医師として、武士として 安藤 武士 Andou takeshi |
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平成16年の喫煙率は、男性43%、女性12%と報道されている。欧米諸国と比べかなり高い。長年、愛煙家と嫌煙家のバトルが続いている。現在、愛煙家に不利な情勢であるが、実感としてタバコを吸っている人はもっと多いと思っている。 小生は7、8年前の数年間、禁煙推進活動に携わった経験がある。愛煙家と嫌煙家の"タバコ"に対する意識がかなり異なることを知った。嫌煙家の代表である禁煙推進活動家は、タバコがいかに健康に悪いかを強調し、愛煙家の無知を謗る。3大有害物質はタール、ニコチン、一酸化炭素、他に有害物質は200種類以上含まれている。止められないのは意思が弱いのではなく、ニコチン依存症という病気のためです。治療しなさい止めなさいと攻める。愛煙家は、そんなことは知っている。嗜好の問題である。嫌煙家のお節介をは撥ね付ける。かつて議論された日本と欧米の"捕鯨議論"と同じである。 議論がかみ合わないのは当然である。 小生の喫煙は、30歳頃より5,6年続いた。紙巻タバコ、葉巻、パイプタバコ、ライター、モールなどのタバコグッズなど色々楽しんだ。所属大学の研究室ではパイプが流行していた。バラの根のパイプが本流であるが、コーンパイプというものもある。戦後、連合軍総司令官マッカサー元帥が愛用したパイプである。研究室では、暇さえあればパイプの形、光沢、色合いなど自慢しあい一時を過ごした。小生は、気管支炎に罹り錆色の痰をみて止めた。 平成15年、「健康日本21」を推進するために策定された「健康増進法」に禁煙推進が盛まれた頃より、一気に愛煙家の旗色が悪くなった。国は抵抗勢力のため禁煙推進ではなく分煙に方針を切りかえた。今日、多くの公共施設で分煙化がすすんでいることはご存知のことと思う。しかし、分煙と禁煙は次元の異なる問題である。 小生は、禁煙推進派であるが「禁煙しなさい!」とは言わないことにしている。声高に言っても、理由はどうあれタバコを吸う本人の意識が変わらなければ止めさせることは出来ない。ニコチン依存に対する治療を受け禁煙に成功しても、何かのきっかけで多くの元愛煙家は喫煙を再開してしまう。麻薬中毒と同じで断煙は極めて難しい。 小生はタバコに限らず、"依存症"は満たされない心を"何か"で満たそうとすることが本質で、終局的には"心"の問題と思っている。"何か"が反社会的の行為であれば問題となり、そうでなければ褒められる。"仕事好き"、"ワークホーリック"を謗る人はいない。 さて、このコラムは分煙、禁煙、薬物依存について議論することを目的としていない。新年早々、小生の関係する禁煙指導家を養成する組織のインターネットのメーリングリストに、「タバコを止められない肺がん末期患者にタバコを止めさせるべきか?」かという問題が掲載されていた。寄稿者は、禁煙運動推進指導家として関係者の間に名を馳せている若手の医学者である。 医学者の結論は、「タバコは健康に悪いのであるから悪いものは悪いと、健康を悪化させないよう働きかけるべきである。最後まで手を緩めてはならない。」というものである。これは、終末期の病人に蘇生術を施すかどうか、気道確保のため挿管するかなど、終末期医療に対する医療者自身の考えを投影するものであると思っている。 終末期医療に携さわることの多い読者の皆様はどのようにお考えになりますか。 ●
vol. 1
医療の質 vol2 医療の質−その2 vol3
医療の質−その3 |