市民の眼 尾崎 雄 Ozaki Takeshi |
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vol.36
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「良き伴侶」に恵まれるということ |
2006-1-10
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在宅医療の分野で良い仕事をしている医師は、良きパートナーに恵まれている。山口赤十字病院緩和ケア科部長の末永和之医師もその一人だ。 山口市は、年齢を問わず末期癌患者に介護保険の在宅サービスを提供して行う在宅緩和ケア推進事業を実施している。むろん我が国初の試みである。その拠点となっているのが山口市在宅緩和ケア支援センターだ。末永医師は、そこで緩和ケア外来と在宅緩和ケアに携わっている。 末永医師の在宅緩和ケアの良き伴侶がセンター長の岡藤美智子さん。永年、山口赤十字病院で看護師をしていたが出産・子育てを機に退職。同病院の訪問看護ステーション立ち上げとともに訪問看護師として現役復帰して山口市在宅緩和ケア支援センターのセンター長になった。4人の子供を育て上げたベテラン主婦である。仕事上で迷ったとき「子供たちが解決のヒントを教えてくれる」と子育て経験が緩和ケアの臨床に役立っているという。「医師よりも患者の予後は正確に読める」とも。家庭の苦労が「生活」観察力を必要とする在宅看護診断のセンスを磨きあげたのだ。そうした生活と医療のエキスパートナースなしには在宅における「看取りの社会化」は難しかろう。 神戸市須磨区にある「希望の家」。有床診療所を核に入院ホスピス、在宅ホスピス、認知症グループホーム、デイサービスセンターを一つの建物に集約した日本初の医療・福祉一体型小規模の在宅緩和ケア施設だ。院長の梁勝則医師を助けて在宅緩和ケアに携わるホスピス・ディレクターも総合病院の師長経験者である。東京・山谷のドヤ街にあるアパート式在宅ホスピス「きぼうのいえ」。ホームレス専用ホスピスという突拍子もない試みである。これを立ち上げた山本雅基施設長に共感し、支えてくれる看護師の妻がいなかったなら、それは単なる「無謀の家」(山本施設長)に終わっていただろう。 逆のシチュエーションもある。静岡市のナーシングホーム「あしたば」は静岡日赤病院の元看護師長が創設した。当初、会社員の夫は乗り気でなかったが、前の大戦の廃墟から現代の繁栄を築く礎となった世代に属するお年寄りたちが特養などで惨めな扱いを受けている現状を妻に教えられて憤慨。妻よりもホーム建設に熱中し、退職金をつぎ込むなどして理想の看護の実現を支援した。 ほかにも理想のケアを目指す先駆者とされる看護師で、良き伴侶に恵まれた人を何人も知っている。妻であり母であることは貴重だ。それに伴う生活と仕事の修羅場の体験は何物にも代えがたい。ケアの世界で困難なパイオニアワークに取り組む男も女も「良き伴侶」を得ることができれば心強い。NHKテレビの新しい連続時代劇ドラマが内助の功を称える「功名が辻」と聞き、コミュニティケアやホスピスにおけるパートナーシップの大切さを思ったものである。 |
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vol.35
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介護予防は保健師自立の起爆剤になるか? |
2005-11-18
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11月6日、日本看護協会は介護予防緊急フォーラムを開いた。日曜日にもかかわらず東京・原宿の看護協会のホールには全国から300人の保健師や看護師が集まった。 改正介護保険法によって全国の市町村は介護予防の拠点となる地域包括支援センターを設け、そこに保健師が配置することになった。保健師がコミュニティケアの要として位置付けられたのだ。介護予防が“国策”になることによって、保健師が健康のまち造りドラマの裏方から表舞台に上がり“主役”を演じるチャンスがめぐってきたということである。 厚生労働省老健局省計画課から駆けつけた石原美和課長補佐が行った基調講演はズバリ「保健師の出番! 介護予防事業を保健師活動の起爆剤として」。介護予防対策専門官である石原補佐は開口いちばん「介護保険が始まってから厚生労働省の老健局の看護技官が年々増えて現在は4人」と看護師の存在感が政策立案レベルにも及んでいることを強調した。国会で「保健師」という言葉が頻発されたのは、今年が初めて。