市民の眼 尾崎 雄 Ozaki Takeshi |
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vol.33
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ホスピス開設をめざす松本の尼僧 |
2005-7-31
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一人の尼僧がホスピスづくりに取り組んでいる。長野県浅間温泉の神宮寺で副住職を務める飯島恵道さんだ。養女だった自分を育ててくれた事実上のお祖母さんとお母さんはすでに90歳と70歳。いずれ介護と看取りの日々が訪れる。二人が住んでいる尼寺の東昌寺も老朽化して再建が必要だ。そこで、古いお寺を寺院兼ホスピスに建て替え、二人の介護と看取りをしながら、他の末期患者らも受け入れて最期までケアするホスピスを作ろうとしている。 その手本が神宮寺。住職の高橋卓志師は斜陽の観光地、浅間温泉を高齢者のリゾートとして復活させようと目論んでいる。神宮寺の本堂でミニデイサービスを実施、温泉旅館を改装したデイサービスセンター「御殿の湯」やヘルパーステーション「東御殿の湯」を開設し、ゆくゆくはホスピス・ケアも行う。看護師の資格を持つ飯島さんは、この「ケアタウン浅間温泉」プロジェクトを手伝ってきた。そこで学んだノウハウを生かし、いずれ自分が住職になる東昌寺をミニホスピスとして再生させようと考えた。今年中にNPO法人を立ち上げようと細い身体に鞭打ち準備に奔走している。 昔の寺院は学校、病院、老人ホーム、託児所など庶民の暮らしを体と心の両面から支えるためのコミュニティセンター。僧侶と尼僧の地域機能の一つは病人のケアと看取りと供養だった。癌で亡くなったとされる良寛和尚を最期まで世話して看取ったのは若い尼僧である。また、ホスピスの原型を作ったのはアイルランドの尼僧、メアリー・エイケンヘッドである。同尼がダブリン郊外で始めたアワ・レディーズ・ホスピスが現代ホスピスの源流とされる。 7月4日、聖クリストファーズ・ホスピスの創設者で医師のシシリー・ソンダース女史が亡くなった。彼女は現代ホスピスの母と称せられる。その彼女はアワ・レディーズ・ホスピスの流れを汲むアイルランド尼僧がロンドンに作ったセント・ジョセフ・ホスピスでホスピスの本質を学び、それに医師の専門性に立って科学的方法論を融合させた。それが現代ホスピスの確立とされている。 すなわちホスピスの祖母は尼僧であり、ホスピスの母は女医だった。ソンダース女史はもともと看護師で飯島さんも看護師である。エイケンヘッドとソンダースという二人の先駆者と見えない糸で結ばれた飯島さん。日本初の尼寺ホスピスの実現は彼女のか細い肩にかかっている。 全国に8万カ寺ある寺のうち3万カ寺は事実上住職不在の空き寺になりつつあるという。それらをミニホスピスとして活用すれば、社会資源を再利用した効率的なコミュニティケアができるはずだ。飯島さんのたった一人の挑戦に手を貸す協力者が一人でも増えてほしいものである。 (老・病・死を考える会世話人・尾崎 雄) |
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vol.32
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医療の安全は患者参加によって進むか? |
2005-6-5
