市民の眼        尾崎 雄 Ozaki Takeshi


 
vol.12
  東北大学が生んだもう一人の先駆者、
              外山義氏の急逝を惜しむ
  日本の高齢者介護の改革を促した人間建築デザイナー
2002-11-21
 

東北大学工学部出身で本年度のノーベル化学賞を受賞する田中耕一さんは10月30日、仙台の母校に錦を飾った。それからちょうど10日後の11月9日、同じ東北大工学部出身で、仙台で人間形成の基礎を築いた人物が亡くなった。日本の高齢者施設というよりも高齢者介護のあり方に新風を吹き込んだ外山義(とやま・ただし)さんである。享年52歳。過労死だったらしい。

京都大学大学院の工学研究科居住空間工学講座を担当する教授。というよりもわが国で初めてほんとうに人にやさしい老人ホームを日本に創った建築家だった。日本初の全館個室の特別養護老人ホーム「おらはうす宇奈月」を手始めに「ケアタウンたかのす」、「風の村」など特養、老人保健施設、グループホームなど高齢者の尊厳を守ることを設計の第一目的にしたパイオニアワークを次々と成し遂げてきた。暗黒大陸である日本の高齢者福祉に建築家の立場から改革の突破口を切り開いた真のイノベーターである。2001年度の医療福祉建築賞を受けている。

私は外山さんの作品とは知らず竣工まもない「おらはうす宇奈月」を訪問。これこそ人間が住む施設だと感動し、初めて「外山義」の名を知った。その後、氏の講演やシンポジウムを何回か聞いたりした。一対一で話をお聞きし、優しさと知性溢れた人柄に直接、触れることができたのはたった1度、30分そこそこの時間だったが、その偉大な足跡と今後の期待の大きさに比してあまりにも早く死が訪れたことに衝撃を受けた。11月15日に行われた葬儀の会場は東京・信濃町の日本基督教団信濃町教会。私は定刻の2時に到着したが、チャペルはすでに満席。溢れた参列者とともに別室の第3会場に通され、式の様子は館内テレビで見なければならなかった。

イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受けるときが来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ」。司式牧師はヨハネ福音書12章23−24節を読み上げたあと、故人の魂の足跡を簡潔に紹介した。故人は岡山県に牧師の子として生まれた。東北大学建築学科に進み在学中は学生YMCA寮で生活。同大学生聖書研究会に通い、「聖書およびキリスト者の社会的責任」について学びを深めたという。生涯の伴侶、真理さんとも仙台で出逢った。

牧師の話の中でいちばん響いた言葉は「信仰のアイデンティクライシス」である。故人は牧師の子として「親から与えられた信仰」とそうではない「私自身の信仰」の狭間で葛藤し、自己決定に迫られたそうである。その後、彼が人間の尊厳を重んじることを建築設計の第一目的とする道を選び、実践していくことになった出発点は、そこにあったのだと私は感じた。20代の初めに精神の危機を克服し、信仰のアイデンティを獲得した。その試練が、建築という専門性を手段にして「キリスト者の社会的責任」を果たす道を歩む契機になったのではあるまいか。

卒論は「高齢者住宅の研究」。1982年、家族とともにスウェーデンへ。同国王立工科大学で高齢者住環境を研究してPh.Dを取得。1989年帰国、国立医療・病院研究所の地域医療施設計画室長、東北大学大学院教授を経て1998年、京大大学院教授に就任した。年を取っても、人は、同居人に気兼ねするような特養の雑居部屋でなく「住み残りたい家」に住めるようにすべきである。故人は「当たり前のこと」が当たり前になるような社会の実現を目指し、その途上に倒れた

