起業家ナースのつぶやき 村松
静子 Muramatsu
Seiko
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vol. 6
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看護の自立をはばむもの・その3 |
2001-12-19
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昭和23年に制定された保健婦助産婦看護婦法の中の第5条と第37条を
どのように解釈すべきなのか、私は1つ1つのそれらの言葉に集中して考えていた。
・傷病者若しくはじょく婦? すでに言葉が今の時代にはマッチしない。
・療養上の世話? Attend、help、 幅広くいろいろに解釈できる。
・診療の補助? 介助ではない補助、あくまで不足を補って助けることだ。
・診療機械を使用してはならない?
聴診器もダメということなのか、それとも診察してはいけないということなのか。
いや、診療に用いる機械類を医師の指示なしに使用してはいけないということだ。だとすると?
・医薬品を授与してはならない?
処方してはいけないというだけではなく、処方された薬を与えることもダメということなのか。
おかしなことだ。
・医薬品について指示をなしてはならない?
痛みがある場合に、ナースとしての判断で家族に助言をするのもいけないということなのか。
‘指示’という言葉は難しい。
・衛生上危害を生ずる虞のある行為をしてはならない?
これはどこまでを指しているのか理解できない。
「浣腸だって、摘便だって、勝手にしてはいけないのよ」。言われた言葉が蘇る。
・臨時応急の手当をなすことは差し支えない?
急変時は手当てをしてもかまわないということだ。
その場で最も適切な判断をしてもいいということだ。
それなら、痛みのコントロールなどはこの一文で許されることになるかもしれない。
法の解釈というのは一定と思い込んでいた私が、決してそうではないことに気づかされたのもこの頃であった。弁護士によってその解釈が微妙に異なり、助言内容も違うのだ。私が1歳のときに出来た法律なのだから、実態にそぐわないのはある意味仕方のないこと。時代の流れに即して必然性が高まったことであれば、後に法律は必ず改正されるはず。「法律を犯すことなく、拡大解釈して実施していくしかない」そう決意した私の偽りのない気持ちはとても楽になっていた。
しかし今度は、私自身の経営感覚と経営能力の足りなさという第三の壁にぶつかった。
一ナースの私にとっては、これこそが最大の壁だったのである。
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vol. 5
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看護の自立をはばむもの・その2 |
2001-11-21
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『あなたたちのなさることは大事なこと。看護婦さんは医師のかばん持ちではありません。
もっと、本当の看護婦として私たちを助けてください』
療養者を抱える家族の言葉に、私の迷いは吹っ切れた。「もし私の行おうとしていることが間違いなら、続くわけがない。もう前へ進むしかない。やるしかない」と。
同僚や先輩からの批難の声を背に受けながらも第一関門はどうにかくぐり抜けた。
しかし、続いて第二の厚い壁があった。法の壁である。
「訪問看護って何ですか。看護婦と家政婦ってどこが違うんですか。これは労働省の管轄ではないですか」、 「看護婦って、会社は作れないんじゃないかなあ。保健婦助産婦看護婦法というのはここにはありませんねえ。医師法にひっかかるんじゃないかなあ。厚生省に聞いてみましょうか」という登記官の言葉、「看護婦は施設から一歩外へ出たら法律的には家政婦と同じなのよ。今の法律の範囲で事を進めていくとしたら、あなたたちの所に医者を置くしかないわよ」という開所パーティ前日のどんでん返しの言葉、そして極めつけは、「前例がない。やめなさい」だった。
看護婦の国家資格とは何なのか、理想と現実のギャップに、無性に腹立たしさと情けなさを感じた私は、そのとき思った。「医師の資格がほしい」と。
「あなたのすることは10年早いわよ」
確かにあれから10年どころか15年が過ぎている。しかし、私の目的は未だに達成されていない。看護の自立は、法によって明らかにはばまれている。‘医療法人’に匹敵する‘看護法人’はできないものか、無理を承知で、それでも真剣に考え、訴える日々が続いた。
−保健婦助産婦看護婦法 第5条−
「看護婦は、傷病者若しくはじょく婦に対する療養上の世話又は診療の補助をなすことを業務とする」
−保健婦助産婦看護婦法 第37条−
「保健婦、助産婦、看護婦又は准看護婦は、主治の医師又は歯科医師の指示があった場合の外、診療機械を使用し、医薬品を授与し、又は医薬品について指示をなしその他医師若しくは歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずる虞のある行為をしてはならない。但し、臨時応急の手当をなすことは差し支えない」