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「患者参加ですすむ医療安全」。タイトルに惹かれてシンポジウムを聞きにいった。NPO法人ヘルスケア・リレーションズ(和田ちひろ理事長)企画・実施の第5回患者中心の参加型医療研究大会のひとこま。「お任せ医療から参加型医療へ」とシフトして医療事故を減らし安全な医療を模索する集まりだった。 印象に残ったのは医師や看護師が発表した調査結果などではなく医療事故の被害者の家族と患者自身の発する生の声だった。そこに共通するのは「医療を与える側と与えられる側の関係」に対する疑問である。5歳の息子の命を「ずさんな診療体制」に起因する医療事故で奪われた豊田郁子さんはこう語る。「入院中の苦しかった深夜、ベッドでナースコールを握り締めながらボタンを押せませんでした」。なぜならば、人手不足の病棟を走り回るナースの多忙な様子を目の当たりにしていたからだ。日本の病院には患者が医療者を思いやる不思議な風土があるらしい。 「お医者さんは、最期まで治ろうとする患者の心を殺ぐモノの言い方はしないで欲しい」。こう語ったのは全身の転移がんと付き合うエッセイストの絵門ゆう子さん。「この薬は効かないかも知れないね」と言いながら薬を患者に与える医師に会ったという。患者の身になれば、もう少し別の言い方があってもよさそうだ。もちろん、そんな医者ばかりではない。彼女は聖路加国際病院で「言葉のケア」と「心のケア」を尽くしてくれる医師に出会ったお陰で救われた。 聖路加国際病院の理事長・日野原重明先生が尊敬するW・オスラー医師は、「医学は不確実の科学」と言われたとか。恐らく、それは正しいだろう。だが、医師の当たり外れによって、心のケアまで尽くしてもらえる場合もあれば、命を奪われることもあるというのでは理不尽だ。診療報酬という全国一律の公定料金によって賄われる保険医療が、それで、いいのだろうか? もっと言えば、外れたばっかりに命を落とし、家族を失っても……。 <「現代の医療事故は『組織の失敗』である」> 医療ジャーナリストの和田努氏はシンポジウムに先立つセッションで、次のように指摘した。 「個人の危険行為が直接的な引き金になって、医療事故が起こることは事実ですが、現代のように手術室や集中治療室のような複雑なシステムの中で起こる事故は『組織の事故』であり、『組織の失敗』である」 だとすれば、医療事故の頻発はわが国の医療制度と病院組織が抱える構造問題である。そこに目をつけず事故対策をいくら積み上げても事故は減らないだろう。 こんな組織不全の時代に在って、「患者参加」を促そうと望むなら、その前にやるべきことが一つある。医療と病院の構造改革だ。経営の最終責任を負う病院理事会に患者や家族あるいは地域の人々を理事として加えることだ。会社で言えばコーポレート・ガバナンス(企業統治)、病院ならホスピタル・ガバナビリティすなわち病院のあり方と支配構造を根本から見直すためである。医療を医師という特権グループの“私有制”から解放し、本当の意味での「医療の社会化」を進めるべきだ。 <教育改革に倣って患者・事故被害者らの代表を病院理事会へ> 教育の世界ではサービスを受ける側の代表が組織の最高意思決定機関に参画する試みが始まった。この5月、文部科学大臣が視察した東京都足立区立五反野小学校がその先駆例である。同校は校長の上に学校理事会がある。理事会は校長の作成する学校経営経過と教育課程を審議し、校長を含む教員の任用について教育委員会に意見を述べることができる。理事会を構成する理事11人のうち6人は地域と保護者の代表で、理事長は地域代表から選ばれる。この改革は平成15年1月に実施された。 文部科学省は昨年6月、「地域教育行政の組織及び運営に関する法律」を改正した。それにより地域住民と生徒の保護者は公立学校に学校運営協議会を設けることができるようになった。教育の素人が権限と責任を持って公立学校の運営に参画できるようになったのである。これをレイマン・コントロールと呼ぶ。 レイマン(layman)とは神学、医療、法律の門外漢を指す。レイマン・コントロールとは、大事なことの判断は専門家任せにせず素人の参画を求めて判断のゆがみを防止すること。司法改革では裁判員制度がそれにあたる。保険医療も義務教育と同じく納税者のお金によって賄われる公共サービス。それも人間の命に関わるサービスである。医療にもレイマン・コントロールがあっていいはずだ。五反野小学校では、住民・保護者側の理事と校長ら学校側理事との間でいい意味での緊張感がある。通学区の住民と保護者が教員の授業を評価し、その結果を実名で発表する。病院なら所属医師の治療成績を公表するということだ。 シンポジウムはとても勉強になった。「医療とは医療者と患者の協働作業です」。会場で会った医師は、そう話していた。同感である。ただ、残念なことに、わが国には、その仕組みがない。したがって「患者参加」というスローガンには一抹の空しさが漂うのだ。 (6月1日、尾崎 雄:日本医学ジャーナリスト協会会員、老・病・死を考える会世話人)