弔辞は山崎史郎厚生労働省大臣官房参事官。医療・福祉行政の失敗を率直に告白し、それを悔いて公衆を前に涙することもある官僚である。彼はこう述べた。「日本に初めてグループホームを紹介。(お年寄りの尊厳を守る)設計を外山方式として全国に広めようと寝食を忘れて日本中を駆け巡った。ある日、なぜそんなにも頑張るのですかと尋ねたら“オイルサーディンのように施設に詰め込まれている、日本のお年寄りの姿に我慢できないから”と漏らしていました」。外山さんは、年を取ったら施設の雑居部屋で息を潜めて暮らさなければならない日本の福祉のありように義憤を感じ、建築という技術とツールによって「年齢を問わず誰でも自分の居場所を持てる社会」(山崎氏)の実現を目指して献身し、果てたのである。ようやく国はこれからつくる特養は個室にしなければならないよう決めた。当然のことである。

「彼は一粒の麦として、若い人も、そうでない人も、同じ道を歩む人を待っている」。牧師は、あまりにも短く、あまりにも突然の死を悼む参列者らに、そう語りかけて説教を締めくくった。献花の列は1時間も続いた。

その社会と時代がもっとも必要とする、かけがえのない人物に限ってあっけなく世を去る。不条理である。全き義人ヨブならずとも神の所業に疑いを持ち、抗議の声を上げたくなるときである。   

                             (2002年11月20日、仙台にて、尾崎 雄)

 
 
vol. 11
  車の片輪で走り出した高齢者福祉? 成年後見制度 日独の違い
 2002-9-23
 
 

 社団法人成年後見センター・リーガルサポートは、このほど東京で国際シンポジウム「日本
とドイツの成年後見制度」を開いた。ドイツは介護保険の実施に合わせて、お年より、知的発
達障害者や精神疾患の人たちのために世話法を実施した。日本の成年後見制度は、これに
ならった。同制度は判断力が不十分なため財産侵害を受けたり、人間としての尊厳を損なわ
れたりすることがないように、家庭裁判所が法律面や生活で支援する人物を指定して支援す
る仕組みだ。介護保険が主として身体の介護を支援するのに対して、こちらは契約など法律
面でのサポートをする。
後見(世話)制度は、英語ではCare(身体介護) and Assistance(法的行為の補助)
。つまり痴呆症の老人や判断力の衰えた人にかわって法律面での手助けや代理行
為をしてあげる。例えば老人ホーム入居契約や精神病院の入院の同意や拒否などお
年よりや知的発達障害者・精神疾患患者らの法的行為の代理などだ。こうした「介護」
と「補助」はこれまで家族が担ってきたのだが、家族が崩壊したため社会的な仕組みとしてド
イツに世話法が,日本に成年後見制度ができたわけである。
ところが制度の現状をみると日
独の利用状況は大違いだ。

 シンポジウムに参加したドイツ人の専門家によると、ドイツで世話法を利用している人の数
はおよそ100万人。ドイツでは日本の後見人にあたる世話人に対する報酬を国家から支給
しているため、その費用が国家予算を圧迫し大きな問題になっているという。それに対して
わが国では後見制度を利用しているお年よりらの数は推定1万人から2万人程度。実施後
10年を経たドイツに比べ日本は実施後2年と歴史が浅いとはいえドイツの総人口8500万人
に対して日本のそれは1億2000万人。人口比でみても日独の利用率の格差は大き過ぎる。
一説によると「こうした世話・後見制度の利用者は総人口の1%が妥当」(新井誠筑波大大
学院教授)。それが正しければわが国の後見制度の利用者は120万人はいてもいいはずだ
。日本のお年よりはドイツ人のお年よりに比べて法律や契約に詳しくボケても金銭や財産の
管理をきちんとやっていける人が多いのだろうか? そんなはずはない。この日独の差につ
いて、シンポジウムではいろいろな意見が出た。いわく「ドイツ人に比べて日本人は裁判所
が嫌いだから」、「いや日本でも成年後見制度ができる前にその役割を果たしていた禁治産
制度にくらべれば制度利用者は飛躍的に増えた」、「日本人は財産をたくさん持つ親でない
と面倒をみないからではないか」、「"後見人"という言葉がわかりにくいからだ。英語のケア
とアシスタンスの代理人を指す"世話人"なら誰でも意味がとおり制度が普及しただろう」、
「利用しようとしても手続きが面倒なうえ時間と費用がかかりすぎる」また「周囲が後見人を
世話しようとしてもお年よりや患者本人がいらないと断るからではないか」といった意見も。
その中でいちばん納得できたのは「一般の人は成年後見制度についてその存在を
知らない」という意見だった。
統合失調症のお年よりの後見人をしているある司法書士は
「成年後見制度に関する情報提供は介護保険制度のそれと比べて圧倒的に少ない」と指
摘した。知らないものは利用しようがない。介護保険と成年後見制度は家族なき時代の
高齢者福祉を支える車の両輪のはずだが、現在のところ、わが国のそれは両輪では
なく一輪車で走り出したようである。

