市民の眼 尾崎 雄 Ozaki Takeshi |
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vol.38 | ある開業医の物語『ドクトル・ビュルゲルの運命』 |
2006-5-11 | |
東京・神田の古書店街はその質と量において世界一だそうである。事実だとすれば神田の古書街は世界文化遺産の一つと言っていい。その一角で古い文庫本を買った。昭和28年に出版された岩波文庫『ドクトル・ビュルゲルの運命』(ハンス・カロッサ著、手塚富雄訳)だ。奥付に臨時定価四拾円とあるが、古本価格は200円だった。 <電車の中で>
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vol.37 | 女性解放”の旗手、ベティ・フリーダンを偲ぶ | 2006-3-10 | |
2月6日付の読売新聞に1本の死亡記事が載った。「ウーマンリブ運動 ベティ・フリーダンさん死去」。 ベティ・フリーダンは1960〜70年代に活躍した女性解放の運動家である。米国だけでなくわが国のフェミニズム(女性解放・男女平等運動)に火をつけた人物。85歳の誕生日に当たる2月4日、ワシントンで死去した。 米国イリノイ州のユダヤ人宝石商の家庭に生まれ、名門女子大スミス・カレッジを卒業し、カリフォルニア大学バークレー校で心理学を学んだ。労働組合機関紙の記者などを務めたが「妊娠で退職を強いられ、3人の子供を持つ主婦に」(読売新聞)なった。離婚と失業も体験。1963年、ベストセラー「新しい女性の創造」(邦訳名)を出版。「郊外に住む中産階級の主婦たちの“満たされない生活”」(同)を描き、「女性が家庭の外で個人として自己実現を目指すよう呼びかけて、20世紀の女性の権利拡大や地位向上に大きな役割を果たした」(CNN.com)。 1966年、全米女性機構(National Organization for Women=NOW)を創設し、初代会長に就任。「人工中絶や求人の性差別撤廃、男女賃金の同一化、女性の昇進機会、産休といった問題に取り組んだ。その一方、男性と手を携える必要性を指摘し、強硬に家庭を否定しないよう訴えた」(CNN.com)。 来日したときの講演会で見たフリーダンはエネルギッシュそのもの。元気だった頃のシャロン・イスラエル首相を女性にしたようだった。私は1970年代、フェミニズムの影響を受けた女性ジャーナリストやフリーダン信奉者らに刺激され、黒一点の形で女性学の研究会メンバーに加わった。たとえば毎月1度、日本女子大の教員宅で開かれていた国際女性研究会には休まず通ったものである。そんな場で一緒にフェミニズムを学んだ当時30歳代の女性たちはその後、国会議員、男女共同参画局長、某県副知事や大学教授などに“出世”。各界で活躍している。私をフェミニズムの世界へと導いてくれた女性はすでに定年退職し、郷里に戻って父親の会社を継いだ。 30年前、我が国におけるニューフェミニズム運動の騎手を自任していた渥美育子氏(当時青山学院大学助教授)とフェミニズムを議論したことがある。そのとき分かったことは、フェミニズムの本質とは「個」の自立と尊重である。それは女性の自立と社会参画だけの根本原理ではない。民主主義の基本ではないか。 ベティ・フリーダンは「60歳を過ぎたころからは老いの研究に没頭。1993年に出版した『老いの泉』では高齢期こそ『希望に満ちた未知の冒険のとき』と唱えた」(読売)。フリーダンがNOWを創設して今年でちょうど40年。我が国において女性の社会進出のインフラ整備を求める女性たちのうち、どれだけの人が「ベティ・フリーダン」を知っているだろうか。それはともかく、少子高齢時代に突入したいま、彼女が40年前に提起した“女性の課題”は、いまや“社会全体の課題”にクローズアップされていることだけは事実である。(2006年3月7日、老・病・死を考える会世話人:尾崎 雄)
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vol. 1 草の根福祉の担い手
マドンナたちの後継者は? ● vol.19 「東京物語」が予言した“未来社会”
の介護問題 ●
vol.25 医療政策を官僚から市民の手に――国の補助金で人材養成
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