起業家ナースのつぶやき    村松 静子 Muramatsu Seiko


 
vol.30
   ラーニングナース制
2003-12-27
 
 

      「ラーニングナース制」を始動して8ヶ月、絶対必要なことと実感

「ラーニングナース制」はやはり必要だった。短期間の実施でそのように結論付けていいのかと言われるかもしれないが、私は自信を持って答える。「絶対必要なこと。看護の本質を探り自らの肌で感じ取り、看護師という免許を持っている自分のこれまでを振り返り、自分がこれからどのように学んでいくべきか、そして本来求められている看護師になるために自分はどうすべきか、どのような働きをすべきだったのか、今の看護師たちには何が足りないか、後輩達に何をどのように伝えていくべきか。それらについて、3名のラーニングナース一期生はそれぞれの力量の中で必死に考え、刺激し合って互いに身につけ、微妙に変化してきている。そしてその変化している自分に気づいた。それだけとってみても、私は思う。5年間温めてきたこの「ラーニングナース制」を思い切って導入して良かったのだと。これは、今の看護師たちの活動状況を考えると絶対必要なことである」。今、1名の二期生を加え、彼女らの問題意識としっかり向き合いながらこの研修を進めている。そして2004年4月から、三期生として加わりたいという問い合わせが続いている。皆、臨床歴、教育歴数年の問題意識を持った看護師たちである。自らの足りなさを感じ、本物の看護ができるようになりたいという思いを抱いた彼女達と真剣に向かい合い、共に行動したい。それが今の私の願いでもある。それだけ、この「ラーニング制」に価値を見出したのである。

 しかし、私は今、悩んでいる。研修できる場はあるが彼女らをサポートする側に立てる人材が足りない。そこでサポートする側に立つ人材を育てるための教育も密かに始めたのだが、そこにかかる人件費はゼロである。これらを継続するためには、やはり費用が不可欠である。実は、この「ラーニング制」を始めるにあたって、私は看護の向上を促している関係機関や関係者に研修事業の助成相談をもちかけていた。「とても必要なこと。まずあなたに始めていてもらいたい」と言われて、8ヶ月が経過している。どこからも音沙汰がない。そんな中、突然うたわれたのが「臨床研修医制度」、あっという間に方針が打ち出され、医師の卵の研修医を育てる新しい制度が2004年度から導入されることになった。来年度予算は百億円程度の助成金を認めるというもの。確かにこれまでの研修医は週百時間労働で、月収十万円以下という劣悪な環境に置かれていた。そのため多くが夜間のアルバイト診療を行い、医療事故や過労死を招いてきた。そこで提案されたのが新たに導入される臨床研修医制度である。医師免許を取得した新人医師に対して2年間の研修を義務付け、研修先以外の病院でのアルバイト診療を禁止し、確かな技術習得を後押しするというものである。

看護師の本来あるべき姿、そして、今の時代に求められている役割を考えると、「ラーニングナース制」のような何らかのサポートシステムを構築する必要があるのではないか。私は私で思う。「ラーニングスタッフ制」を継続できるような助成がほしい。今のままでは継続が難しい。


今のこの情勢の中で、看護師の卒後教育の必要性を痛感しているのは私だけではないはずである。
   
 
vol.29
  感受性を揺さぶる学習環境が必要なのでは?
2003-11-12
 

「『こころのレストラン』をつくりたい」そんな思いを、心の中で、ず〜っと温めている。しかし一方で、「これは夢で終わるかもしれない」と弱気になっている私がいる。新しいことへの挑戦意欲が落ちたのか、それともエネルギーが一時的に消耗しただけなのか。いずれにしろ、いつになく弱気になっている。それでも『こころのレストラン』が必要だと思っている。
私の頭の中で描いているそのレストランとは、食事をする部屋を指しているのではない。信頼的な人間関係を導入した教育活動のメンタリング、対人接触の技術や新しい習慣を身に付けられるように支えるコーチング、そして行動変容をサポートするカウンセリングメニューの外に、コミュニケーションや対人関係、看護・介護に関する教授―学習法が自分のペースで学べるような種々のチャレンジメニューを揃えた学習の空間のことである。自分に合うメニューを、助言を得ながら自分で選び、その方法で学んでいける場をイメージしている。