 
vol. 10
  訪問看護婦・ホスピスナースは「ハードボイルド」だ!?
2002-7-10
 
 

  知り合いの医師(女性)からこんなメールを戴いた。最近の医療事件について触れたあと「医療ミスを隠蔽する体質の医療界に改革が必要ですし、またマスコミや警察の、医療に対する攻撃や、そこには明らかに嫉妬がある、ということも、見抜いていく必要がある」と。私は元マスコミ人。「警察の嫉妬」はともかく、マスコミの医療に対する「嫉妬」の意味が分からない、と問い返した。  

マスコミの医療に対する「不信感」なら分かるのである。私自身、訪問医療や在宅ホスピスに献身する多くの看護婦・医師・介護福祉の方々とのお付き合いが広く、深くなるにつれ医療界本流の医師・医療機関に対する不信感が年々募ってきた。強まる医療不信。それは医療人・医療業界人をのぞく一般の人々の偽らざる生活実感である。それを「嫉妬」と感じるところが医療人の医療人たるゆえんかもしれない。メールを戴いた医師とは米国の「同時多発テロ」を同時体験し、気心も知れた仲間だと思っていた方だっただけに驚いた。それほどまでに医療人とそれ以外の一般人との間には深くて暗い河が流れているのか、と。それは男と女の関係、もしかしたら夫と妻の関係に似ているのかもしれない。

 先日、「介護福祉」のパイオニアとして在宅ホスピス活動に取り組んでいる日本ホスピス・ホームケア協会(本部大阪市)の創設者、黒田輝政氏にお会いした。ある介護雑誌に紹介するためである。在宅ホスピスでの全人的ケアは医師と看護婦だけでは完成しない。生活支援あってこそ人間の人生と生活といのちの質を維持・向上することができると主張する。10数年前からホスピス的ケアができる2級ヘルパーを独自に養成し、医療・看護と連携して市民の手で在宅ホスピス活動を実践してきた先覚者である。そのひととなりを一言で表現すれば「ハードボイルド」だ。

「タフでなければ生きていけない。やさしくなければ生きている価値がない」。レイモンド・チャンドラーのハード・ボイルド小説に登場する一匹狼の探偵、フィリップ・マーロウの生き方そっくりなのである。

 「権威をかさに威張る輩が大嫌い」。小泉総理が厚生大臣だったとき対談相手に招待されたが断ったという伝説の持ち主だ。「無法松の一生」の舞台となった北九州・小倉の出身。61歳まで勤めあげた大阪朝日新聞では上司にとって使いづらい記者だったろう。新約聖書の「善きサマリア人」を読んで身震いするほど感動して在宅ケアにはまった。追いはぎに半殺しにされた旅人を救ったサマリア人と同じようなことを自分もしなければならない、と。しかし、それを、この世で実行するためには優しさだけではやっていけない。肉体と精神がよっぽどタフでなければならない。黒田さんは今年77歳だが、新聞記者現役当時と変わらぬほど足は達者。在宅ケアを担うケアワーカーによると口は悪いが根は優しい。患者のためには採算を度外視して家族よりも心のこもったお世話をしてしまう。経理担当者は頭が痛いだろう。

