市民の眼 尾崎 雄 Ozaki Takeshi |
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vol.18
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「死の臨床の魅力」とは? |
2004-1-21
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第27回日本死の臨床研究会年次大会に参加して 11月15日から2日間、徳島市で第27回日本死の臨床研究会年次大会が開かれた。ホスピス・ターミナルケアの近況を知り、ホスピスなど医療施設や患者の自宅で日々死の臨床に携わっておられる医師、看護師、ボランティアらと再会し、また新たな出会いに恵まれることができる貴重な場である。四国での開催は初めてで、参加者は一般市民を合わせて3000人に達した。多彩なイベントや研究発表のなかから大会冒頭に柏木哲夫金城学院大学教授が行った同研究会世話人代表就任記念講演を紹介しよう。演題は「死の臨床実践の意味――ホスピスケアを通しての洞察」だった。 柏木氏は淀川キリスト教病院名誉ホスピス長。1973年からホスピスケアを始めた、ホスピスケア先覚者のひとりである。「死の臨床に従事してきた30年を振り返ると、それが多くの魅力に満ちているから継続できたと言える」と語り始めた。死の臨床の魅力を表すキイワードは12。すなわち@ドラマ性、A凝縮性、B完結性、C濃密性、D平等性、E双方向性、F全人性G創造性、Hチーム性、I開放性、J統合性、K回帰性――だ。終末期の患者と向き合い、その支援に携わってきた賢明な読者なら、これら一つ一つの言葉から、人間のいのちに最期まで付き添う意味と、その“魅力”を感じ取っていただくことができるはずだ。ここでは「ドラマ性」、「統合性」そして「回帰性」に絞って、その要旨を伝えたい。 終末期の患者およびその家族にとって自らおよび愛する人の状況をたった12の言葉に集約されること自体、辛くせつないことに違いない。「誤解を承知で」と柏木氏は語る。「人々が旅だつこと自体がドラマである。死に行く人は主役、家族は脇役。私たち死の臨床に携わる者たちは、そのドラマに参画させていただくのです。それは医療スタッフの特権である」。この講演の3日後に東京大学医学部が行った「医学序論連続講座」で河合隼雄文化庁長官は「医療における『物語』の意義」を講義した。すなわち、人間はあくまで「自分との関連において」世界を見ることも必要である。人間の死については、客観的に語れる。しかし、愛する人の死、自分自身の死、となるとどうなるのか。それらを自分なりに納得のいく形で受け入れようとするとき、人間は「物語」を必要とする。ホスピスで2500人の死を看取って来た柏木氏にとって「そのひとつひとつがドラマ」だった。 私はイギリスの経済学者、アルフレッド・マーシャルの言葉「経済学を志す者はウォーム・ハート(温かい心)とクール・ヘッド(冷静な頭脳)を持たねばならない」を思い出した。マーシャルとほぼ同時代を生きたナイチンゲールは「ベッドを優しさの輝きで神聖なものにした」(L.ストレイチー著『ナイチンゲール伝』)と讃えられてきたが、その実像は「実証主義的で、現実的で、超実際家肌」(同)の一面を備えていた。男性性と女性性を兼ね備えていたのである。人間には男性性と女性性が共存するのだ。ところが、「死の臨床」から「臨床一般」に目を転じると、そこでは権威主義的パターナリズムに心身を任せた医師が医療の実権を握っている。 最後の「回帰性」は医の原点に関するキイワードである。「医療や介護の原点は苦痛の緩和である。しかし、新しい治療法を求めて疾患に挑戦してきた近代医学は治癒と延命を希求し、苦痛の緩和や人間らしい死を支えるという重要な役割をかえりみなくなった。死の臨床は『その人がその人らしい生を全うするのを援助する』ことを目的とする。すなわち、医療の原点への回帰である。この回帰性がスタッフにとっても、一般の人々にとっても重要な意味を持つ」。 この言葉は、そのまま現代医療のあり方を問う問題提起になっている。ホスピスや緩和ケア病棟ではない一般病棟で働く医師たちも、この際、患者の物語に耳を傾け、柏木氏が言う「死の臨床の魅力」に目を向けてみてはどうだろう。
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vol.17
