市民の眼 尾崎 雄 Ozaki Takeshi |
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vol.27
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中越地震から1ヶ月――被災地の病院における危機管理 |
2004-11-26
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11月21、22日と新潟県の長岡、小千谷市に行き、中越地震の被災地における災害医療の実際を現地に見てきた。 大地震では電話連絡網は機能しないことは阪神大震災で証明済み。同病院の防災マニュアルの基本は「震度5以上の地震が長岡市に発生したら、全社員は可能な限り自主登院する」こと。職員約1000人のうち、地震発生後1時間以内に100人、2時間以内には300人の職員が病院に駆けつけた。当日の入院患者は616人。重症・中症患者のために救急病棟を確保し、軽症者はリハビリセンター、感染症病棟(62床)に回すなどして救護所のスペースをつくり、ライフラインの点検と建物の破損箇所の確認を実施。入院患者の安全確認を行いベッドから離れないよう院内放送で徹底した。 <地震発生後30分で最初の被災者を治療> 最初の被災者患者の搬入は地震勃発から約30分後に当たる午後6時26分に重症者が2人。1人はガラスによる下肢切創。もう1人は倒れたタンスによる下腿骨折だった。第2陣は午後7時1分に軽症者が2人。1人は頚椎捻挫、もう一人は頭部打撲だった。11月15日までに受け入れた被災者は670人。うち入院は80人で、死亡者は3人だった。2人はエコノミー症候群、1人は皆川貴子さん。奇跡的に助かった優太君のお母さんである。入院患者でいちばん多かったのは停電により在宅酸素療法を自宅でできなくなった人々。2番目は骨折の14人で、うち半数は逃げるとき転んで大腿骨を折った高齢者だった。他の医療施設の支援活動としては小千谷市内の病院からの入院患者30人と小千谷・十日町の透析患者11人を受け入れた。 院外の避難所での救援活動は震災発生の翌日から開始。まず情報収集隊を長岡市内に派遣。25日から山古志村の救護所6箇所を担当している。実際の診療は11月10日までは他の赤十字病院からの応援部隊に肩代わりしてもらい、院内状況が落ち着いた10日から院内チームが担当している。阪神大震災でクローズアップされた「心のケア」は看護師長が他の赤十字病院からの応援看護師とともに災害発生3日目から山古志村避難民を対象に実施している。 <1週間前に「震度5」の訓練を実施> よどみなく非常時に対応できたのは日ごろの危機管理のおかげである。毎年、災害発生による大量患者の一斉搬送を想定した院内訓練と新潟県内の災害拠点病院を対象とした研修会を実施。今年は地震発生の1週間前、震度5を想定した訓練をしたばかりだ。昨年は新幹線の脱線事故を想定した訓練も行っていた。 淡路記伊看護部長は、災害時のリスクマネジャー兼看護責任者として実施した要点を次のように述べる。 @ 淡路看護部長は真っ先に「この病院は震度8に耐える設計だから安全」と館内放送をし患者を安心させた。実際は「震度8」は存在しない。「嘘も方便」の機転。また通常よりも看護師の病棟配置を手厚くし、看護師の運用は各師長の裁量に任せ入院患者の安全確保、治療の継続とQOLの維持した。 A 救命救急センターには2つの看護単位を臨時配置するため、日赤本社に対し判断能力のある看護師6人の応援をリクエスト。被災3日目から6日間、配置した。 B 情報の収集と共有。緊急事態に何が必要かを探る“偵察隊”を市内に派遣して情報を収集し、朝・昼・夕の1日3回、師長を集めてミーティングを開き、情報を共有すると同時に、看護部長を含めた仕事振りを相互評価した。 C 看護師のマンパワー維持・コントロール。病院機能を維持するためのマンパワーを見積もり、それを維持する。予定手術を延期したり、自宅が被災したナースの「心のケア」などに気配りをしたりした。 <「阪神」の教訓を生かす> 平成12年、神戸赤十字病院は阪神大震災における災害医療の記録と反省をまとめた報告書「震災から5年」を出版した。当時、応援部隊の1員だった看護師の竹内幸枝氏は非常事態における危機管理について同報告書にこう書いた。 1) 指揮命令系統が明らかであること 2) 命令の一元化が徹底されていること 3) 活動方針が明らかで関係者に共有されていること 4) 関係者の意思疎通を図るためには、たとえ5分でも一堂に会する機会を設けることが非常に重要である 今回の災害では他の病院や自治体の危機管理不在が明らかになった。私の知る限り長岡赤十字病院は「阪神の教訓」を生かしていたようだ。 なお、「中越地震における災害医療の実際と問題点」の詳細レポートは医学書院発行『看護管理』2月号に掲載する。 (2004年11月23日、尾崎 雄=日本医学ジャーナリスト協会・会員、東洋英和女学院大学・大学院非常勤講師) |
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vol.26
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スウェーデンでも遅れている? 医師たちの痴呆観 |
2004-10-14
