市民の眼        尾崎 雄 Ozaki Takeshi


 
vol.21
 

人間の誕生から看取りまでするコミュニティケア

2004-3-1
 

 施設から在宅へそしてコミュニティへ。高齢者介護の仕組みは閉ざされた場所から個人の居場所へ、さらに人々が日々の暮らしをする地域へと進化する。それは高齢者を施設に収容することを当然とした高齢者福祉を否定する介護保険の実施がきっかけだった。それを一歩すすめる考えも発表された。中村秀一厚生労働省老健局長の私的研究会・高齢者介護研究会が昨年発表した「2015年の高齢者―高齢者の尊厳を支えるケアの確立に向けて」である。そのポイントは小学校通学区域を単位に小規模多機能ホームを設けるコミュニティケアの提言だ。21世紀の高齢者は、措置制度の廃止と家族“解体”によって福祉なき荒野に取り残される。その活路を近隣コミュニティの再生に見出そうとする。

ほぼ同時に発表された長野県高齢者プランで田中康夫長野県知事は「コモンズの創造」を地域開発の基礎理念として宣言した。社会的共通資本を意味する「コモンズ」は共同牧草地を語源とするが、田中知事は、それを「人間的な絆で結ばれた地域」と現代的に解釈した。助け合いの近所づきあいでつながった顔が見える近隣コミュニティである。長野県は日本1の福祉県を標榜する宮城県を追い抜き、知的障害者の大規模施設を解体し障害者が地域で暮らせるような「西駒郷」プロジェクトを昨年から実施している。コモンズの実現である。

愛知県長久手町の社会福祉法人「愛知太陽の杜」は「生涯現役村」構想に取り組んでいる。愛知万博をきっかけに町が施設に隣接して造成した土地に一戸建て高齢者住宅を150軒つくる。それぞれの住宅には女子大生や看護・福祉学生を下宿してもらう。「若い女性が住めばボーイフレンドも来て高齢者の元気のもとになる」(吉田一平理事長)からだ。

そこにはすでに特養ホーム、ケアハウス、訪問介護・看護ステーション、福祉専門学校などがあるが、新たに元気老人と若い女性を招き入れソーシャルインクルージョン(多種多様な人々が共棲すること)を推進。さらに産院兼診療所を併設する。そこから高齢者の在宅診療と看取りまでカバーする。人間の生と死を同時に受容する究極のコミュニティケアだ。デベロッパーの吉田さんは、国や地方の補助金を受けず自力開発する。手始めに昨年秋、町民が参加して敷地内に10,000本の植樹を行った。

私は最初、突飛な発想だと思ったが、それは勘違い。わずか半世紀前まで、我が国では、どこでも、その町や村で生まれた人たちを、その町や村の自宅でお世話し、その家で看取ってきたのである。愛知太陽の杜のコモンズ「生涯現役村」プロジェクトは当たり前のことをやろうとしているに過ぎないのだ。

              AID(老・病・死を考える会世話人)尾崎 雄

 
 
vol.20
  在宅医療から市民自身による「マイメディスン」へ
2004-1-21
 
 

久しぶりに目が覚めるよな医療講演を聞いた。1月18日、東京で行われた第2回在宅医療市民公開講座で新宿ヒロクリニック院長・英(はなぶさ)裕雄医師が行った「在宅医療のススメ」である。聞きっぱなしにしておくのはもったいないので、私の独断と偏見をまじえて紹介する。

結論は、医師も市民も「在宅医療」ではなく「個人医療」をめざせ。市民自身が自己責任で自分自身の医療をする「マイメディスン」や「セルフメディスン」こそ患者のQOLを維持向上させるというのだ。市民(患者自身)の市民による市民のための「セルフメディスン」をサポートすることが真の在宅医療であり、そのサポーターが在宅医療専門医である、と。

在宅医療の第1期は人権を護る医療をめざした。第2期は「在宅」原則を初めて“公約”した介護保険に促された現在の在宅医療である。そして21世紀の第3期は「『個』の医療」を在宅で実施することだ。それは単なる訪問医療とか往診ではない。真の在宅医療は「セルフメディスン」である。「それをサポートするのが在宅医療です」。その背景は20世紀末から大きくクローズアップされた医療事故の頻発と医療保険財政の逼迫だ。つまり人権意識に基づく市民の自己防衛意識と装置産業と化した医療経済の膨張である。