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vol.31 | 「悪徳病院の悪徳医師」だったころ | 2005-5-19 | |||
「手術に失敗して患者さんを亡くならせたことがある」と語った脳神経外科医も知っている。 このように真正直な医師に本当の悪徳医師や藪医者はいない。そうした告白は修行時代での過ちである。その脳神経外科医はこうである。ことの顛末を包み隠さず患者の家族に話し、「申し訳ありません」と心から詫びた。すると、その家族は「分かりました。この失敗を無駄にせず名医といわれる医者になってくれ」と許した。それから彼は研鑽に励み、誰からも信頼される脳神経外科医に成長した。「だから、君たちも、万が一、医療事故を起こしたら、すべてを隠さず、すぐに家族にお話してお詫びしろ」。その医師が若い医学生たちに、そう教える姿を目の当たりにしたものである。 自称元悪徳医師のケースは事情が違う。10数年前ころ、老人医療における過剰診療は医療界の常識だったそうである。当時は老人病院も出来高払いだったそうである。したがって患者さんを薬漬け、点滴付け、検査漬けにして“コスト”(売り上げ)を稼ぐドクターは病院経営者に高く評価され、給料も高かったという。また、そうした老人病院では抑制は当たり前、全身を抑制することもあり、鍵つきの拘束衣や拘束用具も市販されていたという。 「中心静脈栄養法の方が鼻腔栄養法よりコストが高いので、そちらを選択しがちになります。すると、24時間点滴になりますので多少意識のある患者様はそれを抜こうとします。そうすると、抜かれると危険なので患者様の手や足をベッド柵などに縛りつけます。いわゆる抑制です。また、トイレに介助でお連れするのは手間がかかりますし、コストになりません。膀胱にバルーンという管を入れればそんな手間は省けますし、コストになります。(患者は)そのバルーンを抜こうとするのでまた手足を縛ります。四肢抑制などという言葉もありました……」。 この自称元悪徳医師によると「医療の内容自体に根本的に手を加えることはいくら厚生省でもできなかったこと」であり、高齢者医療の在り方を医師が真剣に模索し始めたのは「老人の専門医療を考える会」などが発足したころからだという。自称悪徳医師の転機は一冊の雑誌から。「老人の専門医療を考える会」創設者である天本宏医師が『日経メディカル』に書いた文章を読んだときだ。天本医師の「老人医療はキュア(治療)よりもケア(看護や介護)が重要である」とか「予防的な老人医療の必要性」といった言葉で目が覚めた。「患者様一人一人の人格や尊厳を重視した医療、言い換えれば患者様の側からみて適切な医療や看護・介護を提供するのが老人病院の使命である」と。 当時、病院長だった彼は、さっそく院内の治療を、そのように変えようとした。すると婦長らスタッフが猛反発。ある日、彼は理事会に呼び出されて院長の職を解かれ、副院長に降格された。それから彼の転進と試行錯誤が始まる。紆余曲折と悪戦苦闘の末、徒手空拳で自分の病院の開設に取り組んだ。理想の老人医療の志に共鳴する製薬会社のMRが事務長の仕事を引き受けてくれ、同じ志を抱く他の病院の総婦長が職をなげうって新病院立ち上げに馳せ参じてくれた。 その病院は来年創立10周年を迎える。アメリカのフォーク・ソング・グループ、「ブラザース・フォア」に病院のCMソングを作って貰い、創立記念日に病院で発表コンサートを開く。もちろん「ブラザース・フォア」を招いて。 そう語る白鬚のドクターは、永遠の少年のような笑顔を見せた。その病院とは小樽市の南小樽病院である。
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