起業家ナースのつぶやき    村松 静子 Muramatsu Seiko


 
vol. 9
  私は言いたい、今だから言える
2002-1-10
 
 

旅客機乗務員の「救急医療機器」の使用がやっと容認された。
米国では米連邦航空局が国内航空会社に、2004年 5月までに全機への除細動器搭載を義務づけた。日本航空の場合、過去8年間に機内で乗客の心肺停止は37例あり、このうち約7割は医師が偶然乗り合わせ、人工呼吸など行われたが、除細動器はなく、十分な措置ができなかった場合も少なくなかった。日本の航空会社に除細動器の搭載が遅れたのは、医療機器の使用は医師のみに許されるとされてきたからだ。

医師の間では
事故があった時の責任がはっきりしない限り、医師以外に使わせるべきではない』という意見と、
救命で最も重要なのは最初の数分間で、その間に処置できるのは周囲にいる人だけだ。
 病院の医師が救命に果たせる役割は小さいと認識すべきだ
』との意見に分かれる。 ― 読売新聞 ―

もし私の家族が飛行機の中で倒れ、呼吸も脈も触れなくなったという知らせを受けたらどうするだろう。ICUや救急の場で、救急蘇生を幾度となく経験してきた私は声を大にして言うに違いない。
誰でも良い。どなたか私の家族を助けてください。
 機内には除細動器がないのですか。除細動器があれば助かるかもしれないのに。
 なぜないの? 見殺しにはしないでください。最後まで手をつくしてよ
』と。

私は在宅看護を実践するなかで、何度か、それらに関連した空しい感情を抱いたことがある。
 『痰がつまって、どうしても出せない。痰を引く器械はありませんか
助けを求める家族の声に、入社したばかりのスタッフが当然のように吸引器を持って駆けつけ、喀出できずにいた粘稠な痰を多量に吸引した。療養者は楽になり、家族からも感謝の言葉を受けた。
しかし医師の反応は
 『あなたのところは医療行為を勝手にやって、それも医療器械を使っている。
  いつも法律違反をしているのかね
』というものだった。
私はスタッフ全体に今でも言っている。
 『医療器械は勝手に持ち出してはいけない。
  たとえ緊急事態でも、医師の許可を受けていなければ勝手には使ってはいけない。
  素手で勝負しなさい
』と。しかし、本心は納得していない。

人工呼吸器の作動を事細かに管理しているのがナースでありながら、それらはすべて医師の指示で行われていることになる。呼吸器の専門医の指示であれば納得できるし、当然のことと受けとれる。しかし実際には、在宅医療が推進される中で、医療器械や救急医療についての知識不足の医師が目立つ。そして残念なことに、それらの中にこそ権力を振りかざす医師がいる。
私は、『緊急時の対応』が医師の資格を持つ人だけではなく、できる人すべてに許可されることを願いながら活動を続けてきた。しかし、法律は未だにそれを阻んでいる。時代に乗り遅れている。たかが看護婦、されど看護婦の私だ。
種々の疑問が沸いているこの時期だからこそ、いろいろな角度から、改めて、医療の本来あるべき姿を探り直す必要があるのではないだろうか。

 
 
vol. 8
  この時期になると浮かんでくるあの光景 その2 
2002-1-1
 
 

 本来なら、せめてのんびり過ごしたいのが年末・年始です。
今年は力強いスタッフのお陰で、のんびり過ごさせてもらっている私ですが、この時期になると思い浮かんでくる光景があります。在宅医療体制がほとんど整っていない十数年前のことでした。

 『主人がどうしても家にいたいらしいの。
  でも、近くの開業医はお休みで、病院の医者は病院へ連れてきなさいと言う。
  素人の私がみてもとても悪い状態なので、
  もしものことがあったらどうしようと思ってしまう。
  心配でじっとしていられない。どうしたらいいのかしら。
  私はできたら主人がしたいと思うようにしてあげたいのだけど、
  死んでからでは救急車は使えないというし、
  死亡診断書を書いてもらうには入院させなければいけないらしい。
  入院は主人がいやだと言うし・・・

そこで、家族が望んでいる開業医やその周辺の診療所を探しましたが、皆、年末・年始の往診は無理とのことでした。そうこうしている間に魔の年末に突入、必要なときの在宅医療が閉ざされる時期に入ってしまったのです。
12月31日の昼過ぎ、
 『様子が昨日とは違う。もうダメかもしれない。どうしよう。すぐ来てほしい
電話の奥から聞こえる妻の悲壮な声に、緊急対応の当番ナースが駆けつけました。
そして午後3時半、彼女から電話報告が入ります。
 『非常に危険な状態で、病院へ運ぶなら今しかないと思う。
  しかし、本人は話すことは出来ないが、入院という言葉にははっきり首を横に振る。
  妻は不安が強く、迷っている。
  本当は最期まで家に居させてあげたいが死亡確認のために病院へ運んだり、
  解剖されたりするのはいやとも言っている

