起業家ナースのつぶやき 村松 静子 Muramatsu Seiko |
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vol. 15
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本当にほしいサービスができないわけ |
2002-8-03
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おかしなことが多すぎる 先日、ユニークな発想で医業に取り組んでいる女医の伊藤真美先生と出会う機会を得、その際1冊のご著書をいただいた。そのタイトルは『しっかりしてよ! 介護保険』。 伊藤真美(花の谷クリニック院長)著:「しっかりしてよ! 介護保険」草思社 この1冊の中に綴られた先生の開業時の苦悩は、私のそれと大いに似通っていた。
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vol. 14
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看護の自立をはばむもの その4-2 |
2002-7-10
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1986年、「これからはシルバー産業の時代になる。儲かるはず」とばかりナースやヘルパーを雇い、大風呂敷を広げる大企業が続出する中で、私にもできることがあった。どこにも負けないヘルパーを育成すること。『在宅看護ヘルパー育成プログラム』は、そんな中で誕生したのだった。看護一筋の私に、かすかに芽生え始めたビジネス感覚である。 ある日、 私たちの小さな事務所に‘日本における在宅看護はどうあるべきか’を研究しているという大手企業グループの担当男性3人がやってきた。その頃は、企業という言葉を聞くだけで背筋が寒くなる私だったが、その主旨には賛同した。「今最も感じているのは、私たちといっしょに動いてくれるヘルパーさんがほしいということなんです。在宅看護を充実させていくのはナースだけでは無理」という私に、「あなたたちと動けるそのヘルパーさんを教育してみませんか」と真顔で言う。そんなやり取りの中で、「私たちは慈善事業をしているわけではない。収入が得られないことはやりません」ズバリと言われたその言葉に、‘必要な時に’‘必要な看護を’‘必要なだけ’行う看護のボランティアには限界を感じていた私は思わずうなずいた。自分たちのことは自分たちで保障していく。事業は採算が合ってはじめて充実でき、拡大できる。事業を拡大すると、助かる人の数も幅も増える。
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vol. 13
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開業ナースがゆく その3 |
2002-5-12
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この3月、日本看護協会出版会から1冊の本が発行された。 「その時は家で 開業ナースがゆく」 この書が誕生する裏には感謝や苦悩が絡んださまざまなドラマがあった。私にとってとても重い1冊になっている。 今から数年前のこと、私は当時日本看護協会出版会に所属していた塩野貴子さんに出会う。一見目立たないようでいて、実は大きな人物であった。ハッキリした語り口調、大声で笑うしぐさ、必要な時の腰の低さ、嘘をつかない自信に溢れた目、その1つ1つの行動には意味があり説得力があった。 「お原稿は未だにいただけないでおりますが、実績をみせていただいて満足することに致します。4月に定年を迎えます。」 私の心を大きく揺さぶり、執筆を決心させた一節である。 それからの私は動き出した。 「塩野のアドバイスを活かして、普段見られない先生の一面も出させていただけたらと思います。全部を通して最低5回は読み返します」 その言葉以上に、惜しむことなく行き来する。私はその真剣な眼差しと作業の緻密さに引き込まれ導かれて行った。 昨年の9月、決定したタイトルは「在宅死を看とる」。 しかし毛筆で記されたそれは、その後まもなく幻となった。 そして、永六輔さんの優しさが強力な後押しとなって、温もりのあるタイトルに変身して誕生した。 「その時は家で 開業ナースがゆく」
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vol. 1〜3 「心」を思う その1・その2・その3
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