起業家ナースのつぶやき 村松 静子 Muramatsu Seiko |
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vol.33
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恩師、国分アイ先生 |
2004-04-22
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1920年に福島県でお生まれになった先生は、日本赤十字看護婦養成所を卒業と同時に戦地へ向かい、傷病兵の方たちを敵味方分け隔てなく看護した。「ロマンと感傷の中で、美しく輝く南十字星を見たのよ」と、お話くださったこともある。そんなロマンチックな一面をお持ちの先生は、看護の道を選んだ私にとって、いろいろな意味で、常に教え導く大きな人であった。72歳になった先生は多発性骨髄腫と共生しながら、放送大学を5年で卒業。その後も、病と共生しながら、フランス刺繍、ケーキづくりと何事にも研究心が旺盛だった。 私が先生に出会ったのは、日本赤十字中央女子短期大学で臨床指導をなさっている時だった。話すことが苦手で、不器用な私は、何かと先生の手を焼かせた。「あなたのシーツのたたみ方ではね、足元の側が顔の付近にくるでしょ? それじゃあ、皆さん、お嫌よねえ。逆さにならないようにするには、こうするといいのよ」と丁寧に教えてくださった。しかし、なかなか思うようにならない。それでも、「あなたはお話があまり得意じゃないけれど、優しいのよねえ」と、褒め言葉を必ず添えてくださった。何よりも、先生はすごい人だ、あのような看護婦になりたい、と思った場面があった。ある日、実習病室を回っていると、カーテンをかき分けるように患者さんが皆顔を出す。そしてどの人も言った。「国分先生はまだ来ないの?」「今日は来るよね?」「あの先生の顔を見るとホッとするんだよ」。それらの言葉に、私は無性にうれしくなっていた。傷病兵たちがナイチンゲールの姿を待ち焦がれている、そんな状況と重なって映ったのを覚えている。 先生はその後も、自治医科大学付属高等看護学校、杏林大学医学部付属看護専門学校、埼玉県立衛生短期大学、日本赤十字愛知短期大学で教鞭をとり、一貫して、自ら体験した胃癌の手術、腰椎圧迫骨折、肋骨骨折、胆のう摘出など怪我や病気を生かした看護実践にこだわりながら教育に携わった。赤十字を離れ新しい職場に移った先生は、赤十字という古巣を愛し、思いつつ、いろいろなことを考えられたようである。「日本でも比較的古い歴史を有する病院での、看護の技術史のようなものの編纂を試みてはどうであろうか。苦しむ病人に立ち向かった先人のひたむきな思いが、何らかの形として受けつがれ、その中には、理論的にも実証できる立派な技術があるのではなかろうか。看護と教育の共有、これこそが私の天職と、私はこの職責を定年の日まで続けても良いと満足しきっていた」と、自伝に記している。 「夜勤婦長だった十二さんがね、洗面器に、熱いお湯とタオルを用意させたの。そして手術後辛い思いをしていた私の身体を拭いてくれたのよ。私はなされるまま横に向けられ、背中から腰にかけては、当時、米軍支給の大ぶりの柔らかい羽根枕がさし込まれ、支えられて、首筋から肩は熱い蒸しタオルとバスタオルで覆われたの。彼女の指先が軽く肩を揉んでいる。ああ楽だ、気持ちいい・・・・・・と思う間もなく私は眠りに入ってしまったの。彼女が何時病室を去ったかも気づかなかったのよ。 ふと、目が覚めると、朝の光が眩しく目に飛び込んできた。何ともいえない爽やかな朝の目覚めだったのよ。あれほど苦しかったのに、私は何時の間にか眠ってしまったの」。その時のことを、先生は自伝の中で、次のように表現している。「なんという素晴らしいケアであろうか。これが本当の看護なのだ。私は、同室、同級生、十二婦長の深夜の看護処置に驚嘆し感動していた。患者の痛み、苦痛の緩和には注射薬を使わない看護のわざがあるのだ。この感動が私の看護に大きな気づきを与えてくれた。この時が私の看護婦としての再生の朝でもあった。彼女への感謝の思いは私の中で今もつきないのである」と。 昨年の12月、先生から荷物が届いた。それには次のようなメッセージが添えられていた。真心がつまった大好物のアップルパイを、私はよく味わっていただいた。美味しかった! |
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村松静子様 久しぶりにアップルパイを焼きました。職場の皆さんの分は無理ですので、ご家族でめしあがって下さい。 敗者復活というところです。何とか生きております。お元気でご活躍の程を 國分 拝 2003.12月7日 |
