起業家ナースのつぶやき 村松 静子 Muramatsu Seiko |
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vol.24
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ナースの私が抱く疑問〜1.痰の吸引 |
2003-05-18
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2003年4月23日、新聞を読んでいた私の目に小さな記事が飛び込んできだ。 今回、医療行為である吸引をヘルパーに認めるかについての意見はいくつかに分かれていたという。 ここで不可欠なことは、施設内と在宅現場で介護・看護にたずさわるヘルパー・ナースのバラバラな活動実態を重視し、その理由を把握し、これまで以上に問題を明確にした上で、計画的に、しかし素早く方策を練っていくことであろう。 |
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vol.23
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ラーニングナースを位置づける 〜その2 応援団はいる〜 |
2003-04-18
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期待と不安を胸に抱きながら5名のラーニングナースが動き出した。病院や在宅で看護していた彼女たちが目指しているのは周囲が認める看護を確実にできるようになること。そしてそれを全国に広げること。うれしいことに、彼女らの応援団は多く存在している。看護を実践しながら、さまざまな形で看護を考え追求できる場を提供してくださる。「医師と看護師が個別に契約を結ぶ時代が来ることは昔から望んでいることです。それがクリニックであっても、在宅であっても」「どこまで、お役にたてるのかわかりませんが、こうした地域での当院のような診療所のそのままの現状をみていただくだけでも、志あるナースの方々は、何かをつかみ、思い、学んでくださるだろうと考え、お引き受けできればありがたいと思います。時期についてもいつでもと思います」心強いドクターたちの後押しも得、彼女たちは確実に一歩を踏み出している。 73歳の娘のIさんは、98歳の母の最期を家で看とった。その旅立ちは、実に穏やかで美しいものだったという。管を通してではあったが、亡くなる前日の朝までIさんの手づくりのミキサー食を口にし、関節の拘縮も,皮膚の発赤も,特別な病的症状もない状態で眠るように逝った。とはいえ、人工呼吸と心臓マッサージは施された。Iさんが心臓マッサージをする。ひ孫が祖母の口全体をマスクで覆い、孫娘がアンビューバッグを押す。そしてそれを、Iさんの夫と孫娘の夫,さらには主治医と訪問ナースが見守る。父親が医師だった母には、家でできる最高の医療を受けさせてあげたい。それは決して過度ではない、しかし最高の医療なのである。その光景は見事なものだったという。美しい花に囲まれた母の姿を写真におさめるIさん。「母は、私を死ぬまで教育してくれました」。
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vol.22
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ラーニングナースを位置づける 〜その1 なぜ必要か〜 |
2003-03-14
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今、看護師は重要な課題を抱えている。 このままでは、『看護師』の本来担うべき役割がこれまで以上に分散され、他職種へ移行されていく可能性が高い。挙句の果てに「看護師って本当に必要なの?」と言われかねない。100万人いるといわれる看護師であるが、その多くが医療情勢や社会情勢の変化に翻弄されて、看護師としての本来の姿を失いかけているようにみえる。一方では、看護の受け手とその家族、さらにはその周囲の人々が看護サービスの価値を感じとれないでいる。看護師の活動が正しい形で社会的認知を受けるまでにはまだ時間がかかりそうである。私たち看護職は、本来あるべき看護の姿を再認識し、これまで以上に努力していかなければならない時期を迎えている。 看護師はもっと育てられ、育たなければならない。 実は、数年前から私が心の中で温めてきた『ラーニングスタッフ制』を、2003年4月1日から、在宅看護研究センター/日本在宅看護システム社を活動の基盤に導入することになった。学習全体をサポートするのは在宅看護研究センター/看護コンサルタント社である。目的は2つある。 以上の目的を達成できるサポートシステムを構築したいというのが私の念願であった。 看護の道を歩んで35年、ラーニングナースの第1号として手を挙げた彼女たちと彼女らをサポートする構成メンバーや仲間たち・協力者と共に、また私の新たな挑戦が始まる。 |
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