやって見せたに違いない。「農村医療の父」と呼ばれ、佐久総合病院を地域医療のメッカに仕立て上げた故若月俊一医師も、東京から当時「信州のシベリア」と言われた田舎病院に都落ちしたとき、外科手術の腕を駆使して村人の信頼を得た。 「風の人」である余所者が「土の人」である地元住民の信用を得なければ土地やムラを変えることは難しい。同志社大学・大学院の今里滋教授は、まちづくりNPOの理事長をしているが、「地元の人たちの信頼を得るためには酒席での放言は必ず守る」ことだと言い、それを実践してきた。 その点、医者は有利だ。人の命を助ける資格と術を身につけているとされている。「ロマンとヒロイズム」が、現在の日本に残っているとすれば、それは離島ヘき地医療に取り組む医師の職場ではないか。シンポジウムにはパネリストとして鹿児島大学医学部の女子学生が参加した。彼女は「離島へき地で実習すれば多くの学生がこういう仕事をしたいと思います。こういう働き方があるということを知らないのです」と語った。 鹿児島大学医学部は、学生に離島実習を義務付けている。そこで学ぶべきことは「島の住民、患者やお年寄りと話を聴いて、学ぶ」(瀬戸上医師)ことである。このことの大事さは海外で働く日本人医師もわかっている。アメリカの有名なメイヨー・クリニックからも日本人医師が研修にきた。瀬戸上医師が下甑島の診療所にきて5月で30年になる。67歳だが、まだ辞める気持ちはなさそうだ。
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vol.46 |
「誰が」から「なぜ」へ。 |
2008-1-29 | |||
東京大学の医療政策人材養成講座(略称hsp)を受講したのがきっかけで、医療事故訴訟の判決文を精読し、医療事故を多角的に分析する研究グループに参加した。その結果、警察の捜査による医療事故の原因調査とそれに基づく訴訟の判決は必ずしも妥当なものばかりではないということがわかった。警察捜査は「犯人」がいなくても犯人を捜す使命を負っているからである。 同じ誤りは病院もしている。医療事故が起きると院内調査と称して犯人探しに躍起となり、見つからなければ誰かを“犯人”に仕立て上げる。挙句の果て院内で立場の弱い若手医師や看護師たとえば研修医や経験の浅い看護師らが警察に引き渡される。「白い巨塔」は現実のことだと分かった。事態はもっと深刻で、現状のままでは「白い巨塔」化は進むような気がしてならない。 hspの医療訴訟グループでは、約100例の医療事故訴訟判決文を、さまざまな科の臨床医、看護師、危機管理の専門家、弁護士、医療寿ジャーナリストら10数人が精読する勉強会に加えてもらった。そこで、私が知ったことは以下の3点である。 @素人が見ても、人の命を預かる場で「こんなことも疎かにしているのか!」と驚くような初歩的な手違いやケアレスミスによって命が失われていること。A医療と医療機関の機器・技術および組織・ありかたが高度化・複雑化したため事故多発の組織変容が起きているにもかかわらず、その認識が甘く、安全管理が不十分である。B管理不在などによるシステムエラーで特定個人の責任を問うことは不当である事故が刑事捜査・刑法の対象とされて犯人探しに終始し、真の原因究明がないまま、事故再発が放置されている。このことを明示した判決文すら出ているのだ。 したがって医療者の意識改革と医療と司法のあり方に関する構造改革なしに医療事故の拡大再生産や自己保身による事故隠蔽は防げない。これが率直な感想である。 そこでhsp有志は昨年1月、(財)生存科学研究所内に医療政策研究班を立ち上げて医療の質と安全を向上させるための『政策提言 診療関連死の原因究明から始める医療安全』をまとめた。昨年末には与野党の国会議員、関係省庁、医療団体、医療関連学会、法曹界、ジャーナリストらに提出した。その骨子は、@国と独立した診療関連死の調査・原因究明機関を医療界が自ら作る。A警察が介入する前に、あらゆる診療関連死について中立・公正な立場から調査・分析して事故の根本原因を明らかにし、再発防止策の提言を行なう。Bこうした一連の作業は、医師・医療界が高度な専門職・集団として「自己の職業的行為を自ら厳しく律する」という意味でのプロフェッショナルオートノミー」の実践として行なう。 この提言は、医療者の自律・職業的責任をしっかり踏まえているのに比べると患者サイドへの配慮が希薄でパターナリズムの色合いを残しているものの、恣意的とされる医療事件への刑事介入に歯止めをかける効果が期待される。何よりも、いままで疎かにされてきた死因究明の第三者調査機関の設立を、臨床医が自分たちの問題として、世に問うことの意義は計り知れない。 1月14日、生存科学研究所は東京でシンポジウム「診療関連死とプロフェッショナルオートノミー」を開催した。「医療関連死の取り扱いをめぐる刑事司法の現状と問題点」(飯田英男弁護士)と「我が国の医療安全政策がかかえる今日的課題」(上原鳴夫東北大医学系研究科教授)という二つの講演に加え「提言」作成に携わった医師、看護師、弁護士、ジャーナリストによる報告とパネルディスカッションを行なった。参加者は160人。医療被害者の家族の切実な発言もあり壇上とフロアが一体となって議論が盛り上がった。とりわけ医療訴訟の被告となった医師が自らの体験を基に「ガラス張りの専門的評価と死因究明が紛争回避のポイント」と発言したことは印象的だった。むろん死因調査機関設立に反対する発言もあった。 医療事故・訴訟に関するイベントは、とかく、当事者間の対立や非難の応酬にスポットが当てられ、警察の過剰介入への反発など情緒的な視点や議論が支配的になりがちだ。それに引き換えこのシンポジウムは、医療者が医療事故を考えるもう一つの視点と基本問題を冷静に議論することの大切さに気づくきっかけになったことは間違いない。
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vol.45 | 医者とパイロット その共通点と違いは? | 2007-11-24 | |||
旅客機のパイロットと医師は人の命を預かる職業だが、その共通点と違いはどこにあるのか? 常々気になっていたら、旅客機の操縦かんを33年間握ってきた元国際線パイロットの話を聞く集まりがあるという。さっそく、早朝の7時半、銀座の喫茶店にかけつけた。その人は、飛行時間20,000時間、地球400周あるいは月往復20回に相当する距離を飛び、その間、機長教育の教員や国の航空局の査察操縦士も歴任したという石津晃氏(68歳)。63歳まで日本航空の機長をしていた。 |
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