英医師は、ひとりの独居の末期がん患者をスライドで紹介しながら「マイメディスンの凄さ」を説く。その中年男性患者は、退院すると自分の手で経菅栄養のチューブを抜き、点滴を自分自身で管理して亡くなっていった。退院から在宅療養に移って亡くなるまでの経過をすべて自己決定・自己管理したのである。このように見事なセルフターミナルケアは稀なケースだろう。もちろん患者と家族だけではどんなセルフメディスンもできまい。ただし「医者だって自分自身の手術をすることはできない」のだ。

在宅医療におけるマンパワー不足を家族の手を借りて補うということよりも、患者本人と専門職が在宅で一緒に医療を行うことが在宅医療の本質である。医師、看護師、ヘルパーなど専門職と患者本人と家族の協働作業がセルフメディスンなのだ。それは、とりもなおさず患者の自立を意味する。「自立した医療を行うことによって人は自立した社会人になる」。それは医療人の独占から「医療の解放をする」ことだ。

「家で死にたいと在宅医療を望む人は少ない。最期まで何かをしたい、人生を楽しみたいという夢を持って在宅医療を選択する患者が多い」。だから「そのひとなりに人生を良くするために、患者とともに努力する医師が在宅医だと思う」。ところが現在の医療制度や医療報酬の体系はセルフメディスンを配慮していない。「医療を市民のものにしない限り医療費は高くなり、市民は医療から疎外される」。まったく同感だ。

医事評論家の水野肇氏は、日本医師会の会員について、こう指摘する。「少なくとも半数近くは、単に医療費増を望んでいるだけで、日本の医療に情熱を持って取り組んでいる人は、ごく一部」(『誰も書かなかった日本医師会』)だと。「患者中心の医療」を標榜する医療機関は増えてはきたが、「患者様」と呼びつつ、白衣の蔭にパターナリズムがちらつかせる医師も少なくない。「患者教育」という言葉にそれが色濃く表れている。

その点、英医師の講演には市民社会の感性がきらめいていた。彼のような新感覚派が力を発揮できるように医師会の長老や厚生労働省が発想を転換し、制度を改めれば、ほんとうの医療改革に道が開けるだろう。

             (2004年1月20日 老・病・死を考える会世話人 尾崎 雄 )

 

 
vol.19   「東京物語」が予言した“未来社会” の介護問題
2003-12-24
 
 

オズ・ブームである。12月21日付の朝日新聞は小津安二郎監督の生誕100年を記念した国際シンポジウム「OZU2003」特集を掲載した。4人の外国人監督は「なるほど」と思わせる視点でOZUの魅力を率直に語っていた。たとえば『晩春』における“近親相姦”の指摘。ところが日本人監督6人のうち5人までが細かなカメラワークや難解な映画論を展開し、素人の映画ファンでもわかるようなコメントは吉田喜重氏くらいだった。フランスの評論家、シャルル・テッソン氏が「日本の監督の話は技法中心で、主題について言及がないのに驚いた」と指摘するが、まったく同感である。現代日本の劇映画がつまらなくなった理由はこのあたりにありそうだ。

それはさておき、このシンポが見落としていた小津映画の魅力に触れてみよう。それは未来予測である。わたしは、シニア向け情報誌『ONION』の編集長をしていたとき、ある号で名作『東京物語』を取り上げたことがある。執筆は内科医で映画ファンの岡本祐三氏にお願いした。同医師、いまは開業しているが以前、厚生省(当時)の報告書「新たな高齢者介護システムの構築を目指して」(平成6年12月)をまとめた高齢者介護・自立支援システム研究会の委員を務めたことがある。その報告書の内容は介護保険の基本的な枠組を初めて世に問うた画期的なものだった。その意味で岡本医師はわが国の介護保険制度の蔭の仕掛け人のひとりと目されるべき人物である。それについては同医師が神戸市看護大学教授のときに書いた『介護保険の教室』(PHP新書)を読んでいただきたい。

岡本医師の『東京物語』論を私なりにまとめると、およそ次のようなものである。

@ 東京で所帯を持った子どもたちを訪ねて、はるばる尾道から上京した笠智衆と東山千栄子演じる老夫婦が直面した現実。それは、その後半世紀に渡って加速する人口の東京(大都市)集中とそれに伴う家族崩壊を見事に描く。

A 右も左も分からない東京に戸惑う老夫婦に対して親身になって気遣いをするのは実の息子や娘ではなく亡くなった次男の嫁(原節子)、すなわち血のつながっていない他人としての家族だった。そしてドラマの後半、妻に先立たれた老人(笠智衆)の身の回りの世話について真剣に案じるのも、その嫁だった。

