起業家ナースのつぶやき    村松 静子 Muramatsu Seiko


 
vol.24
  ナースの私が抱く疑問〜1.痰の吸引
2003-05-18
 
 

2003年4月23日、新聞を読んでいた私の目に小さな記事が飛び込んできだ。

「たんの吸引をホームヘルパーらに認める 人工呼吸器をつけた難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者に必要な、たんの吸引行為について、医師や看護師以外の人に認めるか議論してきた厚生労働省の検討会は22日、ホームヘルパーやボランティアについても、一定の条件下で容認する方針を決めた。」

一瞬、ALSのご主人を抱えて長年にわたって介護というより看護をしていた奥様の顔がよみがえった。24時間365日、頻繁に必要となる痰の吸引、限界を超えたその負担の実態を目の当たりにしながら、共に歩もうとした私たちナース集団ではあったが、奥様の置かれた状況を考えるとちっぽけなものに過ぎなかった。

「この行為は本来専門家がなさることで、私のような素人が慣れでできるように思い込んでいることは間違いですよ。いざとなると、どうしていいか分からなくなるのですから。夜中に助けを呼ぶと、すぐ駆けつけてくださる医師やナースがいることが私にとっては最も心強いんです。私は吸引をヘルパーさんにしてもらおうとは思いません。やり方だけ教わって行ってしまうほど怖いことはありませんし、ヘルパーさんを傷つけることにもなりますから」

緊急入院で人工呼吸器を装着され、さらに入院後まったく動けなくなってしまったご主人を奥様は家に連れ帰った。そこから在宅生活が始まったのだった。
 退院直後、わが社のナースが一晩付き添い、事務所へ戻ってきて私に言った言葉が強く印象に残っている。「あれは無理ですよ。15分おきに吸引と体交(体位変換)が必要なんですよ。私はとても続けられません」。
その後奥様は、9年間夫婦二人での在宅生活を続け、そのうちの9割以上を一人で看ていたと言っても過言ではない。たとえ外出していてもご主人のことを忘れることはなかったという。そして奥様は、その最期を家で看とった。
最期を共に支えたのは私たちではなく、休暇をとって駆けつけ数日間共に生活していた娘と、近くの訪問看護ステーションの所長であった。

今回、医療行為である吸引をヘルパーに認めるかについての意見はいくつかに分かれていたという。
「ライセンスのないヘルパーによる実施は危険。看護サービスで充足させる手段を考えるべき」という意見。
「研修の実施や利用者を限定するなど一定条件の下で当面の解決策を探っていくべき」という意見。
「条件付きであれ医療職以外に吸引を認めていくのであれば、法律を変えることも視野に入れて医療行為全般まで踏み込んで議論していくことが望ましいのではないか」という意見。
検討会での議論が平行線をたどっていた状況の中で、結局は政治的な決断が下されたことになる。ALS協会からの要望によってALS患者に対してのみ吸引が許可された。その許可はあるべくして下されたと私は思う。しかし、在宅で吸引を必要とする人は年々増加している。ALS患者に限らず増えていることを知っておかなければならない。切羽詰って打ち出されたその回答だけでは、現場で活動している私には納得できない。まずは各職種の立場や法律を見直すことをしてほしい。また一方で、自動吸引装置の開発・導入の検討を進めてほしい。また、ケアの質を担保するための方策について早急に議論してほしい。介護負担に加え、各職種が抱える問題、業務の妥当性、経済性、存在価値、責任など、さまざまな角度から検討してほしい。

ここで不可欠なことは、施設内と在宅現場で介護・看護にたずさわるヘルパー・ナースのバラバラな活動実態を重視し、その理由を把握し、これまで以上に問題を明確にした上で、計画的に、しかし素早く方策を練っていくことであろう。

 
vol.23
  ラーニングナースを位置づける 〜その2 応援団はいる〜
2003-04-18
 
 

期待と不安を胸に抱きながら5名のラーニングナースが動き出した。病院や在宅で看護していた彼女たちが目指しているのは周囲が認める看護を確実にできるようになること。そしてそれを全国に広げること。うれしいことに、彼女らの応援団は多く存在している。看護を実践しながら、さまざまな形で看護を考え追求できる場を提供してくださる。「医師と看護師が個別に契約を結ぶ時代が来ることは昔から望んでいることです。それがクリニックであっても、在宅であっても」「どこまで、お役にたてるのかわかりませんが、こうした地域での当院のような診療所のそのままの現状をみていただくだけでも、志あるナースの方々は、何かをつかみ、思い、学んでくださるだろうと考え、お引き受けできればありがたいと思います。時期についてもいつでもと思います」心強いドクターたちの後押しも得、彼女たちは確実に一歩を踏み出している。

1996年、看護実践の場から生まれた一冊の本「私たちの在宅看護論」は、今でも十分通用する事例が満載されている。その中に紹介されている73歳の娘のIさんは88歳になっている。「介護を受けている私でも看護を高めようとするナースの皆さんにお役に立てるのでしたら嬉しいです」と言って、その出会いの日を楽しみにしてくださっている。

73歳の娘のIさんは、98歳の母の最期を家で看とった。その旅立ちは、実に穏やかで美しいものだったという。管を通してではあったが、亡くなる前日の朝までIさんの手づくりのミキサー食を口にし、関節の拘縮も,皮膚の発赤も,特別な病的症状もない状態で眠るように逝った。とはいえ、人工呼吸と心臓マッサージは施された。Iさんが心臓マッサージをする。ひ孫が祖母の口全体をマスクで覆い、孫娘がアンビューバッグを押す。そしてそれを、Iさんの夫と孫娘の夫,さらには主治医と訪問ナースが見守る。父親が医師だった母には、家でできる最高の医療を受けさせてあげたい。それは決して過度ではない、しかし最高の医療なのである。その光景は見事なものだったという。美しい花に囲まれた母の姿を写真におさめるIさん。「母は、私を死ぬまで教育してくれました」。