私たちは話し合う中で決心しました。
 −妻が安心して家で看とれるようにしよう−
妻に代わって直接伝えました。
 −必ず死亡確認をしてくださるお医者さんを探しますので、
  安心してご主人のそばに居てあげてください。いつものように手を握って−と。
しかし、言うは易く行なうは難し。私は電話を前に正直悩んでしまいました。
そして思い浮かんだ医師の名前、ICUを共に築いた頼れる医師です。

"最期は家で"の思いを果たしたその方は、妻や駆けつけた多くの親族に囲まれて、
あたかも眠っているかのようでした。その情景を目の当たりにし、
 『良かった。本当に良かった
という妻の言葉にホッとした私たちは、家を出て、ドクターと握手を交わして別れました。

 

 
vol. 7
  この時期になると浮かんでくるあの光景 その1
2001-12-24
 
 

 あの頃の私は、夜中でも懸命に訪問看護を続けていました。
12月23日、電話が鳴り、私は仲間と二人でSさん宅へ駆けつけました。ベッドに横たわったSさんはやせ細った両手を差し出して言いました。
 『私、これで家で死ねるのね
3歳の娘と8歳の息子をもつSさんは42歳。その目には一筋の涙が光っていました。
医師から麻薬が処方されたその日はクリスマス・イブでした。
 『痛みが嘘のようにとれたんです。
  家族みんなでピザを食べて、Vサインをして写真を撮りました

電話の奥から聞こえてくるその声は、Sさん宅の活気を感じさせるものでした。長年、親子で暮らしていたニューヨークのあの大きなクリスマスツリーの話題も出たことでしょう。きっと素晴らしい一夜であったに違いありません。
しかし、一夜明けた早朝、家族から電話が入りました。
 『死相が現れています。すぐ来てください。
  意識ははっきりしていますが、呼吸は1分間に6回ぐらいです。
  怖くて薬も飲ませられません。痛みもとれないようです

再び駆けつけた私たちの顔を見るなりSさんは言いました。
 『痛みをとってください
 −ドクターをお呼びしましょうか−の私の言葉には
 『いいえ、結構です。
  お医者さんが来ても、胸に聴診器をあてて、ご臨終ですとしか言わないでしょう。
  死亡診断書は書いていただけることになっております。
  私たちだけで看とりたいんです。
  それを見守ってほしいんです。夜もそばにいてください

それから暫くして、痛みが少しとれたSさんは娘を呼んで言いました。
 『おばあちゃんの言うことを聞いて善い子でいるのよ
息子を呼んで言いました。
 『あなたはおにいちゃんなんだからね
それらは母の言葉でした。
夫には妻としての言葉を、妹には姉としての言葉を、母親には娘としての言葉を残しました。

徐々に意識が遠退くなかで、Sさんが望んだのは家族の温もりでした。
母親の浮腫んだ片足を一生懸命さする小さな手、両手を握りこぶしにして唇をかみしめ、じっと母の顔を見つめる幼い息子の目、家族全員で必死に向き合う。それこそが在宅看護でした。
Sさんは愛する家族の温もりに囲まれて、永遠の眠りにつきました。
今から15年も前の12月25日の夜のことでした。
毎年クリスマスが近づくと、私の心には必ずあの光景が浮かんでくるのです。

 

 

vol. 1〜3  「心」を思う その1・その2・その3

vol. 4〜6   看護の自立をはばむもの その1・その2・その3

vol. 10〜12  看護の自立をはばむもの その4ー 開業ナースはゆく その1・その2

vol. 13〜15 開業ナースがゆくその3 看護の自立をはばむものその4-2 本当にほしいサービスができないわけ

vol.16〜18 点滴生活雑感 ともに創る幸せ 看護の自立をはばむものその5

vol.19〜21 ともに創る幸せ2 ともに創る幸せ3 ともに創る幸せ4

vol.22〜24 ラーニングナースを位置づける その1なぜ必要か その2応援団はいる
 ナースの私が抱く疑問〜1.痰の吸引

vol.25〜27   ナースの私が抱く疑問〜2 静脈注射 素敵なエッセイの贈り物 疑問は疑問、「今の時代って?」

vol.28〜30  看護師の資格の意味を問う  感受性を揺さぶる学習環境が必要なのでは?  ラーニングナース制

●vol.31〜33 40年の歴史をもつ企業内大学老舗『ハンバーガー大学』 
介護保険が抱える問題〜看護にこだわる開業ナースの視点から  恩師、國分アイ先生


●vol.34〜36 國分アイ先生の遺志を継ぐ 安比高原の女(ひと) 介護保険制度の次の手は介護予防?〜今、私が思うこと


●vol.37再び「心」を思う その1vol.38 在宅看護研究センター20回設立記念日を迎えてvol.39「医療行為」、そこに潜む「矛盾点」

●vol.40  スタッフと共に追求する看護の価値:その1 vol.41スタッフと共に追求する看護の価値:その2 
vol42.「在宅医療支援展示室」の誕生、その裏に潜む願い

 

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