起業家ナースのつぶやき 村松
静子 Muramatsu
Seiko
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vol.27
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疑問は疑問、「今の時代って?」 |
2003-08-27
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このところ、政治のあり方に疑問を抱くことがある。
不景気ムードが続くこの時代に、金銭がらみの悪質な問題が続出している。そして、表面化される事態の行き着くところは政治界。あまりの不快な実情に、苛立ちさえ覚える。
私の祖父もその政治界の一人であった。村会議員になったのは30歳の頃で、その後、公選初代の村長になるまで連続当選したと聞く。祖父のことを、父は「選挙に金など使わない。金もないし、使う必要もなかったのだろう」と回想する。「私心なく、論が立ち、押しも強く、実行力があったし、村政の将来を見通すすぐれた議員だった」と、語ってくれる人もいる。
太平洋戦争が終わり、米国の指導で首長が公選されることになって、祖父はその初代の村長に選ばれた。昭和22年4月のことである。奇しくも、私が生まれた年であった。しかし私は、政治家としての祖父についてはほとんど記憶にない。一方で、孫を可愛いがる祖父の姿はしっかり覚えている。「小鳥には餌をやりすぎるな」「秋田へ来たら秋田弁で話せ」「学校の勉強ができなくても何も心配いらない」「正直に言うことだ。隠したりしないことだ」「足が冷たかったら、雪の中を走って来い」。祖父自らが実行して語るその一言一言には、説得力があった。
「俺はやりたいことをやった。人のためにも尽した。悔いはない」祖父が家のど真ん中で堂々とこの世を去ったのは、昭和40年7月14日であった。祖父を支えた祖母は、それから18年後に逝った。ガッシリした祖父とは対照的で小柄な祖母は、信仰心があつく、いつも感謝の心をもって、陰日なたなく黙々と働いている人だった。孫の私に残っているのは満面の笑顔である。
政治家の祖父を評した記事を読み、今の私の疑問と苛立ちが何から来ているのかを考えてみた。
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はたや
新聞
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昭和24年3月5日
第41号
発行所 はたや新聞社
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人 物 月 旦 評
高橋賢之助氏の巻
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今を時めく時の人、畑屋長高橋賢之助氏はたしかに旦評の話題にしていい人物である。ガッチリした体躯、にがみ走った顔貌は何ものにも曲げられない強い意志の表徴か。千屋村の産で若い頃は人並以上に心身両面に苦労をしたと聞くが、その経験が氏をして今日あらしめたというのかもしれない。貧乏人や困窮者の心を一番良く知ってくれるし、又一肌脱いで働いてもくれる。上鑓田という部落人ばかりでなしに、氏に接する人は心を割って全部ぶちまけて話が出来る。親分的情義の人だと評する人もある。どこまで度胸がすわっているか底が見えない面もあるが、それでいて中々綿密細心なところもある。この前の村長辞職の時短気なと思った人もあったが、あっさり辞任したあたり、いい男前ともいえる。再度推されて村長の椅子に座ったが、早速助役を入れたあたり、氏の政治的手腕と円熟性がある。最近村政全般の呑み込みが完全になったせいか、それとも助役が出来たためか、ノッシノッシと道行く姿にもどこか重みが出た。・・・・(略)
年も人の言に惑わぬ今が盛り。幸いにして健康に恵まれ、酒も呑まず、家庭環境もうらやましい好条件がある。子女皆そのところを得ている。苦労人だけあってホロリと人に同情もする。あんな大きな図体で家に帰れば子供や孫を相手に笑いこけている姿を見れば、一日中役場で疲れた頭が休まるのかもしれない。・・・(略)
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戦後の何もない時代に、人々が必死に暮らそうとしていた地を整え、誰の言葉に対しても耳を傾け、その心に接しながら、人間としての豊かな生き方を創造しながら、損得なく取り組んでいた祖父の姿がみえる。物資が溢れ過ぎている今の時代に、もし祖父が健在であったなら、どのようなことをしていただろうか。社会をどのようにみていただろうか。そしてどのような言葉を吐いただろうか。