後に、私は1本のテープの中の母娘の対話を耳にする機会を得た。それは死についての二人の実に明るく淡々とした語り合いであった。それから2年後、母を介護するIさんを常に見守り、「君にナイチンゲール賞をあげるよ」と、そっとささやいてくれた夫に先立たれたIさん。今では80歳代に突入し、膝や腰が思うように動かなくなったとはいえ、高齢者や介護者に頼られ、さまざまな相談を受ける日々を送っている。


                              (「私たちの在宅看護論」p.14-15より)

 

 
vol.22
  ラーニングナースを位置づける 〜その1 なぜ必要か〜
2003-03-14
 
  今、看護師は重要な課題を抱えている。
このままでは、『看護師』の本来担うべき役割がこれまで以上に分散され、他職種へ移行されていく可能性が高い。挙句の果てに「看護師って本当に必要なの?」と言われかねない。100万人いるといわれる看護師であるが、その多くが医療情勢や社会情勢の変化に翻弄されて、看護師としての本来の姿を失いかけているようにみえる。一方では、看護の受け手とその家族、さらにはその周囲の人々が看護サービスの価値を感じとれないでいる。看護師の活動が正しい形で社会的認知を受けるまでにはまだ時間がかかりそうである。私たち看護職は、本来あるべき看護の姿を再認識し、これまで以上に努力していかなければならない時期を迎えている。

看護師はもっと育てられ、育たなければならない。
学生時代から確かな基本技術を身につけ、卒業後はそれらをより確実なものにしていく努力が必要である。人間だからこそ備えられているといわれる感性が様々な状況の中で良い意味で磨き続けられるよう、自ら努力しなければならない。看護実践には看護師自身の人間性が絡む。その上で活きるのがコミュニケーション技術、行動・心身状況・身体機能の観察技術、日常生活援助技術・処置に伴う援助・補助技術、心理社会的側面に対する援助技術である。さらに、療養環境の工夫や配慮、リスクマネージメントも不可欠である。それらの事柄をこの時代に即した看護の専門技術としてさらに高め、身につけ、提供し、受け手や周囲に認められてこそ、看護師は看護のプロと評されるようになるであろう。

実は、数年前から私が心の中で温めてきた『ラーニングスタッフ制』を、2003年4月1日から、在宅看護研究センター/日本在宅看護システム社を活動の基盤に導入することになった。学習全体をサポートするのは在宅看護研究センター/看護コンサルタント社である。目的は2つある。
1つは、「今の私では看護のプロとはいえない。実践と理論を融合させながら、人間的にも大きくなる術を身につけたい。周囲が認めてくださるナースになりたい」そんなナースたちが働きながら学んでいける職場環境をつくり、看護師としての成長を確認しながら共に歩み、確かな開業ナースを育てること。
1つは、国家資格を取得したばかりのナースが看護の心を育みながら、在宅だけではなく施設にも通用する看護の技を身につけていける職場環境をつくり、看護師としての成長を確認しながら共に歩み、看護サービスの標準を上げていくこと。

以上の目的を達成できるサポートシステムを構築したいというのが私の念願であった。
私たち看護職には医師にある研修医制度のようなものはない。看護師が今抱えている課題を解決していくためには、専門学校・大学を卒業して国家資格を取得した後に、一看護師として仕事しながらも、施設・在宅を問わない形での幅広い学びが必要なのである。
今回は1つ目の目的を持つナースたちが手をあげてくれた。彼女たちは一般的にみれば明るく清々しい標準以上の看護師である。しかし彼女たちは現時点での自分に満足していない。実践の場でさらに学ぶことを望んでいる。目が輝いている。
私はそんな彼女たちを「ラーニングナース」と呼ぶことにした。

看護の道を歩んで35年、ラーニングナースの第1号として手を挙げた彼女たちと彼女らをサポートする構成メンバーや仲間たち・協力者と共に、また私の新たな挑戦が始まる。


vol. 1〜3  「心」を思う その1・その2・その3

vol. 4〜6   看護の自立をはばむもの その1・その2・その3

vol. 7〜9  この時期になると浮かんでくるあの光景 その1・その2 私は言いたい、今だから言える

vol. 10〜12 看護の自立をはばむもの その4ー  開業ナースがゆく その1・その2

vol.13〜15  開業ナースがゆくその3 
看護の自立をはばむものその4-2 本当にほしいサービスができないわけ

vol.16〜18 点滴生活雑感 ともに創る幸せ 看護の自立をはばむものその5

vol.19〜21 ともに創る幸せ2 ともに創る幸せ3 ともに創る幸せ4

vol.25〜27   ナースの私が抱く疑問〜2 静脈注射 素敵なエッセイの贈り物 疑問は疑問、「今の時代って?」

vol.28〜30  看護師の資格の意味を問う  感受性を揺さぶる学習環境が必要なのでは?  ラーニングナース制

●vol.31〜33 40年の歴史をもつ企業内大学老舗『ハンバーガー大学』 
介護保険が抱える問題〜看護にこだわる開業ナースの視点から   恩師、國分アイ先生


●vol.34〜36 國分アイ先生の遺志を継ぐ 安比高原の女(ひと) 介護保険制度の次の手は介護予防?〜今、私が思うこと

●vol.37再び「心」を思う その1vol.38 在宅看護研究センター20回設立記念日を迎えてvol.39「医療行為」、そこに潜む「矛盾点」

●vol.40  スタッフと共に追求する看護の価値:その1 vol.41スタッフと共に追求する看護の価値:その2 
vol42.「在宅医療支援展示室」の誕生、その裏に潜む願い

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