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住民の健康を護る温泉町の保健師―水中運動ネットワーカーとして |
2003-10-11
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大分県の温泉郷、湯布院と言えば、団体さんお断り、ネオン無し、「風俗」シャットアウトの町おこしで有名だが、実は保健・介護予防のモデル地域であることはあまり知られていない。一人の保健師が町営温水プールを活用した水中運動を町民に広めてリハビリ効果を上げ町民の医療費を減らしているという。さっそく湯の町、湯布院に行ってみた。 秀麗な由布岳を見上げる河畔に建つ町営健康温泉館「クアージュゆふいん」。午前10時の開館を待ちきれず20分も前から70代、80代の女性たちがおしゃべりをしながら玄関にズラリと並ぶ。お目当ては温泉入浴ではなく温水プールでの水中ウォーキング。胸もとまでの水に浸かって楽しく水中を歩く。ここでは必ず「水中運動リーダー」が数人入って一緒に歩く。彼女たちは水中運動の理論を学び実践を積んだボランティア。さりげなくお年寄りたちの様子に目を配り、声かけをしながら、安全にお年寄りたちを健康づくりやリハビリの指導をする。女性も男性も知り合いもそうでない人も一列になって水中ウォーキングをすることおよそ40,50分。歩き疲れた人たちは傍らのジャグジーバスや打たせ湯に身を任せてくつろぐ。仕上げは浴室で温泉を一風呂浴び、お友達と弁当を食べながらおしゃべりを楽しんで帰っていく。ほとんどの人が毎朝通う常連さんだ。 こうした日課を半年、1年と続けると、歩けない人は歩けるようになり、丈夫な人は前より元気になり、血糖値、血圧などの健康指標も下がる。水着姿のお年寄りは嬉しそうに「丈夫になった」「腰の痛いのが治った」と口々に言う。大分市から夫の車で毎日1時間半もかけて通ってくる女性も。半年で脳出血の後遺症による半身麻痺が改善し、水中で歩けるようになった。地元の医者に勧められて水中運動を始めた生活習慣病患者129人のうち89人は血糖値や血圧低下など「何らかの改善効果」が認められた。また国民健康保険の医療費も、水中運動をやっている人は、開始前と開始後では1年間で約半額に減ったそうである。 地元医療機関のひとつ岩男病院の副院長・後藤茂医師は、こうした医療効果を9月に別府で開かれた国際温泉学会で報告した。その要旨は「強制ではなく、自由意志で、長期に行う水中運動」が「中膜のエラスチンの変性とカルシウムの沈着を抑制」と「副交感神経活動の亢進で平滑筋の緊張度が低下」を促し、動脈硬化の予防・改善し、の予防と改善をもたらす――というもの。これを聞いた同学会のアンドレ会長は後藤医師に、さっそく同じ報告を母国スペインでやってほしいと要望した。水中運動が身体にいいことは分かっているが、ここの実践が優れている点は、「医療機関、保健師、公共温泉施設、アクアセラピストが連携協力することで、水中運動が自由意志で楽しく自然に生活習慣の一部になり効果が出る」(後藤医師)ようにしたことである。 その連携プレーの要としてキイパーソンの役割を果たしてきたのが保健師の森山操さん。まず福岡県大牟田市のアクアセラピスト、古賀眞澄さんに頼んで平成12年から3年間、水中運動リーダー養成講座を開いた。現在のリーダーは60人で、ほとんどが女性である。彼女らが口コミで町民に水中運動の楽しさを伝え、その楽しさと効果を体験した町民がさらに口コミで町中に広げた。その結果、定期的に水中運動をする人は年間延べ50,000人に達した。湯布院町の人口は12,000人である。これは、町の保健師になってからずっと続けてきた森山さんの地道な保健師活動のお陰。「これは森山さんでなければできなかったかもしれない」と水中運動リーダー会の大谷ミチ子さん。森山さんは「住民の『個』が見えるように町民の家を一戸一戸訪ねなさい。たとえ1回でもいいから」と後輩の保健師たちに教えるという。 21世紀は地域の時代。地域の医療・福祉の担い手は施設の人から地域の人に変わる。森山さんのように地域を見つめる保健師や訪問看護師が一人でも多く増え、私たちの暮らしを支えて欲しいものである。 尾崎 雄(老・病・死を考える会世話人) |
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vol.
