起業家ナースのつぶやき 村松 静子 Muramatsu Seiko |
||||||||
|
||||||||
vol.36
|
介護保険制度の次の手は介護予防?〜今、私が思うこと |
2004-10-18
|
||||||
「家族がいないということは辛いことですね。家族がいると、遠慮なく身の回りの世話をしてもらえる。でも、人様にはそのような姿を見せるわけにはいかない。自分の語り口がゆっくりとなって、言葉がすぐに出てこなくなったりしますと、私はいやなのです。周囲の方は、笑いながら、歳をとると皆そうなるといわれるが、私はそれがたまらなくいやなのです。若い時分は楽しかった。だから、よく働きもしました。」「ひとりでいると気をつかわなくていいのですが、部屋の中で倒れたらどうしよう。誰もいないところで眠るように死ぬのは寂しい。やっぱり、家族のいるところで、自分で死を悟って息を引き取りたい」「もしかしたら、あなたに目で合図することもできないかもしれない。しかし、私の気持を察して動いてほしいのです。あなたに連絡が取れさえすれば安心だ。」 一看護師として現場に携わる一方で、一市民、一女性、そして家族の一員として歩み続けた私は、50歳代半ばを駆け上り、フッと立ち止まって、思うことがある。
|
||||||||
vol.35
|
安比高原の女(ひと) |
2004-08-26
|
||||||
目的地だけを決めて旅立つ旅もまたいいものである。 安比の女(ひと)の自分の気持ちに素直に生きようとする姿は、実に人間らしい。
|
||||||||
vol.34
|
國分アイ先生の遺志を継ぐ |
2004-06-15
|
||||||
|
||||||||
姉が生前お別れのご挨拶にと書き記しておいきました文、そのままでございます。 |
||||||||
姉、國分アイ儀、平成十六年四月十四日、多発性骨髄腫にて死去いたしました。故人の生前の希望により身内の者のみにて野辺の送りを済ませ、このほど49日の法要を相済ませました。在世中は心からなるご厚誼を頂きましたこと本人に代わり心から御礼申し上げます。 平成十六年六月 弟 國 分 ○ ○ |
||||||||
闘病生活をつづけながらも「看護の道ひとすじ」に生きた姉でしたが、最期は全く苦しむことなく胸に手を組んで安らかに旅立ちました。享年八十三歳でございました。 姉の優しさを感じ、その遺志を貫き通そうとした弟さんと妹さんのお心が伝わってきて、私はまた違った意味で感動した。先生よりも若いとはいえ、高齢で病弱な弟や妹たちになるべく負担をかけまいと、生前から配慮していた姉としての姿がそこに重なる。先生ならではの温かな心遣いは死後にまで続いていたのである。
妹さんがくださった手紙の中の一文に、私はあの日のことを思い出す。 「・・姉が動けずにいた折、村松様が訪れてくださり、ベッドにまっすぐ体をのばして寝るようアドバイスしてくださったり。元気なお声で気合をかけてくださった時から、痛みがとれ、動けるようになったこと、鮮明に浮かんで参ります。・・」 妹さんがおっしゃるように、私は元気すぎて、気合をかけることがある。 |
||||||||
「八十乙女のつぶやき」というタイトルの著書が妹さんの手によって出版されると聞いている。その中には、先生の奥の深い真心がさらに綴られているはずである。私は、その著書を手にとるその日を楽しみにしている。 |
![]() |
|||||||
|
||||||||
コラム(村松静子)へ戻る |
||||||||
![]() |
||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |