起業家ナースのつぶやき 村松 静子 Muramatsu Seiko |
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vol.30
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ラーニングナース制 |
2003-12-27
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「ラーニングナース制」を始動して8ヶ月、絶対必要なことと実感 しかし、私は今、悩んでいる。研修できる場はあるが彼女らをサポートする側に立てる人材が足りない。そこでサポートする側に立つ人材を育てるための教育も密かに始めたのだが、そこにかかる人件費はゼロである。これらを継続するためには、やはり費用が不可欠である。実は、この「ラーニング制」を始めるにあたって、私は看護の向上を促している関係機関や関係者に研修事業の助成相談をもちかけていた。「とても必要なこと。まずあなたに始めていてもらいたい」と言われて、8ヶ月が経過している。どこからも音沙汰がない。そんな中、突然うたわれたのが「臨床研修医制度」、あっという間に方針が打ち出され、医師の卵の研修医を育てる新しい制度が2004年度から導入されることになった。来年度予算は百億円程度の助成金を認めるというもの。確かにこれまでの研修医は週百時間労働で、月収十万円以下という劣悪な環境に置かれていた。そのため多くが夜間のアルバイト診療を行い、医療事故や過労死を招いてきた。そこで提案されたのが新たに導入される臨床研修医制度である。医師免許を取得した新人医師に対して2年間の研修を義務付け、研修先以外の病院でのアルバイト診療を禁止し、確かな技術習得を後押しするというものである。 |
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看護師の本来あるべき姿、そして、今の時代に求められている役割を考えると、「ラーニングナース制」のような何らかのサポートシステムを構築する必要があるのではないか。私は私で思う。「ラーニングスタッフ制」を継続できるような助成がほしい。今のままでは継続が難しい。
今のこの情勢の中で、看護師の卒後教育の必要性を痛感しているのは私だけではないはずである。 |
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vol.29
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感受性を揺さぶる学習環境が必要なのでは? |
2003-11-12
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「『こころのレストラン』をつくりたい」そんな思いを、心の中で、ず〜っと温めている。しかし一方で、「これは夢で終わるかもしれない」と弱気になっている私がいる。新しいことへの挑戦意欲が落ちたのか、それともエネルギーが一時的に消耗しただけなのか。いずれにしろ、いつになく弱気になっている。それでも『こころのレストラン』が必要だと思っている。 人は、迷ったり戸惑ったり悩んだりしたとき、自分に適した学習環境があれば、感受性が揺さぶられ、前向きになれる。そして、一歩ずつでも自分の力でそれらを乗り越えようとするのではないか。 昨年の自殺者数は約3万2千人で、その半数は30〜50歳代の働き盛りだと報告されている。経済不況が長引く中でのリストラや会社の合併。"ホールディング社"という名のもとに、その支配会社は、外見上いかにも大きく力強く見える。しかし、その内情は思いの外がたついている。会社の合併理由が人件費を削減するための単なるリストラ策だったりする。そんな中で被害を被っているのは、必死に働いてきた社員である。「妻には話せない」「家には帰れない」「家には帰りたくない」。心の中に起こる葛藤、それがさらに強くなり、思い詰めて、自己を見失う。 人間関係が薄れた今の社会、職場でも、家庭でも、いろいろな形で苦情が噴出し、先行きの不安からストレスが増大する。そして自分を自分が追い込めていく。あと一歩を踏み出せないために、その場から立ち上がれない。心がついていかない。どうしたらいいのかわからない。モチベーションはどんどん下がっていく。自分だけが苦しんでいる、自分だけが辛い、自分だけが救われないと思い込み、自らを哀れみ、死にたくなる。真っ暗闇に入り込んでしまうのである。もはや、周りは何も見えない。自分の本心さえわからない。 今では、若い世代にもその傾向が増えている。若い世代の方にこそ、その傾向は強いのかもしれない。まだまだ元気に人生を楽しめるはずなのに「死んでしまいたい」と思い、簡単に「死」を選ぶ。物事を極端に深刻に受け止め、些細なことを気にするようになって、心が病んでいく。自分は「嫌われている」「見捨てられた」「裏切られた」という思いが募り、「キレて」しまう。簡単に「殺意」を抱く。閉ざした心は、身近な人とも付き合えなくなっている。 個を尊重しよう、自由を認めようといいながら、一方で、思いつきの中途半端な規制が強いられる今の時代、何かが狂っている、何かが足りない。 戦争を知らない私たちの心の中には"依存"と"自己顕示"の2つの裏腹な姿が潜んでいる。一人ひとりの心と向き合って、感受性を揺さぶり、心の奥に眠っている感性に訴えるような、そんなメニューを揃えた『こころのレストラン』が必要なのではないか。
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vol.28
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看護師資格の意味を問う |
2003-09-19
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突然死防げ! 「除細動器」来春にも解禁 厚生省が検討会設置へ 条件付きで一般人に |
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2003年9月7日付のこの新聞記事に目を見張った人は私だけではあるまい。 私たち看護師は、法律上において、現在もなお、医療行為についてはすべて医師の指示の下でなければ行えないことになっている。つまり、指示下でのみ行えるということである。解禁されたといわれる静脈注射でさえ、いや、ヘルパーに解禁された吸引さえも自らの判断のみでは実施できない。一般人にも浸透している血圧測定でさえも、その測定結果を独自に判断して患者に伝えることは医療行為とされ、「診療の補助」業務の範疇におかれているのが実情なのである。一方では、医療機器の使用上の注意点をよく理解せずに、安全に機能するかどうかを確認することを怠ったとして送検される看護師が増えている。一瞬手を放しての転倒事故が目立つ在宅でも、今後は同じようなことが起こってくるだろう。そこには、看護師としての判断どころかプロとしての責任意識もないまま、ただ仕事をこなしている姿しか映らない。そのような状況での送検はやむを得ないのだが、法律という根源の事情を考えるとまったくもって不可思議である。 資格を持つ看護師は100万人に達している。看護師の国家資格とは何なのか。今の時代、改めてその意味や価値を考え、医師法・保助看法を見直す必要があるのではないか。 除細動器の使用を、条件付きであれ医療職以外の一般人に認めていくのであれば、法律を改正することも視野に入れて医療行為全般まで踏み込んで議論していくことが望ましいのではないか。もちろん、法律の改正を望むからには、看護師の責任は当然のこととして受け止め、ランクづけもやむを得ない。一般市民や多くの関係者が認める看護師は一握りだけかもしれない。しかし、若い世代の看護師が大きくはばたける道を拓くことが今は必要である。私たち団塊の世代の看護師に残せることはそんなことのような気がする。 規制緩和の波に乗りすぎて、踏むべき段階を踏まずに緩和を進めることは、多くの危険性を伴うことになると考えるのは私だけだろうか。 |
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