「今やることはそんなことではない」「欲を出すな」「足元を見ろ」
「すべきことをしろ」「心を割って話せ」「自分は自分だ」
「人間我が物顔で生きるものではない」「感謝しろ」
こうして考えていると、私の苛立ちはおさまってくる。
しかし、疑問は疑問として残っている 。
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vol.26
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素敵なエッセイの贈り物 |
2003-07-22
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このところ心豊かな人たちにお目にかかる機会が続いて、滅入りがちの気持ちが救われていた私に、またまたうれしい1枚のファックスが届いた。
「村松静子様 京都へ講演に参りました折、知り合いの方から頂いて来ました。あまり素敵なエッセイでしたのでお目にかけます。」メッセージが添えられたその記事は、京都新聞 2003年7月6日付の・天眼・というコーナーであった。そのタイトルは『「味な」医療を』、臨床心理学者の河合隼雄先生が執筆されたものである。十年近く前のこと、日本臨床心理士会主催の『こころの健康会議』に出席した私は、そこで初めて先生の講演を聴いた。そして、話の奥の深さにぐんぐん引き込まれ、いつの間にか'教育とはどうあるべきか'を考えるに到っていた。それほどに、味のある講演だったのである。
当時のことを思い出しながら、私はその記事を読み込んで行った。
『・・・今回ここに取りあげたいのは、これらのこととまったく異なり、「心」のことでありながら、医療のなかで無視されているのではないか、と思うことを書いてみたい。それは病院の食事のことである。なんだ、食物のことか、と思わないでいただきたい。食物は「心」と密接に結びついている。特に病気のときはそうではないだろうか。最近、知人を病院にお見舞いして、病院食のまずさを嘆かれることが続いたので、これは重大なことだと思ったのである。病院食に配慮がないなどとは言わない。栄養の点はよく考えられている。もちろん病気によって、食物の配合は調整されている。しかし、私の言いたいのは、「味」なのである。・・・食事は癒すことに深く関係しているのではなかろうか。・・・青森にある「森のイスキア」の佐藤初女さんは、ともかくそこを訪れた人に、心のこもった料理を食べていただくことのみを大切にしている。・・・その佐藤さんの作られた、おむすびを食べて、自殺企図をもっていた青年が、自殺を思いとどまった、という有名な話である。おむすびを通じて、心が触れ合い、自殺をとめたのである。・・・・・・病院にいる患者さんたちは、もちろん身体の病で入院しているのだろうが、心の傷もあるだろうし、心と体が密接につながっていることから考えても、心のこもった味のする食事によって、ずいぶんと癒されるのではないだろうか。・・・それほど高価なものを使わなくても、食べる人の身になって、おいしく食べてもらおうと配慮するだけで、大変な違いになるだろう。・・・ここに述べたことは、実は医療のことだけではない。数量化されやすい栄養にのみ注意して、「味」のことを忘れる、というのは、日本中のあらゆるところに生じているように思う。いろんなところで、「味のある」心遣いが必要であろう。』
読みながらいろいろなことを思い出していた。
「看護師さん、俺、食欲がないんだよ。病院の食事じゃあ、食べたいと思わないよ」と言われた私は、どんぶり飯を4個の小さなおにぎりに変身させた。「食べてほしいのですが、私にできるのはこれだけ」と言って、目の前にそっと置いた。「これなら食えるよ。食ってみたいよ」と言いながら即座に手を伸ばし、3個のおにぎりをあっという間に食べてくれた。「ありがとさん」ガン末期のその人の目に涙が光っていた。新卒当時の私の姿である。
「医師も看護師も、あなたたちは本当によくやりますねって言うんです。私は、そんなこと何も言ってほしくなかった。それより、医療者なら妻に合った薬を、妻の一品料理をつくってほしかった。それなのに、誰にも同じものを使い、同じものを出しているじゃないですか。」吐き出すように言ったKさんは、妻を看取って15年が過ぎ、今、盲導犬育成ボランティアなど、様々なことを行っている。
社会のなかで忘れかけられている「味な」医療、「味のある」心遣いは、本来、誰しもが求めることであり、個人個人がその必要性を感じて行動すれば可能なことだと私は思う。しかし、どうすれば「心」を込めて行動できるようになるのだろうか。その難題が潜んでいる。
