起業家ナースのつぶやき 村松 静子 Muramatsu Seiko |
|||
vol. 17 | ともに創る幸せ | 2002-9-28 | |
"出会い"って、すばらしい! この11月、私は初めて韓国を訪れ、ナースや看護学生たちと交流する機会を得た。それは、ある韓国ナースとの出会いから始まった。 私は韓国のナースや看護学生たちとの出会いに感謝しながら、私の考えや思いを絡ませ、私の歩んできた道を伝えてきたいと思っている。また、皆さんとの意見交換や出会いの喜びを語り合えたらと思っている。
|
|||
vol. 16 | 点滴生活雑感 | 2002-8-30 | |
76歳の男性が書かれた『点滴生活雑感』を、私は複雑な心境で読んでいた。もう18年も前のこと、私はその頃、病院から看護短大へ出向していたが、一方で、訪問看護のボランティアも行っていた。実習病棟で学生の受け持ちだった42歳の男性が発した言葉と『点滴生活雑感』とが妙に重なってくるのである。 「私は1年前にガンを告知されました。そして再発しました。手術したときは、医者も看護師もうるさいほどそばにきて、酸素をいじったり、採血をしたり、血圧をはかったり、吸入をさせたりしました。それなのに、誰も私の不安な心には目を向けてくれないんです。看護師さんは'どうですか'と言ってはくださる。しかしその瞬間、もう点滴をいじったり、お小水のバッグをいじったりして、背中を向けているじゃないですか。医者は、私の部屋の前を通っても下を向いて通り過ぎ、鼻血が出るとそこだけをめがけてやってくる。こんなんだったら、告知なんかされなきゃ良かった。私は自分の身体が、今どの様な状況になっているのかを知りたいのに何も説明してくれない。みんな'今だったら家に帰れますよ。お帰りになったらどうですか'とは言ってくれる。私だって帰りたいですよ。でも、点滴が付いていて、痛みがあって、一人では何もできない私が帰って、一体誰がみてくれるというのですか。結局は母や妻や子どもたちにみてもらうしかないじゃないですか。そうしたら、家に帰りたいなんて言えませんよ。先生、早く動けなくなった私たちが帰れるようなシステムをつくってください」 彼は、学生の実習終了時に1枚のカードを手渡してくれた。そこには家族全員が映っている写真と、3人の子ども・妻・母親・本人一人ひとりの言葉がそれぞれの自筆で記され、こんな言葉で結ばれていた。 『点滴生活雑感』 私は未だEさんとの約束を果たしていない。
● vol. 1〜3 「心」を思う その1・その2・その3 ● vol. 4〜6 看護の自立をはばむもの その1・その2・その3 ● vol. 7〜9 この時期になると浮かんでくるあの光景 その1・その2 私は言いたい、今だから言える ●vol. 10〜12 看護の自立をはばむもの その4 開業ナースがゆく その1・その2 ●vol.13〜15 開業ナースがゆくその3 看護の自立をはばむものその4-2 本当にほしいサービスができないわけ コラム(村松静子)へ戻る
|
|||
|