16
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地域にホスピスの新しい風が吹く |
2003-9-08
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ホスピスに新しい動きが芽生えている。生と死のサポートというホスピス本来の使命を地域の中で果たしていこうとする試みだ。国の医療制度に従った緩和ケア病棟は全国に広まってはいる。だが、それらは、どちらかといえば点と線を結ぶ形に留まり、必ずしも地域に暮らす患者・家族をサポートする機能を十分に果たしているとはいいがたい。。点と線の確保にしかできず、癌という強大な敵地に対して実効ある攻略をできていない。旧日本帝国陸軍の第二次大戦における中国大陸侵攻や現在の米軍によるイラク占領と同様である。 わが国の在宅ホスピスケアも点と線での医療である。やる気と使命感に燃えた一握りの医師や訪問看護婦たちが、孤立無援のまま、終末期医療に携わっているのだが、それらの崇高な戦いは彼らの個人的な奮闘に留まり、他のホスピスケアに携わる医師やホスピス施設との有機的な連携は十分とはいえない。在宅ホスピス医のネットワークも臨床の提携というよりも情報交換の場に留まりがちだった。施設ホスピス(緩和ケア病棟)は全国120箇所に達したもののその多くは地域との交渉が少ない“閉鎖病棟“ないし、総合病院内の“特殊病棟”になりがちでコミュニティケアの拠点とは言えなかった。 欧米のホスピス・ターミナルケアは在宅ケアが基本である。ホスピスという施設は在宅で終末期を送る患者さんと家族のためのバックアップ施設、在宅介護支援センター、ショートステイ施設なのである。ところが、日本の「ホスピス(緩和ケア病棟)」の多くは制度的に地域医療のための施設というよりも地域から隔離された“閉鎖病棟”になりがち。そうした隔離病棟が急速に増えてきたのは、医療者のホスピスケアに対する情熱や使命感によるのではなく、むしろ経営多角化など医療事業の経営的動機からだと指摘するホスピス医も少なくない。国の基準に合った緩和ケア病棟を作れば、患者一人当たり1ヶ月約100万円の診療報酬が約束されるからだ。 聖ヨハネ桜町総合病院ホスピスの山崎章郎医師は10年間のホスピス勤務をやってみて、こうした「(施設)ホスピスの限界」を感じ、来年から施設でも在宅でもない「第3のカテゴリー」とも言うべき終末期のコミュニティケアを始めることになった。国立病院にも画期的な動きがある。豊橋国立病院の緩和ケア病棟(24床)開設計画である。この計画の最大の特徴は、そこを開業医が実施する在宅ホスピスのバックアップセンターにすることだ。事実上の開設リーダーと目される佐藤健医師は、ドイツ・ボンのホスピスを参考にしてプランを練った。地元医師会も乗り気で、佐藤医師は開業医の教育に乗り出した。国立病院としては珍しい試みで成功すれば在宅ホスピス展開のための「豊橋方式」として各地のホスピス活動に影響を及ぼすだろう。 NPO法人によるきめ細かい取り組みとしては、仙台の訪問看護師・中山康子さんが9月26日に在宅緩和ケア支援センターを立ち上げる。癌患者・家族のための「ケアサロン」やデイサービスの実施という画期的なコミュニティサービスを行う。また、NPO法人救命促進情報センター(理事長・中村直行氏)は、在宅医療情報の研究を始める。在宅医療関連企業を巻き込んで在宅癌患者への情報サポートシステムをつくるための研究だ。わが国にホスピスケアが紹介されて4半世紀。ようやく施設主義から在宅へと本来の姿へ立ち返ることになる。ホスピスケアはコミュニティケアの1分野なのだから。これらコミュニティケアのパイオニアワークの詳細については、今後、市民活動の雑誌などで報告していきたい。 (2003年9月6日。老・病・死を考える会世話人・尾崎 雄)
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