医師として、武士として 安藤 武士 Andou takeshi |
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vol.24
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評 価 | 2006-2-14 | ||||
伊達騒動
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vol.23
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漢字の日 | 2006-1-5 | ||||
「愛」 「愛」という言葉について考えた。考えたといっても哲学的に思考した訳ではない。小生がいつごろ話題にした言葉なのか考えただけである。英語の講義であることを思い出した。今から40数年前である。「愛」にはloving- kindnessとloveがあり、前者は、おもいやり、親愛、情け、神の慈愛という意味で用ちいられる。後者は愛情、恋、恋愛という意味が濃く、「愛している」と口からでる「愛」は後者で、正確には「あなたを恋している」、「好きだ」というべきであるという。文字の「愛」は、「恋愛」や「恋」とは異趣の感を受ける。英語、米語はきめの細かさに欠ける感があるが、身体表現で補って目的を果たすという。以上は、英語の教授から講義で教えられた。 講義に用いられた教材は 、ウイリアム・サマーセット・モーム(William Somerset Maugham)が45歳のとき上梓した「月と六ペンス(The Moon and Sixpence)」である。放浪のすえタヒチで最後を迎えたフランスの画家、ゴーギャンの一生をモデルにした小説であることは、読者はすでにご存知じのことである。早速、世界文学全集(昭和40年、中央公論社発行)から中野好夫氏の訳になる「月と6ペンス」を開いた。 主人公は英国人チャールス・ストリックランド。仕事は株の仲買人。彼は、40歳で突然、平穏な家庭をすてパリで独り暮らしを始めた。ミセス・ストリックランドのエミイや周囲の人は、女性と駆け落ちしたと騒いだ。真相を知るため、作中、語り部として登場する作者のモームはパリに向かった。ストリックランドを探し出した。以下は、モームがストリックランドとパリで交わした会話である。 「ねえ、あなた、ぼくらをそうみくびるものじゃありませんよ。あなたがね、女の人と一緒に来ているくらいのことは、ちゃんと知ってますからね」 「お目にかかりましたがね。どうやら、絶対におかえりにならないつもりですねえ」 ストリックランドは、「芸術の創造」を生きるための糧とし描き続け、タヒチで非業の最後を迎えた。捨てられた家族は、彼の「絵」で満たされた生活を送ることができた。小説の題名「月」は崇高なもの、「6ペンス」はとるに足らないものという意味に解されている。ストリックランドにとっては「芸術の創造」が崇高のもので、彼が捨て去った「愛」などはとるに足らないものなである。 小生は、人にとって大切なものは「愛」と言って間違いないと思うが、中年のストリックランドの「崇高を求める魂」に強烈な憧れを感ずる。小生も、まだやりたいことがある。もう「ストリックランド」になるのは無理なのだろうか。親しい友人に話したら、そうゆうことを「ないものねだり」と言うの、と軽くあしらわれた。
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vol.22
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5年後の告知 | 2005-12-2 | ||||
小生のコラムには「思い出」が多い。"あす"の話が少ない。精神生活が停滞しているためであろう。詰まるところ、精神の老齢化のためといってよい。"とし"は昔ばなしを多くする。くどくする。「その話、聞きましたよ」と、相手がいっても、平然と話し続ける。