B 老母(東山千栄子)の死に方に注目。脳溢血で倒れてからほんの数日で亡くなる。このように当時の高齢者は、せいぜい1週間の介護で亡くなった。だから現在のように寝たきり老人を何年も介護するような介護地獄は存在しなかった。その後、国民皆保険による医療の普及によって寝たきり老人が急増していくのである。

C そのように急増する寝たきり老人のケアの担い手としては肉親たる家族は当てにならず、血の通わない他人に頼らざるを得ないという来たるべき現実、。つまり介護の社会化の必要性をほのめかす。

D 原節子演じる次男の嫁の強さ。そこに真の女性の自立心の芽生えがうかがえる。すなわち、安易に結婚という永久就職に解決策を求めようとしない女性の自立の原型を描く。

『東京物語』は1953年の作品だが、すでに「家族崩壊」「介護の社会化」の到来を予言していた。小津監督は半世紀も前に20世紀後半から21世紀初頭のわが国にのしかかる重い「主題」を見抜いていた。巨匠の巨匠たるゆえんである。その偉大さを指摘したのが映画のプロではなく映画のアマチュアである医師であったとは……。これが『東京物語』のテレビ放映を見た私の感想である。

                 (老・病・死を考える会世話人:尾崎 雄)

 


vol. 1 草の根福祉の担い手  マドンナたちの後継者は?  
● vol. 2 在宅ホスピス普及の鍵を握る専門看護婦に資格と社会的地位を
  
● vol. 3 <NY“脱出”速報>


vol. 4 ホスピス・ケアはアジアでも「在宅」の波?  
vol. 5 青年医師の決断  −ニューヨークのテロから学んだこと−
vol. 6 「恐い先生」と「やさしい先生」 −東京女子医大の医療事故隠蔽事件のニュースから−


vol. 7 「9.11」のニューヨークから4ヶ月−生還者たちの様々な思い−
vol. 8 介護保険で介護負担感は軽くなったか?−サービス利用料が増えれば実感がわく?−
vol. 9 在宅ターミナル・ケア25年。先駆者、鈴木荘一医師の軌跡


vol.10 訪問看護婦、ホスピスナースは「ハードボイルド」だ!?
vol.11 車の片輪で走り出した高齢者福祉? 成年後見制度 日独の違い
vol.12 東北大学が生んだもう一人の先駆者、外山義氏の急逝を惜しむ

     日本の高齢者介護の改革を促した人間建築デザイナー


● vol.13  旅だち―ある女子大の卒業式にて 
● vol.14  大学教授になって11ヶ月目。急逝したAさんを悼む
● vol.15 「旬なスポット、六本木ヒルズ」は“バブル”の丘?


● vol.16 地域にホスピスの新しい風が吹く
● vol.17 
住民の健康を護る温泉町の保健師―水中運動ネットワーカーとして
● vol.18 「死の臨床の魅力」とは?

vol.22 介護予防に役立つ「非マシン筋トレ」。熊本県と北海道の実践から
vol.23 看護師が仙台でデイホスピス(在宅緩和ケアセンター)を開始
      一般住宅を借りて在宅ホスピスケアの拠点をつくる

vol.24 介護ロボットの開発に関心が薄い福祉業界


vol.25 医療政策を官僚から市民の手に――国の補助金で人材養成
vol.26 スウェーデンでも遅れている? 医師たちの痴呆観

vol.27 中越地震から1ヶ月――被災地の病院における危機管理


vol.28 災害医療と情報――危機管理の基本について
vol.29 ケアの主役は高齢者――愛知県師勝町の回想法を見て
vol.30 自分を騙すひと、騙さないひと


vol.31 「悪徳病院の悪徳医師」だったころ 
vol.32 医療の安全は患者参加によって進むか?
vol.33 ホスピス開設をめざす松本の尼僧


vol.34 言葉遣いについて―リハビリに通い始めて気づいたこと
vol.35 介護予防は保健師自立の起爆剤になるか?
vol.36 「良き伴侶」に恵まれるということ


vol.37 女性解放”の旗手、ベティ・フリーダンを偲ぶ
vol.38 ある開業医の物語『ドクトル・ビュルゲルの運命』
vol.39 「書を捨てよ、町に出よう」 在宅ホスピス元年に思いを馳せる新刊書


vol.40 いよいよ福祉の本丸にも改革のメス 「社会福祉法人経営の現状と課題」を読む
vol.41 年寄りの特権 古典「老子」の味わい
vol.42 もの盗られ妄想を抱いてしまったわたし


vol.43 イギリスにおける医師処分
vol.44 「10対100」体制が生き残りの条件? 訪問看護ステーションの行方

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