昭和23年に制定されたこれらの条項を、今の時代の流れの中でどう解釈すべきなのか、私の頭の中はその解釈のことでいっぱいになっていた。
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vol. 4
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看護の自立をはばむもの・その1 |
2001-10-26
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岩波書店の国語辞典によると、自立とは「自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやってゆくこと。独立。ひとりだち」ということだ。
総合病院・看護大学という身分が保障された組織を自らの意志で離れた私は、作家・遠藤周作氏を始めとした多くの方々に支えられながら、在宅看護の道を突っ走ってきた。この間、自分の力の足りなさや決断の難しさ等、正に自分との闘いであった。時には「私がおこなおうとしていることは間違っていることなのではないか」と疑問を抱くことさえあった。前へ進もうとすると、必ずや越えられない壁にぶつかる。白衣をまとい、赤十字のついたナースキャップを戴いたあの日からすでに33年が経過した。
私にとって、この道は「一ナース・村松静子の自立への挑戦」であったと、今、実感している。私の看護を周囲に認めてもらいたい、療養者・家族が心底から求める看護を提供したい、関係職それぞれの専門家にも認められるナースとして位置づきたい、看護機能に社会的評価を受け、国から認めてもらいたい。理想はあくまで理想、理想を現実にしていくことは想像以上に困難なことであった。なぜなら、そこには周囲からの評価がつきまとうからだ。
大きな組織を離れた私にとって、その第一の壁は「周囲からの批難、特に同僚からの批難の眼と声」であった。
『看護は聖職じゃない? 看護を売るなんて、あなた気でも狂ったの?
人道・博愛の精神はどこへ行ったの?』
『看護婦は組織を一歩離れたら家政婦と同じなのよ、わかっているの?
‘浣腸’だって‘摘便’だって、結局は医療行為なのよ。看護婦の独自の機能なんてないのよ。
あなたがおこなおうとしていることは10年早いわよ』
『私たち医者は皆を平等に診ている。君たちはお金を払えない人たちにはどうするんだね』
悔しい一言一言、そこへ返したい言葉はいくつもあった。しかし、耐えるしかなかった。
そんななかで、
『あなたたちのなさることは大事なこと。看護婦さんは医師のかばん持ちではありません。
もっと、本当の看護婦として私たちを助けてください』
療養者を抱える家族の声である。嬉しかった。涙が出てきた。
私の心は葛藤していた。その心を自らなだめた。
−いつかはきっとわかっていただける−
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vol. 1〜3 「心」を思う その1・その2・その3
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vol. 7〜9 この時期になると浮かんでくるあの光景 その1・その2 私は言いたい、今だから言える
●vol.
10〜12 看護の自立をはばむもの その4ー 開業ナースがゆく その1・その2
●vol.
13〜15 開業ナースがゆくその3 看護の自立をはばむものその4-2 本当にほしいサービスができないわけ
●vol.16〜18 点滴生活雑感 ともに創る幸せ 看護の自立をはばむものその5
●vol.19〜21 ともに創る幸せ2 ともに創る幸せ3 ともに創る幸せ4
●vol.22〜24 ラーニングナースを位置づける その1なぜ必要か その2応援団はいる ナースの私が抱く疑問〜1.痰の吸引
●vol.25〜27
ナースの私が抱く疑問〜2 静脈注射 素敵なエッセイの贈り物 疑問は疑問、「今の時代って?」
●vol.28〜30
看護師の資格の意味を問う 感受性を揺さぶる学習環境が必要なのでは? ラーニングナース制
●vol.31〜33 40年の歴史をもつ企業内大学老舗『ハンバーガー大学』
介護保険が抱える問題〜看護にこだわる開業ナースの視点から 恩師、國分アイ先生
●vol.34〜36 國分アイ先生の遺志を継ぐ 安比高原の女(ひと)
介護保険制度の次の手は介護予防?〜今、私が思うこと
●vol.37再び「心」を思う その1vol.38 在宅看護研究センター20回設立記念日を迎えてvol.39「医療行為」、そこに潜む「矛盾点」
●vol.40 スタッフと共に追求する看護の価値:その1 vol.41スタッフと共に追求する看護の価値:その2
vol42.「在宅医療支援展示室」の誕生、その裏に潜む願い
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