行政の中枢に進出した看護師は、政策立案の現場にその意見を反映させるよう奮闘したと誇らしげに語りかけ、参加者に奮起を促した。 なぜ保健師に出番が回ってきたのか? それは、今回の介護保険制度の見直しの大きな二つの狙いが「介護予防」と「地域づくり」だからだ。高齢化以前における「保健婦」の主たる仕事は感染症予防と公衆衛生だったのに対し、超高齢社会になったいま「保健師」の主要任務が介護予防になったのである。そして、その活躍の場としての地域がクローズアップされている。その具体的なよりどころが地域包括支援センターである。だから「地域づくり」こそ「保健師の本領発揮」の場だと石原補佐は指摘した。 公務員リストラに追われる市町村も保健師だけは増やさざるを得ない。奈良県では市町村で働く保健師の数は平成11年には284人だったが平成16年には330人と増えている。大分県はこの8月、地域包括支援センターに必要な保健師を確保するよう県下市町村に通達した。 それだけに保健師の果たすべき役割と責任は盛りだくさん。石原補佐によると、たとえば@市町村における介護予防事業の推進Aヘルス事業と介護予防の効果・効率的な運営B新予防給付におけるケアマネジメントC新予防給付と地域支援事業の一体的な運営D地域包括支援センターと市町村の関係強化E(以上を一体として取り組むための)まちづくり、である。まさに保健師の出番だ。 地域看護学を専攻する村嶋幸代東大・大学院教授によると、保健師はこうしたミッションを果たす力を備えているという。看護の基本は「見守る看護」と「仕掛ける看護」。それらを十分に活用すれば新たな保健師の役割を果たすことができると参加者に力強く呼びかけた。 介護保険がスタートする前は「介護保険は地方分権の試金石」と呼ばれたが、介護予防は保健師の力量と真価を問う試金石なのだ。 (尾崎 雄:老・病・死を考える会世話人)
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vol.34 | 言葉遣いについて――リハビリに通い始めて気づいたこと | 2005-9-12 | |||
頚椎と背骨の変形が見つかり近所のリハビリ医院に通い始めた。電気マッサージと首の牽引をして貰うためである。そこで気がついたことが一つ。医療関係者の言葉遣いである。患者を「〇〇様」と言葉の上では「お客様」扱いする医療機関が増え、ようやく医療もサービス業の自覚が根付き始めたようだ、と思ったら必ずそうではなかった。 病院や診療所の受付や支払いの窓口では「様」は定着してきた。だが、同じ医療機関の中でも場所が変わると旧態依然。「…シテネ」「〇〇しましょうね」といった赤ちゃん言葉で患者に呼びかけるのである。医療批判が高まる前の医療機関や措置時代の高齢者ケア施設は患者や利用者に対して幼稚園児や赤ちゃんのように呼びかけることは普通だった。 その後、医療機関に対する批判の高まりと一部医療関係者の改革意識によって「〇〇様」が普及した。福祉施設でも介護保険の実施を機に、「してやる介護」から「利用して頂くケア」と意識改革が進んだ。いまどき利用者を「おばあちゃん」「おじいさん」扱いする施設はないだろう、と思っていたら、さにあらず。私が通う医院のリハビリ職員は、誰彼かまわず赤ちゃん言葉で呼びかける。初日は、たまたま運悪くダメ職員に当たったのかもしれないとさほど気にはしなかった。ところが、通い始めて驚いた。毎回、「尾崎サマ」と呼ばれてリハビリ室に入ると職員から赤ちゃん言葉で話しかけられたり指示されたりするのである。 私は63歳。あと2年で介護保険を利用できる「高齢者」になる。還暦過ぎれば老人、と言われれば、反論の余地はない。とはいえ、赤ちゃん言葉で話しかけられれば不愉快だ。「言葉遣いに気を受けたまえ」と注意しようと思いつつ、「いい年をして大人気ないか」と我慢してきた。 そのうち、こう思うようになった。同じリハビリ医院で、大人しく赤ちゃん呼ばわりされている他のお年寄りたちも私と同じ思いをかこっているのではないか。杖をついて来る方もいるが、ほとんどの患者さんはお年寄りでも1人で通院してくる。アルツハイマー病や認知症らしき人は見当たらない。百歩譲って認知症だとしても赤ちゃん言葉は適当ではない。大袈裟に言えば人間としての尊厳をないがしろにする人権侵害である。いつかタイミングを見計らって院長に注意しようと考えている。 日本の医療はどこかおかしい。保険財政がどうの、医療制度に問題があるとか、難しい議論はさておき、医療機関も医療従事者も普通の常識や人間としての感性に乏しいのだ。「患者様」に対して無意識に「赤ちゃん言葉」で呼びかけるリハビリ医院に通う私はそう考えている。
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