人は、迷ったり戸惑ったり悩んだりしたとき、自分に適した学習環境があれば、感受性が揺さぶられ、前向きになれる。そして、一歩ずつでも自分の力でそれらを乗り越えようとするのではないか。

昨年の自殺者数は約3万2千人で、その半数は30〜50歳代の働き盛りだと報告されている。経済不況が長引く中でのリストラや会社の合併。"ホールディング社"という名のもとに、その支配会社は、外見上いかにも大きく力強く見える。しかし、その内情は思いの外がたついている。会社の合併理由が人件費を削減するための単なるリストラ策だったりする。そんな中で被害を被っているのは、必死に働いてきた社員である。「妻には話せない」「家には帰れない」「家には帰りたくない」。心の中に起こる葛藤、それがさらに強くなり、思い詰めて、自己を見失う。

人間関係が薄れた今の社会、職場でも、家庭でも、いろいろな形で苦情が噴出し、先行きの不安からストレスが増大する。そして自分を自分が追い込めていく。あと一歩を踏み出せないために、その場から立ち上がれない。心がついていかない。どうしたらいいのかわからない。モチベーションはどんどん下がっていく。自分だけが苦しんでいる、自分だけが辛い、自分だけが救われないと思い込み、自らを哀れみ、死にたくなる。真っ暗闇に入り込んでしまうのである。もはや、周りは何も見えない。自分の本心さえわからない。

今では、若い世代にもその傾向が増えている。若い世代の方にこそ、その傾向は強いのかもしれない。まだまだ元気に人生を楽しめるはずなのに「死んでしまいたい」と思い、簡単に「死」を選ぶ。物事を極端に深刻に受け止め、些細なことを気にするようになって、心が病んでいく。自分は「嫌われている」「見捨てられた」「裏切られた」という思いが募り、「キレて」しまう。簡単に「殺意」を抱く。閉ざした心は、身近な人とも付き合えなくなっている。

個を尊重しよう、自由を認めようといいながら、一方で、思いつきの中途半端な規制が強いられる今の時代、何かが狂っている、何かが足りない。

戦争を知らない私たちの心の中には"依存"と"自己顕示"の2つの裏腹な姿が潜んでいる。一人ひとりの心と向き合って、感受性を揺さぶり、心の奥に眠っている感性に訴えるような、そんなメニューを揃えた『こころのレストラン』が必要なのではないか。

                                      

 

 
vol.28
  看護師資格の意味を問う
2003-09-19
 

  突然死防げ! 「除細動器」来春にも解禁
 厚生省が検討会設置へ 条件付きで一般人に
 

2003年9月7日付のこの新聞記事に目を見張った人は私だけではあるまい。
この4月、医師の指示がなくても救急救命士による除細動器の使用が認められ、航空機の乗務員にも、機内に医師がいない場合という条件下での使用が認められた。救急救命士にその行為が解禁されて半年、確かに救命率は上がったという。そのような実績を踏まえてのことであろう。今度は一般人にも解禁しようという動きが進んでいる。突然死が増えているわが国でも、欧米諸国に見習って、一般人も除細動器を使えるようにしようというものである。あくまで「突然死」対策の一環として、救急医や消防関係者などの専門家の意見を取り入れ、公共施設や交通機関などに常備しようということらしい。患者が倒れてから3分以内に除細動器を使えば7割以上の人が助かる、それなら条件付きで一般人の使用を認めようということなのだという。その行動は明快といえば明快である。
しかし、看護師の私はなぜか不納得である。一般人に認める上での条件の1つに、「使用者が自動対外式除細動器の講習を受けている」という一項がある。もちろんそれは絶対不可欠な条件といえる。しかし私は考えてしまう。
米国の医師たちは、救急処置に関する訓練を定期的に受けることが義務付けされていると聞く。つまり、医師であれば誰もが救急救命の技術を身につけているということになる。本来、それは当然のことといえよう。私は、すべての医療従事者に対して任務責任を徹底させるべきと考えている。もちろんそこには看護師も含まれる。
わが国では、果たして、医療従事者のどれぐらいが「除細動器」を使用したことがあるのだろうか。医師は? 歯科医師は? 看護師は? 放射線技師は? 薬剤師は?・・。
また、使用したことのある医師はどのような判断プロセスで使用しているのだろうか。どれだけの看護師が「除細動器」に触れたことがあるのだろうか。