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国際アルツハイマー病協会第20回国際会議のためスウェーデンから来日した痴呆ケアの先達、バルブロ・ベック=フリス博士の講演「痴呆性高齢者の緩和ケア」を聞いた。話の大半は痴呆ケア入門編だったが興味深い発見があった。日本の福祉関係者が尊崇するスウェーデンでさえ医師の多くは痴呆に対して無関心で痴呆ケアのチームワークを乱していたという実態が分かったからである。 スウェーデン政府は2003年、痴呆性老人のケアを含む「すべてのタイプの医療」に緩和ケアを行うように決定した。患者が最期までQOLを享受できるようにするためである。当然のことながら痴呆性高齢者のケアもそのようになった。具体的には、スウェーデンで以前から行われてきた在宅癌患者への訪問医療を痴呆性高齢者の緩和ケアに適用するということ。ところが、それを妨げたのが医師の存在だった。緩和ケアの基本はチームケアなのだが、スウェーデンの医師の多くはこのことに無関心だった。むしろ「医師がチームケアを邪魔するケースが多かった」(フリス博士)という。 そこで政府は医師の団体と地方自治体に、医師を再教育する共同プロジェクトを実施させた。その結果、主として若い医師の意識改革が進んだ結果、事態は好転した。たとえば痴呆性老人の緊急入院がなくなった。医師が緩和ケアチームに参加・協力するようになったお陰でグループホームやナーシングホームの中で容態急変を適切に処理できるようになったからである。日本もこうした意識改革プロジェクトを実施すれば患者本位の医療が進むだろう。 「一般に痴呆性高齢者の緩和ケアにおいては経管栄養は実施しない」。末期患者への経管栄養の実施に対するフリス博士の意見は明確だ。「枯れた花に水や肥料を施すだろうか」。それが理由である。当然のことながら患者のQOLをどう評価するかがかかっているだけに経管栄養の是非は軽々には判断できない。そこに至るまでのケアの過程で、その患者の本当の気持ちをチームとしてどれだけ汲み取ってきたか? だからこそ「普段のチームケアが大切」なのである。 「決定」を下すために行うチームの議論のあり方は「チームの誰かがリーダーシップを取ってはいけません」と、フリス博士は語った。筆者は我が国のホスピスや特養などでケアカンファレンスを何度か傍聴したことがある。そこでは個々のケースについて、医師やリーダー格のスタッフが最終的な結論を出し、それに参加者全員が当然のように従っていた。だが、スウェーデンでは「誰かがリーダーシップを取るべきでない」。この言葉は、緩和ケアにおけるカンファレンスやチームケアの本質に触れている。QOLを目的とする医療・福祉のチームケアに携わる人間は、その真意を噛み締めるべきだろう。むろん医師も含めて。 |
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vol.25 | 医療政策を官僚から市民の手に――国の補助金で人材養成 |
2004-8-31
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市民による市民のための医療政策をつくる人材養成講座が10月、東京で開講する。文部科学省科学技術振興調整費をもとに東京大学の医学部と先端科学技術研究センターなどが運営する「東京大学医療政策人材養成講座」(プログラムディレクター高本眞一東大医学部教授)だ。このほど開かれた第一期生募集の説明会には募集定員45人に対し120人もの希望者が詰めかけた。 国の世論調査によると、国民が重視する政策として「医療」は「収入・消費」や「雇用」を抜いてトップ。また国民の9割以上が今の医療制度に不安を持つ。団塊世代の膨大な人口が要求する医療・介護ニーズを賄う「2015年問題」は手付かずのまま。医療財政の破綻、医療事故の頻発など問題は山積しているにもかかわらず「改革の道筋」が見えない。それは、国民が医療政策を官僚に丸投げしてきたからではないか! 同講座講師になる黒川清日本学術会議会長は説明会の参加者に奮起を促した。「(納税者の中から)政策を立案し、改革を推進できる『次世代リーダー』を育成する」こと。それが講座の目的である。 受講生は医師、コメディカル、医療機関経営者、患者支援団体・NPO関係者、学生、ジャーナリストら様々な政策形成プレイヤーを迎え、医学・財政学だけでなく経済学、経営学、工学、法学、哲学など多角的な視点で医療政策の改革に取り組む。開講は社会人の参加を配慮して夜6時半から。45人が@医療実務者・政策立案者A患者支援者B医療ジャーナリストの3コースに分かれ、講義、演習、実地研修および共同研究を経て医療改革の政策提言を行う。質的には大学院・修士課程の上を狙う中身の濃いプログラムだ。 受講希望者の一人で酸素吸入をしながら大学を卒業して働いている若い女性は「インターネットによる情報アクセスによって患者のための医療を実現できる。自分もそうしてきた」と情報公開による改革を主張。また「日本の医療政策は有識者の利益に左右されてきた」との発言に対し、居合わせた広井良典千葉大教授は、問題の根は我が国の政治構造にあると答えた。政策形成の政治プロセス解明の必要性を示唆する指摘である。 虎ノ門病院の医師と名乗る中年男性が「東京大学医学部と付属病院が変わらなければ、日本の医療は変わらない」と悲観的な意見を漏らしたが、その東大が国費で「患者中心の医療」を目指す政策講座を持つことは画期的。これが「医療改革のための小さな一歩」(黒川氏)になることを期待したい。「独立行政法人になったからこそ東大がこういうプロジェクトができるようになった」という別の講師の発言が印象的だった。 尾崎 雄(老・病・死を考える会世話人) |
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