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先生のコラムを読み返していると、涙がこみ上げてくる。 私の名の愛とは何だろう。今思う。愛とは他者に対する善意の限りない関心ではなかろうか。無関心、無責任、利害打算に真の愛は成り立たない。愛は暖かく優しく何よりも真実の行為である。時に深く、広く、大きくありたい。看護における愛とは、それに、知的関心、プロとしての責任を伴うものと思う。そう言えば、ナイチンゲールも3つの関心と言っていた。「症例に対する理性的な関心。病人に対するもっと強い心のこもった関心。病人の世話と治療に対する技術的な関心」と・・・・・・。(国分アイ) |
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偉大な先生にお会いできたことに感謝するとともに、「看護とは」を全身全霊で教え、伝え、残してくださった先生に約束させていただきます。先生からお教えいただいた看護の姿を、私なりに本物にして、後輩たちに伝えていくことを。 先生、ありがとうございました。いつまでも見守っていてくださいね。 |
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vol.32
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介護保険制度が抱える問題 〜看護にこだわる開業ナースの視点から |
2004-03-17
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とにもかくにも見切り発車してしまった介護保険制度であったが、すでに丸4年を迎えようとしている。時の流れとは早いもので、わが身も刻一刻と利用者側の年齢に近づいている。制度枠での諸サービスの数も、あれよあれよという間に増えて、どこへ行ってもそれらしき看板や車が1つや2つ否が応でも目に入るようになった。数が増えた。やっぱり制度の発足は成功した。 定着してきているという受け止めもあるのだが? さて? 発足当初、私はその仕組みや申請・認定の流れ、加えてケアプランなる存在やケアマネジャーの導入方法などに、いくつかの疑問や不満を抱いていた。いわゆる見切り発車、反対派であった。しかし今や、それらの疑問や不満が解消されたのかというと、決してそうではない。今でも問題ばかりが目に付いている。 |
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看護は、必要なときに、必要な看護を、必要なだけ行わなければ意味がない。年齢問わず、どんな重症であろうとも、療養者とその家族が在宅での療養を望む限り、その思いを支えたいと願い、必死に取り組む看護師にとって、介護保険制度はあまりに余分な負担が多く、以前より増して訪問しずらくなっているのは見逃せない事実なのである。 | |||||||||||||
vol.31
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40年の歴史をもつ企業内大学老舗『ハンバーガー大学』 |
2004-02-04
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経営戦略との連動という点から、昨今注目されているのが「企業内大学」で、その設立がブームになっているようだ。 マーケティング、マネージメント中心の授業内容である。たとえば店長であれば、店舗運営のための人事や組織心理学なども含めた経営学の授業を行っている。正に、ハンバーガーの作り方を教える学校ではないことが理解できる。"人材育成がすべての経営活動のベース"という哲学が設立の背景にある「ハンバーガー大学」は、今ではドイツやオーストラリア、そして日本と、世界各国に広がっているのだという。 この動きは、ここ数年、国内でも急速に見られるようになっている。売り上げの0.4%を研修費にあてているという会社もあれば、会社の精鋭として選ばれた人には、3ヶ月間、通常業務を離れ、みっちりと研修する。その予算は一人1000万円かける、という会社も出てきた。それは大手企業が中心で、生き残りをかける企業に広がっているのだ。 |
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今では、私たち看護職集団のような小さな会社でも、趣向をこらした研修を続け、それらに乗り遅れることなく前進していくことが不可欠になっている |
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