私たち看護師は、法律上において、現在もなお、医療行為についてはすべて医師の指示の下でなければ行えないことになっている。つまり、指示下でのみ行えるということである。解禁されたといわれる静脈注射でさえ、いや、ヘルパーに解禁された吸引さえも自らの判断のみでは実施できない。一般人にも浸透している血圧測定でさえも、その測定結果を独自に判断して患者に伝えることは医療行為とされ、「診療の補助」業務の範疇におかれているのが実情なのである。一方では、医療機器の使用上の注意点をよく理解せずに、安全に機能するかどうかを確認することを怠ったとして送検される看護師が増えている。一瞬手を放しての転倒事故が目立つ在宅でも、今後は同じようなことが起こってくるだろう。そこには、看護師としての判断どころかプロとしての責任意識もないまま、ただ仕事をこなしている姿しか映らない。そのような状況での送検はやむを得ないのだが、法律という根源の事情を考えるとまったくもって不可思議である。

資格を持つ看護師は100万人に達している。看護師の国家資格とは何なのか。今の時代、改めてその意味や価値を考え、医師法・保助看法を見直す必要があるのではないか。
除細動器に関するニュースに、私は35年間歩んできた看護師の道を振り返り、何ともやるせない気持ちになった。2003年6月のヘルパーの吸引解禁にあたって、「介護士も訓練を積んでいろいろなことができるようになっている。医師や看護師でなければできないということではなく、段階的に拡大していかなければいけない」「できることはみんながやれるようにしていきたい」と厚生労働相は発言した。私はもう一言聞きたかった。「看護師が一部の薬剤の投与や一部の医療機器の取り扱いを独自の判断で行えるよう、法律を見直して、改正すべきである」と。

除細動器の使用を、条件付きであれ医療職以外の一般人に認めていくのであれば、法律を改正することも視野に入れて医療行為全般まで踏み込んで議論していくことが望ましいのではないか。もちろん、法律の改正を望むからには、看護師の責任は当然のこととして受け止め、ランクづけもやむを得ない。一般市民や多くの関係者が認める看護師は一握りだけかもしれない。しかし、若い世代の看護師が大きくはばたける道を拓くことが今は必要である。私たち団塊の世代の看護師に残せることはそんなことのような気がする。

規制緩和の波に乗りすぎて、踏むべき段階を踏まずに緩和を進めることは、多くの危険性を伴うことになると考えるのは私だけだろうか。


vol. 1〜3  「心」を思う その1・その2・その3

vol. 4〜6   看護の自立をはばむもの その1・その2・その3

vol. 7〜9  この時期になると浮かんでくるあの光景 その1・その2 私は言いたい、今だから言える

vol. 10〜12 看護の自立をはばむもの その4ー  開業ナースがゆく その1・その2

vol.13〜15  開業ナースがゆくその3 
看護の自立をはばむものその4-2 本当にほしいサービスができないわけ

vol.16〜18 点滴生活雑感 ともに創る幸せ 看護の自立をはばむものその5

vol.19〜21 ともに創る幸せ2 ともに創る幸せ3 ともに創る幸せ4

vol.22〜24 ラーニングナースを位置づける その1なぜ必要か その2応援団はいる
 ナースの私が抱く疑問〜1.痰の吸引

vol.25〜27  ナースの私が抱く疑問〜2 静脈注射 素敵なエッセイの贈り物 疑問は疑問、「今の時代って?」

●vol.31〜33 40年の歴史をもつ企業内大学老舗『ハンバーガー大学』 
介護保険が抱える問題〜看護にこだわる開業ナースの視点から   恩師、國分アイ先生


●vol.34〜36 國分アイ先生の遺志を継ぐ 安比高原の女(ひと) 介護保険制度の次の手は介護予防?〜今、私が思うこと

●vol.37再び「心」を思う その1vol.38 在宅看護研究センター20回設立記念日を迎えてvol.39「医療行為」、そこに潜む「矛盾点」


●vol.40  スタッフと共に追求する看護の価値:その1 vol.41スタッフと共に追求する看護の価値:その2 
vol42.「在宅医療支援展示室」の誕生、その裏に潜む願い

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