「ほとんどの人は、永く生きたようなつもりでいながら、じつは語るに足るほどの体験は数件ほどもない。短編小説として搾りとれば、三篇もできあがらない。後は日常の連続で、習慣と条件反射で人は暮らすのである。娯楽のすくなかった江戸期の農村のひとびとも、四十になれば自分の過去のできごとをくりかえし語って、死んで灰になるまで、語りつづけたはずである。もっとも当時はのどかで、『また、長六どんの十八番(おはこ)がはじまった』と笑いながら、きいてくれたかもしれない。(略) 老人としてくりかえすが、一個の人生は、ヤマ場だけいえば、数個のカセット・テープでしかない。しかし、感受性がゆたかであれば、世界と社会ほどおもしろいものはない。きょう一日の新聞だけで、無数の劇場を提供してくれているのに、私どもは無感動でいるだけである。」 小生は、"カセット人間"になることをことのほか恐れる。司馬氏の教えに習い新聞を読み、本を開き、人と会い議論をし、自身の研鑽に励んでいる積もりである。 小生のコラムの「思い出」には、何時も何かしら枕話がついている。"カセット人間"ではないと"りきん"でいるのである。結局、枕話はつけたしでありコラムは「長六どんの十八番(おはこ)」になってしまっているのではないかと不安な気持ちでいる。"十八番"が"十八番"で終わらないために"十八番"に、むりやり「普遍性」らしき話を押し込んでいる。これも、司馬氏から教わったことである。 枕話は、これで終わる。以下の文章とは関係ない。本題に入る。主題は「告知」である。よかれと思って伝えた一言が、一人の女性の人生を激変させた話である。始める。 小生の大学時代の友人であるM君にまつわる話である。住まいも近く、互いにスポーツをやっていたこともあり、仲が良かったのかどうかわわからぬが始終会っていた。いつも、口角に泡を飛ばし書生論を戦わしていた。 M君が、卒業まじかに"女性"と暮らし始めた。小生も知る人で、"すばらしい"という表現がすべての女性であった。時折、二人のアパートに招かれた。卒業試験、インターン、国家試験、初期研修、関連病院勤務など、互いの環境の変化で連絡が途絶えた。M君は、勤務医の道を選んだ。小生は大学に腰をすえた。M君の女性が「子宮ガン」の手術を受けたことを知人からきいた。 M君が、ピアノを習っているという。音楽とは無縁であったはずのM君の心境を尋ねた。女性の顔が曇った。空気が重くなった。話題を捜した。暫くして、M君が口を開いた。 今月で、手術を受けてから5年過ぎた。子宮筋腫と言っていたが、子宮頚ガンで、子宮、卵巣、リンパ節、付属組織を全部取る手術をした。転移はなかった。5年すぎるまで結果は分らないので、黙っていた。安心した。もう大丈夫だ。M君は興奮してしゃべった。女性に伝えたかったのか、自分が苦しさから開放されたかったためなのか分らなかった。 俗に5年経てばと安心と言われている。良かった。小生は、杯を手にし、女性に目をやった。女性に笑顔はなかった。顔はこわばり目を細くし一点を凝視していた。瞬きもしなかった。状況がつかめなかった。女性はかぼそく何かをささやいていた。次第にささやきが涙声になった。聞こえるようになった。 小生は、どのような状況でM君の家を離れたか記憶にない。雪降る中、数時間かけて帰宅したことだけは覚えている。女性の気持ちを、来る日も来る日も、繰り返し繰り返し考えた。数ヶ月後、大学に戻る時期がきた。M君の家での出来事は、次第に記憶から薄れていった。 知人が、M君は"女性"と離婚し,ピアノの先生と家庭を持ち、子をなしていると教えてくれた。「告知」は、事実を告げるだけのものではないことを勉強した。「告知」は、弱者を作ることを勉強した。「告知」は、思いやる気持ちが欠かせないことを勉強した。 「告知」は、難しいことを勉強した。それを言いたかった。
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vol. 1
医療の質 vol2 医療の質−その2 vol3
医療の質−その3 ● vol. 4 医師の心 vol5 医師の心−その2 vol6 看護婦さん ● vol. 7 インターネット vol.8 職名 vol.9 戦争倫理学 ● vol.10 旬の過ぎたはなし−「ノーベル賞」 vol.11 「倫理」の変遷 vol.12 赤十字とナイチンゲール ● vol.13 刑法第134条 vol.14 素人の教育論 vol.15 格付け ● vol.16 流行 vol.17 災害医療 vol.18 無題 ● vol.19 シーベルトの娘:看護婦資格制度の黎明 vol.20 ユ・カンナラちゃんを偲ぶ vol.21 心蘇生 ● vol.25 人体標本の値段 vol.26 NBM:医療概念の変遷 vol.27 文化の日 ● vol.28 喫煙と終末期医療 コラム(安藤武士)に戻る |
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