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vol.25
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ナースの私が抱く疑問〜2.静脈注射 |
2003-06-12
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2003年6月、厚生労働相は、ヘルパーの吸引解禁について「ALSで認めることになれば、他の病気にも相応の対応を進めるのが妥当」との判断を示したうえで、「介護士も訓練を積んでいろいろなことができるようになっている。医師や看護師でなければできないということではなく、段階的に拡大していかなければいけない」と述べ、さらに「できることはみんながやれるようにしていきたい」と今後の意向をも述べている。
看護師である私も、それぞれが一定の基準に達しているのであればそれでいいのだと思う。
しかし疑問も残る。解禁の必要性は十分わかってはいるが、なぜ疾病を限って突然に解禁するのか。また、なぜ今、「できることはみんながやれるようにしていきたい」などと発言したのか。そして疑問は続く。静脈注射を看護師がしなければならない状況は確かにある。しかし、なぜ診療の補助の範疇なのか。看護業務をどのようにとらえているのか。
在宅への医療器材の導入が増え、ターミナルが増え続けている中で、なぜ、介護保険下での緊急時訪問看護加算1,370単位が540単位に引き下げられたのか。ターミナル期の看護をどのように受け止めているのか。長年在宅看護にたずさわり、数多くの在宅死を看とってきた私の心には何か寂しさが込み上げてくる。
2002年9月30日付けで、厚生労働省は次のような通知を発出している。「静脈注射は、医師や歯科医師が自ら行うべき業務であって、保健師助産師看護師法第5条に規定する看護師の範囲を超えるものであるとしてきたところであるが、今後は規定する診療の補助行為の範疇として取り扱うものとする。」ここで、静脈注射の施行が明らかに看護師等による診療の補助の範疇として認められたことになる。さらに記されている。
ただし、薬剤の血管注入による身体への影響が大きいことに変わりはないため、医師又は歯科医師の指示に基づいて、看護師等が静脈注射を安全に実施できるよう、医療機関及び看護師等学校養成所に対して、次のような対応について周知方お願いいたしたい。
(1) 医療機関においては、看護師等を対象にした研修を実施するとともに、静脈注射の実施等に関して、施設内基準や看護手順の作成・見直しを行い、また個々の看護師等の能力を踏まえた適切な業務分担を行うこと。
(2) 看護師等学校養成所においては、薬理作用、静脈注射に関する知識・技術、感染・安全対策などの教育を見直し、必要に応じて強化すること。
確かに私も、苦しむがん患者を前に、「私が痛みのコントロールのために薬の量を調整できたらいいのに。なぜ看護師の私ではダメなんだ」と悔しく思ったこともあった。「経口で無理なら静脈から水分補給できたらきっとだるさがとれるのに。看護師にできることはこれしかない」と情けなく思ったことはあった。しかし改めて考えると、ICUや救急の場、内科・外科・脳外科等さまざまな領域を体験してきたとはいえ、看護のプロである私の本業は、あくまで相手に向き合い、その人に最も合った方法を見出して、看護ケアを提供するところにある。そう考えたとき、医療行為を先行させた今回の発令には疑問が残る。ケアを+αにしていくような錯覚に陥いらせたり、それを強要するようなっていくようでは困るからだ。「できることをみんなでやる」という方針で医療行為が進められていくことは怖いことである。『この人に今本当に医療行為が必要なのか』の議論が遠ざかり、極論では『医療行為が必要だからみんなでやろう』ということにもなる。医療費が増大している意味、医療費に組み込まなければならない看護サービスの具体的内容についてももっと真剣に検討していただきたいと私は願っている。そしてさらに『この人になら任せられる。お願いしたい』『私なら責任を持って行える。行わせていただく』というお互いの信頼と評価を得る関係性を条件づけることも検討していただきたい。
医療器材の装着が1つ増えれば、療養者・家族の不安や苦痛はさらに増大する。私はその状況を一看護師として長い間何度も目の当たりにしてきた。静脈注射をすることに反対しているのではない。しかし、もっと検討すべきことがように思うのである。
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