在宅医療や在宅ホスピスで活躍する訪問看護婦もハードボイルドで頑張っている。タフでなければやっていけないし、やさしくなければこの仕事を続ける意味がないからだ。ハードボイルドの原意は固ゆで卵。殻をむけば艶々ときめの細かい白身の肌が光るが芯は硬い。在宅の荒野を目指す看護婦や医師に私はこれっぽっちの嫉妬も不信感も抱いていないのである。

 

 


vol. 1 草の根福祉の担い手  マドンナたちの後継者は?  
● vol. 2 在宅ホスピス普及の鍵を握る専門看護婦に資格と社会的地位を
  
● vol. 3 <NY“脱出”速報>


vol. 4 ホスピス・ケアはアジアでも「在宅」の波?  
vol. 5 青年医師の決断  −ニューヨークのテロから学んだこと−
vol. 6 「恐い先生」と「やさしい先生」 −東京女子医大の医療事故隠蔽事件のニュースから−


vol. 7 「9.11」のニューヨークから4ヶ月−生還者たちの様々な思い−
vol. 8 介護保険で介護負担感は軽くなったか?−サービス利用料が増えれば実感がわく?−
vol. 9 在宅ターミナル・ケア25年。先駆者、鈴木荘一医師の軌跡


● vol.13  旅だち―ある女子大の卒業式にて 
● vol.14  大学教授になって11ヶ月目。急逝したAさんを悼む
● vol.15 「旬なスポット、六本木ヒルズ」は“バブル”の丘?


● vol.16 地域にホスピスの新しい風が吹く
● vol.17 
住民の健康を護る温泉町の保健師―水中運動ネットワーカーとして
● vol.18 「死の臨床の魅力」とは?


● vol.19 「東京物語」が予言した“未来社会” の介護問題
vol.20 在宅医療から市民自身による「マイメディスン」へ
vol.21 人間の誕生から看取りまでするコミュニティケア

vol.22 介護予防に役立つ「非マシン筋トレ」。熊本県と北海道の実践から
vol.23 看護師が仙台でデイホスピス(在宅緩和ケアセンター)を開始
      一般住宅を借りて在宅ホスピスケアの拠点をつくる

vol.24 介護ロボットの開発に関心が薄い福祉業界


vol.25 医療政策を官僚から市民の手に――国の補助金で人材養成
vol.26 スウェーデンでも遅れている? 医師たちの痴呆観

vol.27 中越地震から1ヶ月――被災地の病院における危機管理


vol.28 災害医療と情報――危機管理の基本について
vol.29 ケアの主役は高齢者――愛知県師勝町の回想法を見て
vol.30 自分を騙すひと、騙さないひと


vol.31 「悪徳病院の悪徳医師」だったころ 
vol.32 医療の安全は患者参加によって進むか?
vol.33 ホスピス開設をめざす松本の尼僧


vol.34 言葉遣いについて―リハビリに通い始めて気づいたこと
vol.35 介護予防は保健師自立の起爆剤になるか?
vol.36 「良き伴侶」に恵まれるということ


vol.37 女性解放”の旗手、ベティ・フリーダンを偲ぶ
vol.38 ある開業医の物語『ドクトル・ビュルゲルの運命』
vol.39 「書を捨てよ、町に出よう」 在宅ホスピス元年に思いを馳せる新刊書


vol.40 いよいよ福祉の本丸にも改革のメス 「社会福祉法人経営の現状と課題」を読む
vol.41 年寄りの特権 古典「老子」の味わい
vol.42 もの盗られ妄想を抱いてしまったわたし


vol.43 イギリスにおける医師処分
vol.44 「10対100」体制が生き残りの条件? 訪問看護ステーションの行方

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